記憶の内の殺人
り(PN)
1 覚
怖ろしい何かを感じ、ハッと目が覚める。天井が白い。音が聞こえる。規則正しい機械音。
……と言うことは、ここは病院のベッドだろうか。
左右に首をまわす。少しの違和感。何だろう……。部屋の中に人はいない。少なくとも、わたしに見える範囲では……。カーテンが視界を遮っている。ベッドのぐるりを覆っている。だから外が見えない。窓も見えない。が、それ以上に、わたしを焦燥させたのは……。
わたしは誰だ。わたしは自分が何者なのか思い出せない。
事故の後遺症だろうか。テレビや映画や見たことがある。よもや、そんなフィクション染みた出来事が自分自身に起きるとは……。過去に一度も想像したことがない。いや、もしかしたら、あるのかもしれない。今のわたしが、それを思い出せないだけで……。
事故の後遺症か。
そう思ってみれば、全身が痛いような気がする。試しに右腕を上げようとすると確かに痛い。が、痛み自体はそれほどでもない。けれども感覚が妙だ。肘の少し上の辺りに拘束感がある。それが腹部をまわり、左腕まで続いている。更に手首が動かせない。それで、まさか、と思い足首に力を入れると、そこも拘束されている。が、それ以上に驚いたのは……。
痛みを感じ難いようにクッションが宛がわれ、自由に首をまわせるほど緩いが、首までもが拘束されていたことだ。
いったい、わたしは何をしたのだ。この状態は何を指し示しているのか。
すると……。
叫び声が聞こえる。部屋の外からではない。わたしの中からだ。わたしの記憶の中で誰かが叫んでいる。
男……。年は若い。二十代だ。わたしの記憶が教えてくれる。自分が誰だかわからない、というのに……。
ついで女の悲鳴が聞こえてくる。断末魔の叫びだ。それから刃物を刺す感触。わたしの右手が覚えている。わたしの右手が……。それでは、わたしが女を殺したのか。
次に聞こえてきたのは子供の叫びだ。わたしの両手が覚えている。ナイフではなく、扼殺したようだ。けれども果たしてそんなことが現実に起こり得るのか。
叫びの記憶はまだ続く。結局、七人が死んでいる。わたしの目が確認したから間違いない。最初の一撃で死ななかった相手には再度衝撃を与え、あるいは再再度衝撃を与え、確実に殺したようだ。
わたしの全身が覚えている。怖ろしい。忌まわしい。
けれども実感が薄い。相手を殺した実感が薄いのではない。怖ろしい、忌まわしい、という実感が薄いのだ。逆に愉しんで殺したような感覚がある。
精神異常者。快楽殺人者。サイコパス……。
わたしの頭の中に、そんな言葉が浮かんでは消える。けれども実感は薄い。いずれにせよ、自分が誰だかわからなければ、様々なことに対して実感は薄いままだろう。
そう思い、再度己の拘束を確認する。腹上部と手首、足首と首回りだ。間違いなく存在する。夢ではない。今のこの現実が夢ではないのならば……。
そんな状況に、わたしが途方に暮れていると靴音が聞こえる。廊下からまっすぐ、部屋の中に入ってくる。躊躇なく、淀みない足取りだ。それが、わたしのベッドの前で止まる。ついで、わたしの視界を覆うカーテンを開ける。紺のスーツを着た男だ。背が高い。少なくとも百九十センチメートルはあるだろう。
その男がわたしの目を覗き込み、低い声で言う。
「お目覚めのようだな、殺人犯さん」
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