(五)


 明明と連れ立って御膳房に帰ると、炊事場は目も回るような忙しさに追われていた。


「あんたたち、どこ行ってたの?!」


 飛び交う怒号に頭を下げ、小鈴たちは必死に手を動かす。


「明明、さっきまで順調って言ってたじゃない!」


「私が休憩に行く前までは順調だったんだってば!」


 小声で明明に文句を言えば、明明は唇を突き出して言い返す。明明は”休憩”と言っていたものの、この忙しさを考えると、本当に休憩に抜けだしたとは思えなかった。小鈴とおなじように、何か言えない用事があったのだろうか。自分が嘘をついている手前、明明を追求するのも違うと思い、小鈴は口をつぐんだまま作業にあたる。


 ちらりと横を見れば、明明は半べそをかきながらも、見たことのない速度で盛り付けをしていく。先ほどまでの紗月の姿の余韻もなく、小鈴も仕事に追われた。


 仕事がひと段落する頃には、うるさかった炊事場にも静寂が訪れていた。


「ふぅ……やっと終わったよぉ……」


 御膳房の侍女たちが総動員したおかげで、何とか時間には間に合ったようだった。ぐったりと流しに突っ伏して、明明が言う。


「小鈴は疲れてないの……?」


「まさか、私だって疲れたわ」


 いつもに比べて疲れたのは事実だったが、明明に比べたらマシなほうだろう。明明の額には玉のような汗が光っている。いたるところで火を使っていたからか、炊事場のなかは蒸籠の中に入れられたような暑さだった。明明に水を差し出し、小鈴も一口水を飲む。冷たい水が喉を通るのが分かった。


「小鈴って、かわいい顔をして体力は化け物みたいよね」


「それは、褒めているのよね?」


「もちろん。小鈴みたいになれたら良かったのに」


「……あんたも化け物みたいになっちゃわよ」


「うーん、それは嫌かも」


 すげなく言い返され、小鈴は口をつぐんだ。こういう時ぐらい、素直にならなくなくても良いものを。


「もうそろそろ、配膳の手伝いに行かないと」


 ずるずると座り込んだ明明の腕を掴んで立たせる。宴まであともう少しだ。主役である紗月付の宮女たちが休めるはずがない。御膳房の宮女は、この後配膳も任される手筈になっていた。


「わかった、わかったから」


 小鈴が小突くと、へにょへにょの明明も仕方なくといった風に立ち上がった。二人で連れ立って炊事場を出ると、すでに日は暮れかかっていた。


 宮城の影に真っ赤な太陽が消えていく。初夏の風が火照った身体を冷ますように通りぬけていった。

 一度部屋に戻り、たくさん汗をかいた服から、今宵のために茜葉たち御衣房の宮女たちが選んだ襦裙に身を包む。紗月が好んで身に付けている純白の襦裙とおそろいだった。宴にはたくさんの来客があり、客人たちも各々の宮女を連れてくる。主君とお揃いの色の襦裙は、紗月付の宮女であることが分かるようにという配慮もあった。


「小鈴、とても綺麗……!」


 着替えが終わった明明が、小鈴を見て目を細める。


「こうしてみると、どこかの姫君みたいよ」


「それは褒めすぎ。明明もよく似合ってる」


 いつもは着ることができない高価な襦裙は、夜の灯りに照らされてきらきらと光る。純白に見えるが、目を凝らしてみると銀色の糸で、紗月が好きな花々を模した繊細な刺繍が施されている。一介の宮女に与える襦裙としては、高価過ぎるほどである。


「……紗月さまは、本当に宮女思いね」


 ぽつりと、明明が言った。さぞ嬉しがるかと思いきや、その顔色は未だに暗い。


「こんな主を持って、私たちは幸せね」


 心から言えば、明明の顔は泣きそうに歪んだ。


「本当に、そうね……」


 その時、遠くから小鈴の名前を呼びながら近づいてきたのは、茜葉だった。息を切らせてやってきた姿を見ると、何やら急用らしい。


「ねぇ、聞いた? 紗月さまが、円侍医をお呼びになったんだって」


「……円侍医を?」


 驚きの声をあげたのは、明明だった。

 

「宴の前に侍医を呼ぶなんて。……体調が良くないのかしら」


「しかも、よりによって円侍医ってところも気になるわね」


 声を潜めて、茜葉が言う。


「円侍医を呼ぶってことは、相当心配なことがあったんじゃないかと私は思うのよ」


「……たしかにそうね」


 小鈴も首肯した。

 後宮妃たちの専属の医者である侍医。三十人弱いる侍医のなかでも、円侍医は一番に腕が良いことで評判だった。それゆえに数多の後宮妃たちに引っ張りだこで、円侍医を巡って後宮妃たちの諍いが起こることさえあった。


「最近は賢妃さまのところによく治療に行っているって噂よね」


 茜葉が言えば、明明はぴくりと身体を震わせた。


「賢妃さまが離さないって話よね」


「紗月さまは、大丈夫かしら。中止になったりしないわよね?」


 茜葉が眉を潜めてたずねた。


「分からない。とりあえず、準備はしておくしかないわ」


 そう言いながら、配膳をするべく御膳房への道を歩く。途中の道すがら、今回宮女たちに配られた襦裙の話をしてくれる。紗月たっての希望で、牡丹の花が刺繍されているらしい。


(牡丹……)


 そっと袖に咲いた牡丹を見る。

 小鈴にとって、牡丹は特別な花であった。紗月の実家には、牡丹の花だけの庭園があった。そこはすでに亡くなった紗月の母が手ずから手入れをおこなっている庭で、大振りの牡丹がいくつも咲き乱れる仙界のような場所だった。


 ――紗月とは、そこで出会ったのだ。


(紗月さまは、もう覚えていないだろうけど)


 少しばかりの感傷に浸りながら、小鈴は歩みを進める。

 

 その時だった。

 

 出会い頭に出てきた人物に、小鈴は思い切りぶつかった。軽い衝撃が加わり、小鈴は思わず尻もちをつく。


「わぁ!」


 小鈴が声をあげるよりも前に、相手が驚きの声をあげた。小鈴が視線をあげると、そこにいたのは紗月に先ほど呼ばれたと茜葉が言っていた円侍医だった。

 

 瘦せぎすの身体に、細い目。猫背の彼は、小鈴を見ておどおどと視線を彷徨わせた。まさか、ぶつかるとは思ってもいなかったのだろう。

 尻もちをついたものの、さほど痛くはなかったので、小鈴はすぐに衣装を整えて立ち上がる。大事な衣装が汚れたのだけは、気に食わなかったが、小鈴の不注意もある。円侍医に向かって何かを言うのは筋違いだ。


「だ、大丈夫でしょうか?」


 か細い声で円侍医がたずねた。


「はい。お気になさらないでください」


 そう言ってから、小鈴は微笑んだ。ほっと円侍医は息を吐く。


「小鈴、大丈夫?」


 固い声で明明がたずねる。明明の瞳は、円侍医に対する敵対心に燃えている。茜葉も冷めた顔で円侍医を見ていた。二人からの冷たい視線に、円侍医はいたたまれない気持ちになったのか、身体を縮こませていた。


「明明、大丈夫よ。ありがとう」


 とりあえず明明を落ち着かせようとお礼を言うも、明明は燃えるような瞳で円侍医を見つめている。


「……円侍医、申し訳ございません。私の不注意でございます」


「何事もなくて良かった。申し訳ないけど、僕はもう行くよ。もしその後なにか調子が悪いなんてことがあったら、僕を訪ねると良い」


「はい! ありがとうございます」


 小鈴が言うより先に、さっさと円侍医は行ってしまう。


「女の子一人転ばしておいて、謝りもしないのね」


 吐き捨てたように言ったのは、明明だった。


「まあ、小鈴なら大丈夫だとは思っていたけど。ちょっと見損なったわ。円侍医って、なぜか後宮妃たちに人気あるじゃない? だから、もう少し良い人だとばかり思っていたのよね」


「治療の腕ばかり良くっても、人格が伴わなければ意味がないわ」


 明明の言葉に、茜葉が驚いたような顔をする。


「あんたにも、怒りって感情があったのね」


「……私を何だと思っているのよ」


 泣き笑いのような表情で、明明は言った。



 

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