第5話

 夜ご飯を食べ終えた自分達は、皿などを台所に運んでいた。

 あんなにあったカレーもすっかり空になるのだから恐ろしい。

 自分もその一因ではあるのだが。


 「ありがとう真琴ちゃん! あとはおばさんがやっとくから。今日は泊まってくの?」

 「ありがとうございます! 今日はこの後すぐ帰ります、親に今日帰るって言っちゃったので……」

 「わかったわ〜、また来て頂戴ね。多器〜! 真琴ちゃん送ってあげて〜」


 カレーが入っていた器を持って行こうとしている所に、台所から母親の声が届く。

 

 「わかった〜、洗いもん頼んだわ」

 「私二階の荷物取ってきちゃうね〜」


 そそくさと真琴が二階に上がっていく。

 手荷物はパソコンだけしか持ってきていなかったから、すぐに下に戻ってくるだろう。

 真琴と入れ違いで台所に入ると、母親にカレーの器を渡した。

 

 「帰りにスーパー寄ってきてもいい? アイスが食べてたくなって」

 「あ、それなら母さんたちの分も欲しいわ。父さんにも聞いてみて、母さんはあの二個入りの……えーと」

 「もちみ大福?」

 「そう! 助かるわ〜」


 夏になるとアイスが食べたくなるのは本能に近いのだろう、あんなに食べた後なのにアイスは別腹だと脳が指令を出してくる。

 玄関に置いてある財布を持って、一足先に外へ出る。

 

 「お邪魔しました!」

 「はーい、また来なよ」


 程なくして真琴が玄関を開けて出てくる。

 父親が手を振っているのが見える、母さんは洗い物中か。

 

 「忘れもんとかないか?」

 「多分大丈夫」


 その多分は信用ならないが、見る限り最低限パソコンと通学バックは持っているから、明日困ることはないだろう。

 暗闇の中、最低限の街灯を頼りに進む。

 今日も月が綺麗に見える。

 月がほのかに照らした地面が青白く色づいていた。


 「今日は助かった〜。ありがとうね!」

 「一番は月堂にだけどな〜」

 「確かに」


 てこてこと先を歩く真琴はどうやらご機嫌らしい。

 にこやかにこちらを振り向く。


 「こうやって二人で歩くのも久しぶりだね〜」

 「三人でいることの方が多いしなー……そもそも朝ギリギリに登校するからだろ……」

 「ま、まぁそれが原因なのはわかってるけど」


 家から学校は自分が一番遠く、その次に真琴と月堂が分かれ道でほぼ同じ距離になっている。

 また日直も週二の当番制のため、遅刻さえなければちょこちょこ二人で行くことがあるはずなのだが、如何せん朝があんなもんだからレアなケースとなっている。


 「明日は遅刻するなよ、夜更かしとかあんまりしすぎると良くないぞ?」

 「早めに寝てるんだけどなぁ〜......どうしても朝は布団が恋しくって」


 まあ気持ちはわかる、どの季節でも布団ほど居心地がいいものは無い。

 

 「え、何時に寝てんの?」

 「23時には寝てる」

 「はっや……逆になんで起きれないんだよ」

 「だから布団が恋しくって」

 

 結局はそこに落ち着く。

 寝坊の理由のラスボスみたいなもんだし、しょうがない。

 そんな他愛ない会話をしながら歩みを進めた。

 

 「そういえばさ、多器って東京でその、彼女とかって作るの?」

 

 もう少しで真琴の家に着くだろうか、そんな最中に急に真琴がぶっ込んだ質問をしてくる。

 

 「いずれかはそう思ってるけど。なんだ? 彼女できなさそうって俺に対しての当てつけか?」

 「いや、できなさそうだなぁ〜とは思うけどね」


 煽りかよと、歩みを止めた真琴の後ろ姿に返す。

 不思議な空気だ。

 自分だって馬鹿じゃない。

 鈍感だとも思わない。

 少しづつ自分の鼓動が速くなるのがわかる。

 

 「えっと。そのね。えー……」


 自分の手がソワソワと行き場を失う。

 びっくりだ、自分の体ってこんなにも分かりやすく動くもんなんだな。

 

 「私……うー……その」

 「その?」

 「その……」


 寿命が縮むのでは無いかと思うほどに心臓が跳ね回る。

 頭が真っ白だ、頼むから心臓くんはトランポリンから降りてほしい。

 このままだと言葉を発するときに、さっきのカレーとご対面することになる。

 そんなことを考えていると、真琴が意を結した顔でこちらに振り向き。


 「ご、ごめん明日! 明日また夜に! 夜に言うから! また明日!」


 遠くに見える真琴の家へと走り去っていった。

 おぅと腑抜けた返事も届いたかわからない速度で駆け抜けていったため、しばらく放心状態でその場に立ち尽くす。

 

 「でも、明日。明日かぁ」

 

 やっとの思いで思考を整理して言葉を発すると、にやけた顔を手の平で捏ねながら歩き始める。

 ただ、この調子だと明日もこんな感じでまた明日となりそうな気がする。

 そうなると......そうだな、明日。自分から。

 なんとなく自分の中での恋愛観では告白はこちらからという意識があって、チャンスがあるならとそう決意した。


 「でもどうしよう。なんていえばいいんだ……ど直球にすき……やばいな。こ、これ真琴があんなになるの分かるわ……」

 

 と、とりあえず今日はこのままスーパーへ向かおう。今行ったってこうしてキョドって終わりそうだし。

 そんなうわついた足でしばらく歩いていると、後ろから車の音が聞こえた。

 

 「おーう。こんな時間に一人は危ないぞ。俺が不審者だったらどうすんだ」


 林田先生が車の窓を開け、こちらに意地悪そうに顔を覗かせる。

 

 「大体この時間は先生しか車走らせないから安心すよ……」

 「そういう慢心が事件に繋がるんだ。まぁ実際俺以外走ってないけどな。そういえば今日は多器の家で集合じゃなかったか?」

 「真琴を送った帰りです。あ、でもこの後スーパーよって帰りますけど」


 普段からあまり気力を感じない先生だが、眠そうな目をしてコーヒーを片手に運転しているのを見るといつか事故るんじゃないかと心配になってしまう。

 

 「あー、なるほどな。よかったら乗ってけ、スーパーってあれだろ近くの方でいいんだよな?」

 「半無人の方であってます。乗ってっていいんすか!」

 「ちょうど先生もこれ切れたんだよ」


 林田先生が手に持ったコーヒー缶をぶらぶらと揺らす。

 自分は助手席の方へ回り込み、シャープな形の扉を開け車に乗り込む。


 「あざます!」

 「おう。にしてもお前目立つようになったな。車で轢かれる心配は少ないな」


 手を頭の上でくいくい動かしてくる。

 

 「自分では分かんないんすけどね、自分でも目立つとは思いますよ」

 「そりゃそうだ」


 林田先生が鼻から息を漏らすように笑う。

 ちょこちょここうして林田先生の車に乗ることはあるのだが、ミラーにぶら下がってる謎のキャラクターが気になる。

 『れ!』と言う文字に手足がついていて、顔はない。


 「先生。このキャラクターってなんですか」


 いい機会だと思い、目の前で車の揺れに乗じてぴょんぴょこ跳ねるそれを指差す。


 「あぁ、それは事故フリックくんだ」

 「事故フリックくん……あ、じゃあ奥に置いてある濁点のついた『ま』は?」

 「あーそれは、事故タップくんだ。余ってるけどいるか?」

 「……いらないっす」

 

 誰が売ってるんだそんな局所的な需要の商品を……。

 しばらく目の前で跳ねる『れ!』を眺めていると、こいつの意味も相まってなんとなくイラっとする。


 「なんか今日いいことあったか?」

 「え、いや特に? いま事故フリックくん見てなんともいえない気持ちになってました」


 顔をしかめてるのにも関わらず林田先生がそんな質問をしてくる。

 

 「事故フリックくん可愛いだろ……そうじゃなくてさっき会った時嬉しそうな顔してたからな」

 「あー……この後食べるアイス想像してて。なんすか!」

 

 見透かしたようにこちらをにやけた顔で見つめてくる。

 普通に恥ずかしいからやめてほしい。


 「いや、多器の浮かれ顔が見れるなんてな。ほら、お前はなかなか感情を表に出さないからな」

 「え? いや俺結構感情豊かだと思いますよ?」

 「もっと内側のことだ。お前は喜怒哀楽とかしっかり出てるが、それ以上がないから心配だったんだよ。自分の感情がどこかセーブされてるやつは結構いるぞ? 自分でも気づかないうちに明るく振る舞って、そしていつか限界が来る。お前の親もそれを心配してたんだよ」

 「マジすか……⁈ そう思ったことはないけどなー……」

 「本人はな。まぁ身長と似たようなもんだ」


 自分では相当自覚はないが、何年間も自分を見ている人が言うのだからそうなのだろう。

 でも、録画とかし忘れたりした時は普通に悲しむし、月堂とも何回も喧嘩したことあるし……。

 

 「ほら今日は真琴となんかあったろ?」

 「……ッ!」


 首を傾げてるところに、なんとなくといった口調で林田先生が確信をついてくる。

 思わず背筋を伸ばしてしまった。

 そんな様子を見た林田先生は、珍しく口を開けて笑うと自分の肩を軽く叩いてくる。

 

 「いやー。まーこうして段々とお前のいろんな感情が見れるようになって先生は嬉しいよ。今は思わなくてもいつか本当に心から怒ったり、泣いたり、喜んだりできるといいな」

 「怒るとか、泣くのは嫌っすよ」

 「まぁ、なくて困らないが、あっても経験だ。うし、ほらもうすぐ着くぞ」

 

 腑に落ちないが、今は分からないというのは一理あるので覚えておこうと思う。

 車がスーパーの小さな駐車場に止まると、シートベルトを外し車から降りる。


 「あざました! 俺は自分より先生の方が感情を表に出してほしいっす」

 「余計なお世話だ。……あれ」


 林田先生が何かを探すように自分のポケットを叩く。


 「あー……スマホ学校に置きっぱなしだ。先生一回学校に帰るよ、ここでお別れだな。気をつけて帰れよ」

 「はーい先生も事故んないでくださいねー」


 そんな言葉にヒラヒラと手を振って、重いエンジン音と共に去っていった。

 感情ねえ。

 ……うーん、あんまり難しいことを考えるのはよそう。朝の都会ボーイ論争といい、課題といい真琴の事といい今日は疲れてしまった。とりあえずアイス買って帰ろう。


 店の中から流れてきた冷風を感じながら自動ドアをくぐった――。

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