第18話 3限目:戦闘技術概説

 戦闘科の2限目は英語だ。

 2045年にアメリカが滅ぼうと、とある暴動によってイギリスの国際的な影響力が落ちようとも、言語を取り巻く旧時代の風習は変わらず、2100年においても英語が世界共通語としての地位を保持し続けていた。

 そのため世界的な機関であるOWDC、その中でも特に戦闘科では英語の修得が義務付けられていた。

 しかし今は2100年。自動翻訳技術が大幅に進歩しているため、わざわざ英語学習に時間を割く必要性を疑う声も上がっていたが、戦場ではいかなる場合でも意思疎通の即時性が求められたためにその批判は退けられていた。

 OWDCにおける英語という科目については一般の教育機関と比べて高度化しているという点においては異なっていたが、それ以外においてはさして異なる点もないため、生徒たちにとって今日が初回の授業であったが、特筆すべきこともなく、ただただ緩やかに時間が過ぎていった。OWDCといえども英語の授業の在り方はおおよそ普通の学校と同じだった。

 しかし、問題は3限目。つまり午前最後の授業の「戦闘技術概説」。

 もちろんこんな科目が普通の学校に存在しているはずがなく、これもまた深淵史と同じくOWDCの戦闘科にのみ存在する科目だった。


「よし、全員いるな。それじゃあ戦闘技術概説を始める」

 

 神無が教室を見渡す。既に授業開始を告げる鐘は鳴り終わり、全員が席に着いていた。


「この授業ではお前らが今後の演習や訓練、最終的には使者と戦う上で必要不可欠な知識を最低限全て叩きこむ。例えば武具の扱い方や実践的な戦術、その他重要な専門的知識などだ」


 ようやく戦闘科らしいことが始まると言わんばかりに、生徒たちの身体がピクリと揺れる。


「いいか、今までも授業は聞かなくても別に死ぬことはないが、この授業の内容をおろそかにすると最悪死ぬから気をつけろ。だから分からないことはすぐ質問するのが吉だぞ」


 神無の口調は相変わらず軽かった。


「ということで授業に入るんだが、まずこれを見てくれ」


 神無は教卓の陰から一着の黒いスーツを取り出した。

 艶のある上品な黒、ではなく、まるで光を吸い込んでいるかのような不気味さを感じさせる黒を基調として、灰を少し混ぜたような濁った白色のラインが、主に身体の輪郭を沿うようにして、所々に装飾されていた。


「お前らも見たことはあるだろうし、実際に一度は似たようなものを着たはずだ」


 神無の言う通り、そのスーツは生徒たちが入試の時に着用したものとほぼ同じだった。


「これはOWDCの戦闘員が実際に装備しているスーツ、"リビングスーツ"だ。俺たち戦闘員にとって重要な代物だな」


 神無はその重要な代物を乱暴な手付きで教卓に載せると、両手をその上に押して付けるように置いた。


「今回の授業はこのスーツについて扱う。そして午後の演習で、実際にスーツを扱う訓練を行ってもらう。いいな」


 生徒たちはすんなり受け入れると思いきや、どこか突っかかりがあるかのような煮え切らない表情をほのかに浮かべた。

 そこに、彼らの思考をまとめて代弁するかの如く、秋人が声を上げた。


「センセー。そのスーツって入試の時に使ったやつですよね。俺らあの時にちゃんと使えてたし、わざわざ説明する必要なんてなくないすか?」


「まぁ、そのことも併せて説明するからちゃんと聞いとけよ」


 神無は支えていた手を離して姿勢を正した。


「最初に言ってしまえば、お前らが入試の時に着たものとこれは同じものではない。じゃあ何が違うのかっていう話だが、それを説明するにはまず原理から入る必要がある」


 「原理」という少し難解そうな言葉を前に生徒たちは身構える。


「お前らは入試の時にあのスーツを着て、生身の人間では到底たどり着けない力の数々を体験したはずだ。しかし、だ。その力の原動力エネルギーは一体どこからくる? 電力か? んなわけないよな」


 問いかけるような口調で神無は話す。


「いいか。俺たちに使者を倒すだけの力を授ける原動力エネルギー、それは、"生命力"だ」


 生命力という単語に一部の生徒が首をかしげる。


「ちなみにだ。OWDCで使っている武器防具その他道具の類は生命力を用いるのが基本なんだが、そういったものを"生体デバイス"と俺たちは呼んでいる。このスーツも例にもれず生体デバイスの一つで、繰り返すが"リビングスーツLiving Suit"と言う。"生きているスーツ"という名の通りこのスーツは、というか生体デバイス全てが実際に生きていて……まぁ、使者の素材を」


「センセー! その生命力ってなんすか?」


 延々と続く神無の話を無理矢理遮って、秋人が突然に質問をぶつけた。

 何人かの生徒は、よくやったと言わんばかりの顔をしていた。


「あぁすまんすまん。そういえば一応、公にはなっていないことになってんだっけな、あれ。まぁ、生命力は魂の波動だ」


「……? よくわかんないっす」


「いいから黙って聞いてろ。まず生命に魂があると仮定する。その魂を根源として滲み出る精神的なエネルギー。それが生命力だ。普段生命力は気分の浮き沈みや活力といったものに作用していて、例えば生命力に満ち溢れている時には明るい気分になりやすいし、少ない時には沈んだ気分になりやすい」


「……はぁ」


「そうだな……魂が持つ力とでも、精神世界の血液とでもそんな感じのイメージを持ってくれればいい。あぁそういえば、お前ら昨日、旭の異能見ただろ? あの時、あいつの身体から赤いもやというかオーラというかそんな感じのものを見なかったか? あれは可視化された生命力だ。普段見えないだけで生物が生きている限り体から滲み出ているんだ」


 生徒たちは各々の頭の中で昨日の旭を思い出して頷く。

 話に出された旭も一緒になって頷いていた。


「生命力は、魂から流れ出た生物の原動力そのものだ。普段目には見えないが、それはまるで血液のように体を循環し、生命力が尽きれば人は死に、その逆も然り、人が死ねば生命力は尽きる。というわけなんだが、俺もこれ以上詳しいことはよくわからん。完全に究明されているわけでもないしな。どうだ、分かってくれたか」


「うーん……はい、何となくは。ちょっと抽象的な感じでまだ上手く飲み込めないっすけど。多分」


「まぁ、今のところはそれでいい」


 秋人は口を閉じ、手のひらで頭を押さえて俯いた。秋人は生命力という理解し難いふわふわした概念を自分に落とし込むために、脳内でそれと格闘し始めたのだった。


「先生。ですがどうやってその生命力を力に変換するのですか? 聞いている限りでは電力のような単純な物理的なものでもないと思うのですが」


 頭を悩ませている秋人に変わって、今度は誠が訊いた。


「なるほど、いい質問だ」


 神無が頷く。


「だが、その質問に答えるにはまず使者についての多少の知識がいる。一つ目は使者は超特殊なケースを除いて死ぬことがないということ。使者を倒すとは言うが、俺たちはただ仮死的な状態にしているにすぎない。そして、やつらの原動力が生命力であるということだ。普通の生物と違って、やつらは生命力で動いている。これが二つ目だ。それと使者はその身体に原動力である生命力を流すことで強大な力を得ている」


「それがどう繋がるのですか」


「まぁ聞け。バラバラにされた使者の残骸は生命力の供給がゼロに近くなるため本来の力を失う。そこでだ、さっき秋人に遮られて言えなかったが、生体デバイスは全て仮死状態の使者の素材を用いて作られているんだが、これら生体デバイスに生命力を流し込むと、その供給量に応じて使者本来の持つ強大な力を得る、といった具合だ」


「……なるほど」


「つまりだ。生命力を何か別の力に変換してるわけではない。ただ使者の残骸に喰わせているだけだ。もしお前が使者の身体、ひいては残骸が生命力をどのように原動力エネルギーへと変換しているかのプロセスが知りたいのならば、すまんが期待に添えそうにない。そこら辺は技術部の専門なんだ」


「大丈夫です。ありがとうございます」


 明瞭な返事をする誠とは裏腹に、多くの生徒が頭を抱え始めていた。


「まぁ長々喋ったが、簡単に言えば生体デバイスは、生命力を与えることで、人智を超えた力を得る代物だということだ。"生体"デバイスの由来ももう分かっただろ?」


 頭を抱えていた生徒たちは考えることを止め、神無の言う簡単な概念の方を受け入れることにシフトした。


「それでだ。結局このスーツと入試の時のスーツの何が違うかと言うとだな、入試で使ったやつは、生命力の大小にかかわらず一定の決まった力が発揮できるように改造が施されている。一方で戦闘員が使うスーツは使用者が供給する生命力によって発揮できる力が左右される」


 なるほど、と生徒たちは首を上下させる。


「お前ら今まで生命力を意識して生きたことなんてないだろ? だからだ。スーツに上手く狙って生命力を流し込む訓練とその説明をする必要があったんだ」


 ついに疑問が解き明かされ、生徒たちは納得がいったとでも言うような表情になっていた。


「そんで、今日の午後の実習はもう分かったと思うがスーツの訓練を行うんだが……靜慈と秋人」


 急に名前を呼ばれて2人の背が跳ねる。


「廊下にでかい箱が2つあるからちょっと持ってきてくれ」


「あ、はい。分かりました」


 2人はすぐさま席を立ち廊下へ出る。そこには中は見えないが、何かがパンパンに詰め込んであるだろう箱が2つ置いてあった。

 2人は腰を痛めないようにゆっくりとそれを持ち上げる。


「うっ、おも……」


 予想以上の重量に靜慈が言葉を漏らす。


「大丈夫か?」


 その体格の良さは見た目だけではないようで、秋人は軽々とそれを持ち上げた。


「ああ」


 2人は再び教室に入ると、神無の「ご苦労」という声と同時にそれを床に置いて席についた。


「さて、2人にこれを運んでもらったわけだが、話の筋から分かると思うがお前らのスーツが入ってる。昨日、採寸やらなんやらしただろ?」


 神無の言う通り、生徒たちは昨日の旭と靜慈のあのいざこざの後、特に理由も告げられず採寸をされていた。昨日、神無が去り際に告げた予定がそれだったのだ。


「それから技術部に多大な努力をしてもらい、およそ半日で全員のスーツをこしらえてもらった」


 神無は軽く言うが、他のクラスも併せると戦闘科の生徒数はゆうに数百人は超えている。そのため、実際どういった工程だったのかは知らないが、技術部の人達の労働を考えるとどんな感情よりもまず先に申し訳ないという気持ちになった。


「よし、今日の授業は早めにもう終わることにする。この後で各自にスーツを配布するから、余った時間でスーツに不備なんかがないか確認しといてくれ。あとそれと、午後からは訓練場で演習を行うが、授業の前に毎回必ずスーツを着用しろ。わかったな」


 生徒たちが「はい」と揃って返事をする。


「じゃあ、起立。礼。それじゃあ、スーツを配るから、おい、靜慈と秋人、今度は配るの手伝ってくれ」


「分かりました」


 靜慈と秋人は、特に靜慈は神無にこき使われることに不満を抱きつつも席を立った。

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