第19話 予習復習
3限が終わり、大学校の生徒たちは昼休みに入っていた。
大学校は食堂も購買代わりの自販機も充実しているためそれらで昼食を済ませる生徒もいれば、弁当を持参してくる生徒もいて、昼食の方法は様々だった。
しかし戦闘部に限った話をすると、彼らはほぼ全員と言っていいほど食堂で食事をするのが常だった。それもそのはず、戦闘部の学費免除の中には学食の費用も含まれていたため、彼らは皆、それを利用しない手はなかった。
靜慈もまたその例にもれず、食堂のテーブルに座っていた。さらに靜慈の他にも、秋人、誠、十全の3人が同じテーブルを囲んでいた。
「いたただきます」
4人は軽く手を合わせてから箸を手に取り、各々昼食を口に運び始めた。
「ところで、お前……名前なんつったっけ」
十全が誠の目を見る。
「あぁそういえばまだ言ってませんでしたね。僕は正道誠です。あなたは?」
「俺は下総十全だ」
十全は名を言い終わるのと同時に米を口に運ぶ。
「あれ? お前ら初対面だっけ?」
「……そりゃそうだろ。ていうか俺とお前も今日知り合ったばっかなの忘れてんのか? そもそも昼休みになった瞬間にお前が、俺と靜慈と誠を強制的に連れ出したんだろうが」
「そういやそうだな」
呆れたように十全が息を吐いた。
「まぁよろしく頼むよ」
「はい、下総さん」
2人は互いに目配せをした。
「ところでさ、みんなは今日の授業分かった?」
話題を強制的に変える必殺の呪文「ところで」を使い、秋人が2人の流れを断ち切る。
「はい。僕は完璧ですよ」
「俺もだ」
「俺もまぁ、だいたいは」
「えぇ~マジかー」
3人の答えを聞いた秋人は肩と頭を下げた。
「俺、全然分かんなかったんだけど」
食べ物を咀嚼しながら、「思った通りだな」と言わんばかりに十全が無言で首を上下させる。
「3限の戦闘技術概説は俺も理解しにくかったし、まぁ分からんでもないな」
秋人に同情しつつ靜慈は頷いた。
「いや、3限だけじゃねぇ。俺は1限すらサッパリだ」
「じゃあ、例えば何が分からなかったんだ?」
「そりゃぁさっきから言ってるだろ? もうほとんど全てさ。初っ端の突発性きこうナントカカントカから分かんなかったわ」
「……流石にその位は一般教養じゃ」
靜慈が驚きの声を漏らす。十全は、口の中に食物が入っていたため何か言葉を発することはしなかったが、髪で隠れていない左目から懐疑的な圧を飛ばしていた。
一方で誠は、「世間には色々な人がいるなぁ」と、ある意味で関心しながら秋人を見ていた。
「昔っから興味ないことはすぐ忘れちゃうんだよなぁ、俺。きっとそれも昔の俺にとっては必要ない情報だったから優先的に記憶から消されたんだろうよ」
「そんなんでよく入学できたな」
「まぁまぁ、そんな過去のことなんて置いといてさ、お前ら今日の授業大体分かってんだろ? 教えてくれよ~」
秋人が3人の表情には目もくれず、「頼むよ~」と体をくねらせる。
「分かりました! ではこの僕が教えましょう! 座学なら任せてください!」
誠が勢いよく席を立った。誠の顔はどことなく嬉しそうに輝き、声調は今日聞いた中で最も明るかった。
突然の動作とその熱意が感じられる声に他3人は一瞬気圧されていた。
「あ、あぁ、よろしく頼む」
「はい! じゃあまずは突発性気候変動について教えますね」
誠がそう言いながら再び椅子に座った。
頭の位置が動いて光の当たる角度が変わったせいで誠の眼鏡が一瞬だけ光る。
「突発性気候変動とはですね、今から約60年前、2037年に北欧で起きた大規模な気候変動のことを指します。突発性とあるようにこれは何の前触れもなく、夏真っただ中の8月に真冬と同じ気候に変化したと言われています。具体的にこの被害にあったのはロシアの西部と北緯約50度以北のヨーロッパ地域ですね。この気候変動によってそれら地域は一年中極寒な地域へと変貌しました」
「なるほどな。でもよ、それの何が使者と関係してるんだ?」
「そうですねぇ。神無先生が"フリジットランド"って言ってたの覚えてますか?」
「んぁー、確かそんなこと言ってたのを覚えているような……覚えていないような……」
「まぁ簡単に説明しますと、この気候変動に遭った地域を総称して極寒の地、つまりフリジットランド(Frigid Land)と呼ぶんです。そして、2041年にヨーロッパは使者によってほぼ壊滅しますが、このフリジットランドは陸続きでありながら何の被害も、そもそも使者の1体すら観測されなかったと言われています。ヨーロッパ大陸で唯一そこだけが使者の魔の手から逃れたんです。そのために、神無先生も言っていたように、フリジットランドは"使者の忌み地"とかつて呼ばれていたんです」
誠の声には熱がこもり、人に何かを教えるという行為を通してとても生き生きしているように感じられた。
「ほーん。それについては大体わかったんだけどさ、話の途中でヨーロッパとかロシアとか地理の話が出て来たじゃん? そもそも今の世界ってどういう状況なのさ」
「あー、それは俺もちょっと確認したいかも」
今まで話を聞くことよりも昼食を食べることに集中していた靜慈が、しばらくぶりに口を開いた。
「分かりました。ちょっと待っててください。えーっと……」
誠が手をもぞもぞさせてポケットの中を確認する。そしてポケットの中身を確認すると、今度はキョロキョロと周囲の床を見る。しかし床には何もなく、掃除の行き届いた床が光り輝いているだけだった。
「あのー、地図を見せながら説明しようと思ったんですけど、多分どこかに置いてきてしまいました。流石に地図無しじゃちょっと難しいですね、すみません」
誠が申し訳なさそうに肩を落とす。その肩を秋人が慰めるように叩いた。
すると、しばらくの間存在感を出さず、食事に熱心だった十全が、2人の様子を前にして喋り始めた。
「それなら代わりに俺が教えてやるよ」
「え、マジ。教えてくれんの?」
「話聞いてるだけじゃ退屈だしな。誠もそれでいいか?」
「はい。僕が不甲斐ないばかりに。お願いします」
誠の言葉を聞くと、十全はズボンのポケットから例の伸縮自在のスマホを取り出すと、画面を少しいじった後、それをタブレット端末程の大きさに広げてから机の中央に置いた。
3人がそれを覗き込む。
「これが今の国の状態を表した世界地図だ」
そこには少し歪な世界地図が表示されていた。
「んで、まずここが日本」
「流石にそれ俺でも分かるわ!」
秋人の活きのいいセリフが飛ぶ。
「すまんすまん。ちょっとからかってみただけだ」
十全は秋人の予想外の勢いに驚いて少しだけ笑っていた。
「まぁ冗談はさておき、この地図を見て何か気づくことがあるだろ?」
「確かに。海を除いて地図全体が緑と黒で塗り分けられてるな」
「その通りだ、靜慈」
彼らが囲む地図は、陸地が緑と黒という絶妙に歪な対比の2色で塗りつぶされている。
「説明すると、緑色は現在使者の被害を受けていない場所で黒色は使者に侵略された場所を示している。ほら日本なんてほとんど緑で、ヨーロッパは真っ黒だろ」
「あーほんとだ。ヨーロッパと北米、中米あたりは真っ黒だ」
「あ、でもヨーロッパでもまだ緑色の場所があるぞ……えーっと……イギリス、ロシア……国の名前がわかんねぇや」
「お前……世界情勢にとことん興味がなかったんだな」
十全はまたもや秋人の無学に呆然とした。出会った初日なのにもかかわらず、十全は今日だけで既に何度秋人に呆れた感情を向けたのか分からなくなっていた。
それに対して秋人は、幼い子供のようにお茶目さをアピールするような態度をとったが、3人に真顔を向けられ、彼もまたすぐに無言で真顔に戻った。
「ん゛ん゛っ」
十全が咳ばらいをして場をリセットする。
「ヨーロッパで残ってるのは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドのスカンディナビア三国、イギリス、西部を除いたロシア、あとは多少の地中海の島とスペイン南部にOWDC管轄のコミュニティが残ってるだけだな。残りは全部崩壊してる」
「他の所はどうなってんだ?」
「他に被害が著しい場所は例えば北米と中米だな。コロンビア以北の大陸国家は全滅している。さらにイランから紅海にかけてのアジアの地域とか、コーカサス地方とかも全滅だ。あとは地図を見る限り、現に使者の被害を受けている場所や国は他にもあるが、滅ぶまでには至っていなようだな」
地図の表示を見ると、ヨーロッパや北米、中米、西アジアの一面が黒く塗りつぶされているのに対して、他の場所では大小様々に黒の模様が転々としてるだけだった。
「よし、こんなもんでいいか?」
「ああ。ありがとう」
「助かったぜ、サンキューな!」
「別に礼なんか……」
その言葉とは裏腹に、十全の顔はまんざらでもなさそうだった。十全は照れ隠しか、必要以上にてきぱきとスマホを片付けてポケットへとしまった。
そのようにそわそわしていた十全の一方で、秋人が再び何か悩んでいた。
「どうしたんだ、秋人」
靜慈が声をかけると、秋人は眉間を寄せ、目線を上に向けたまま言った。
「いやぁ、さっき使者の忌み地であるフリジットランドがどうとかって教えてもらったじゃん? でもさっきの地図と照らし合わせてみるとさ、使者の忌み地とか言ってる割にほとんど滅びてね? なんか名前との
「あぁそれは……」
「そのことなら僕にお任せください!」
靜慈と重なるように誠が口を開く。誠は水を得た魚のように生き生きしており、彼の勉学、ひいては知識に対する熱意には勝てないと悟った靜慈は話すことを止めた。
「これはですね、あのロートローゼンの戦いが関係してきます」
「あー、今日の授業でやりきれなかったとこか。んじゃ俺が分からなくて至極当然って訳だ」
秋人は相変わらずに自分の知識のなさを躊躇なくさらけ出していた。その様子は悪く言えばプライドがなく、良く言えば何事にも恥じないような態度だった。
「んで、そのロートローゼンの戦いってのは何だ?」
「ロートローゼンの戦いは2093年にフリジットランドで起きた大規模な使者災害です。さっき僕はフリジットランドが使者の忌み地と"かつて呼ばれていた"と言いましたよね。そうです、この災害によってフリジットランドはスカンディナビア三国を残して滅びました」
「そうか。それで今に至るってわけだな。それで、実際何が起こったんだ?」
「確認できる記録によると、2093年1月1日にドイツ南部方面を始めとして、突然使者がフリジットランド各地に現れたと言われていますね。何の前兆もなく、さらに使者の強さも異常だったため、現地の戦闘員の応戦虚しく、各国の応援が到着する前にその戦いは決していたと言います」
「なるほどなー……」
秋人は納得したような口ぶりと素振りをしているが、彼の表情はまだ何か悩んでいるように見えた。
「どうかしたか?」
秋人の正面に座る靜慈がいち早くそれに気づく。
「いやー、深淵史の授業の最後でセンセーがこの事件について話そうとした時さぁ、旭ちゃんの様子が変だったじゃん? あれ、何だったんだろうって思って。みんななんか知ってる?」
「いえ僕は何も」
「俺もだ」
「同じく」
「う~ん、気になるなぁ」
入学2日目で、ましては女子生徒、はたまた近寄りがたい雰囲気を漂わせている旭の情報など、この中の誰かが持ち合わせているわけがなかった。
「そういえば旭ちゃんで思い出したんだけどさ、
説明を期待するように輝く瞳を秋人が誠に向ける。
しかし、再び解説を期待された誠の様子はこれまでのように生き生きとしたものではなく、それとは対極にもじもじと困惑した表情を浮かべていた。
「いやぁ、実は異能については、そういった特殊能力が存在している、といった情報しか知らなくて……すみません、僕も分からないです」
秋人はそれを聞くと、そのまま瞳を黙って靜慈の方にゆっくりと向けた。
「いや、俺も知らん」
秋人は再び顔を動かし、最後に十全の方を向いた。
「俺は一応知っているが」
秋人は無言ですぐさま両手を合わせ、教えを乞うポーズをとった。
誠もまた
「僕からもお願いします」
と頼んでいた。
「別に構わんぞ」
2人の顔が明るくなった。
特に誠の方は、新たな知識を得られるという快感に震えていた。
「
3人は顔を見合わせて目で会話し、首を横に振る。
「確かに。OWDC関連のニュースじゃよく目にしますけど、実際に見たことはないですね」
「そうだろ。奇妙な話だが、今まで確認できた保持者のほとんどがOWDCの戦闘員だったんだ。つまり異能が発現するのは……」
十全がそう言いかけた時、突然彼のポケットから電子音が鳴りだした。
彼はポケットからスマホを取り出して画面を見ると、大きなため息をついた。
「すまん、話の途中だがちょっと用事ができた。俺はさきにお
十全はそう言い残すと、とっくに食べ終わっていた昼食のお盆を持ち上げて、ぶつぶつと何かを呟きながらさっさとその場から去ってしまった。
十全がどこかに行ってしまったことで話を最後まで聞くことができなくなってしまい、誠は残念そうに肩を下げていたが、それとは対照的に、靜慈の顔は悪い笑みを浮かべていた。
「おい、聞いたか。異能の発現条件」
靜慈はどことなく嬉しそうにしている。
「あぁ聞いたけど、どうした」
「十全の話が本当なら、異能は後天的でOWDCの戦闘員に多いんだろ。つまり」
「つまり?」
「つまり俺たちもこの先、異能が発現する可能性があるってことじゃないか?」
「あー、よく考えればそうだな」
「だろ? 使者に対抗できる異能があれば出世街道間違いなしだ。きっとすぐに大金が稼げるぜ」
捕らぬ狸の皮算用の如き妄想と共に、靜慈は不敵な笑みを浮かべる。
しかし、邪悪さをも少し感じさせる様子の靜慈は、すぐに誠に
「靜慈君、僕たちだけの時ならまだいいですけど、周りに人がいるような場でお金だのなんだの話はもうこれ以降しない方がいいですよ。それが原因で昨日、僕と口論しましたし、旭さんにだって殴られたんでしょう? もう人の主義にとやかく言うつもりもありませんが、時と場合を考えたほうが今後のためですよ」
誠の表情と声調は真剣そのもの。さらには昨日のファーストコンタクトで見せた不快感も入り交じっているようだった。
誠と靜慈は昨日の口論の後で和解し、今こうして友人として振舞っているが、誠は決して靜慈の主義信条を許したわけではなかった。
「すまん、悪かった」
靜慈は若さゆえ、謝罪への恥ずかしさもあったが素直に謝った。
誠の言葉は昨日と違って靜慈の考えを否定するものでもないただの正論であり、自分の発言の軽率さに気が付いたからだ。それに靜慈はこの話題がいかに災いの元であることは昨日身をもって大いに体験した。
しかし靜慈が謝ったは良いものの場には気まずい空気が漂う。
騒がしい食堂にいるはずなのに、3人のテーブルからは音が消えていた。
「なぁ、下総の用事ってなんだと思う?」
不意に沈黙のベールがはがされた。
秋人がいつも通りの顔で
2人は彼の底抜けた明るさに心中でこれ以上となく感謝した。
「なんでしょう。誰かから呼ばれていたような感じでしたけど」
「チッチッチー」
秋人はニヤニヤと舌を鳴らしながら、手を顔の前で振った。
「連絡が来てすぐに飛んでいったのを見るに、俺は女だと思うね。きっとこの学校に同郷の彼女でもいるんだ」
「でも、第一印象じゃそんな雰囲気かんじなかったけどなぁ」
「馬鹿言え。ああいうムッツリな感じのヤツほどそういうのがあるし、ちょっとクールに振舞うやつがモテるんだよ」
さっきまでの真面目だったり重々しかった空気はどこにいったのか、秋人に感化されて2人は再び明るさを取り戻していた。
また彼らも特殊といえどもまだ学生である。色恋話には興味があった。
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