2 殺
「記憶は戻ったか」
紺のスーツを着た男が、わたしに言う。
「それとも記憶喪失は嘘か」
茶化した口調ではないが、何処まで真面目だかわからない男の雰囲気だ。
「記憶喪失なのは嘘ではない」
掠れ声で、わたしが答える。
「わたしが誰だか知っているなら教えて欲しい」
「名城沙理(なじょう・さり)」
「それが名前か」
「何度も言ったはずだ」
「悪いが記憶にない」
「奇妙な病気に侵されたな」
「奇妙な病気……」
「それとも、それも嘘か」
「どういう意味だ」
「キミの記憶は長持ちしないんだ。発作を起こすと消えてしまう」
「発作……」
「キミは今、ベッドにいる。何故ならば、発作を起こしたからだ」
「何故、わたしを拘束する」
「キミが殺人犯だからさ」
「それは間違いないのか」
「おそらく」
「確定ではないということか」
「キミが証拠を隠した」
「では、状況証拠しかないと……」
「ま、そういうことだな」
「あなたは刑事か」
「どうせ、オレの名前も覚えていないんだろう。教えてやるよ。円城寺剛史(えんじょうじ・つよし)だ」
「円城寺剛史……」
「曙署の第二強行犯捜査所属の刑事だ」
「わたしの担当なのか」
「そうだ」
「わたしの担当は円城寺さん一人だけなのか」
「他にもいるが、別件で出動中だ」
「それで一人で来たのか」
「そろそろ目覚める頃だ、と思ってな」
「ここは警察病院なのか」
「そういう情報は漏らせない。キミが脱走したとき、逃げるヒントになる」
「三ヶ所も拘束されていて逃げられるものか」
「キミには本当に記憶がないんだな」
「どういう意味だ」
「キミ自身がそれをやっているんだよ」
「わたしが……。どうやって……」
「それも教えられない」
「教えられないことだらけだな」
「じゃ、一つ、教えてやろう」
「何を、だ」
「キミも刑事だ。まあ、今では元刑事扱いだろうが、まだ辞令は出ていない……」
「わたしが刑事だって……」
「オレの知る限り、有能な刑事だったよ。裏ではサイコパスだったにしても……」
「わたしは何人殺したんだ」
「判明しているのは四人だが、オレはまだいると思ってる」
「どうして、そう思う」
「単なる勘さ」
「刑事の勘か」
「そんなところだ」
「これから、わたしをどうする……」
「医者の許可が下りなけりゃ、どうもできない」
「そうなのか」
「オレは規則を守る主義なのでね」
「医者の許可が下りたら何をする」
「現場検証の続きだ。いや、最初から遣り直しか」
「わたしの記憶がないからだな」
「厄介な容疑者だよ、キミは……」
そう言い、円城寺刑事が病室から去ろうとする。
「また後でお目にかかろう」
「待ってくれ」
咄嗟に、わたしが言う。
「トイレに行きたい」
「オレには拘束は外せない。そこに尿瓶があるよ」
「自分ではできない」
「オレがやってやろうか」
「……」
「冗談だ。看護婦を呼ぶ」
そう言い置き、円城寺刑事がカーテンを閉めずに病室から去る。本当にナースステーションに向かったのなら良いが、とわたしが配していると、やがて看護婦がやってくる。が、円城寺も一緒だ。
「腹の拘束は緩める必要があるからな」
そう言い、布団を捲るとベルト式の拘束を緩め始める。
「心配しなくて覗かないよ。ただし、ここを離れることはできない」
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