7 怖
記憶に浮かんだ景色が何を意味するのか、わからない。が、自分の住んでいる家の近く、という可能性がある。
……とすれば、この近辺では宿泊できない。遅かれ早かれ、円城寺刑事がやってくるだろう。だから、わたしは自転車で移動する。それ以外に、今のわたしにできることはないようだ。
都下の駅を三つほど数え、その街で宿を探すことに決める。大きな街なのでビジネスホテルくらいあるだろう。駅前を避け、いくつかのホテルを物色する。その中の一つを選び、先に服を買いに出かける。
一般店舗でも良かったが、デパート内の店に入る。どの服が目立たないかと考えたが、答が見つからない。それで店員の判断に任せ、コーディネイトする。それから気が変わり、男物の服を選ぶ。幸い、わたしは尻がそれほど大きくない。だから男の格好もできる。数分後、ジーンズ姿のあんちゃんモドキができあがる。次には下着屋で、胸の膨らみを隠す特性ブラジャーを買う必要があるだろう。
刑事ならば普通は紺のスーツを着る。その真逆を選んだのだ。
ついでに帽子も物色する。悩んだ末に茶系のワークキャップを選ぶ。予備にニット帽ワッチも購入する。生地を伸ばせば、咄嗟に顔を隠せる帽子だったからだ。店員に金を払い、ふらりと店を出る。そのまま横に流れて下着屋へ……。
デパートの店舗を選んだ自分の判断は正しかったようだ。時間が節約できる。
最後に靴を買い、夕食を摂るため、エスカレーターで階上に昇る。テレビがありそうな大衆食堂を選んで入る。季節らしいので、サンマ定食を頼み、テレビを見る。店主が好きなのか、それとも時間帯なのか、バラエティー番組ではなく、ニュース放送が流れている。わたしは耳を凝らすが、殺人事件に関する話題はない。まだ一般公開されていないのだろうか。過去に起こった未解決殺人事件の犯人が逃走した、というのに……。
警察は殺人犯が次の事件を起こす前に秘密裡に逮捕するつもりなのだろうか。世間体を気にする警察であれば、考えられないことでもない。
……とすれば、街中でウロウロするのは危険だろう。わたしの顔は知られている。早いうちに顔を隠す/変える必要がありそうだ。
早々に食事を終え、眼鏡屋に入り、安いサングラスを購入する。まだ余裕はあるが、いつまでも金が持たないからだ。ついで百円ショップを探し、付け髭を買う。試しにトイレでつけてみたが、さすがに男の顔には見えない。が、オナベには見えるかもしれないと、そのままにする。短い時間だが、暫く街を歩いた印象から、この街にはオカマやオナベが多いと感じる。 そんな自分の感覚を信用したのだ。
簡易的な変装のまま、ビジネスホテルに入り、部屋を取る。クロークからキーを渡され、五階の部屋に向かう。ドアを開け、中に入り、ドアを閉めると、疲れがドッと溢れ出す。散々な日だったが、今、わたしは生きている。それを祝うしかない。
することもないので風呂に入り、特性ブラジャーと同時に購入した真新しい下着をつける。こちらは女物だ。男物のブリーフにしても良かったが、何故か、気恥ずかしくなったためだ。
円城寺刑事が有能なら、すでに近くまで来ているかもしれない。そう思いながらベッドに入り、目を閉じる。まだ早いので眠気はないが、眠らなければ、体力が持たない。それで少しだけ酒を呑み、再度ベッドに入る。捨てると不自然なので、この部屋まで持って来た、盗んだ服や靴の入った紙バックを眺め遣る。
そのうち眠るのが怖くなる。急に、怖ろしい夢を見るような予感に襲われたためだ。わたしの殺人者としての記憶が夢に現れるのではないだろうか、と……。
考えに矛盾があることはわかっている。わたしがサイコパスならば、殺人の記憶は怖ろしくはないはずだ。寧ろ、愉しい思い出かもしれない。けれども、わたしは怖がっている。夢に見るのだから自分の記憶なのだろうが、それに怖れを抱いている。
病院のベッドで思い出したとき、アレは客観的な――すなわち自分を他人として分析したような――記憶だったのかもしれない。その記憶があるべき本来の姿として……。だから、サイコパスのような感覚も覚えたのだろう。怖いという感覚を抱かずに……。
けれども今は単純に怖い。あの記憶が、わたしには怖い。あのときよりも鮮明になったら耐えられない、と感じている。
人は記憶を失うと性格まで変わってしまうものなのだろうか。確かに、そんな例があったかもしれない。が、サイコパスとは精神異常者だ。心の深いところでねじ曲がった性格が、記憶を失ったくらいで正常に戻る、とは考え難い。
……とすれば、わたしの記憶は、やはり誰かに植え付けられたものなのか。が、どうやって……。催眠術か、洗脳か、それともそれ以外の方法で……。
わからない。まるでわからない。
わたしは思わずベッドから飛び起き、服を着る。一人でいることまで怖くなってきたからだ。ショットバーに行き、酒でも飲もう。誰と話せなくても、近くに人がいれば安心だ。そう思い、キーを片手にビジネスホテルの部屋を出る。
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