第17話 1限目:深淵史
午前9時15分。この時間からOWDC大学校戦闘科の授業がスタートする。
戦闘科のカリキュラムでは午前中に教室で行われる座学、それから昼休みを挟んで午後は実際に戦闘技術を鍛える実技が行われる。
昼休みまでの約3時間の間には、深淵史、英語、戦闘技術概説のこれら3つの科目が座学として組み込まれ、前期の間、生徒たちは休日の日曜日を除いたほぼ毎日これらを学ぶことになっているのである。
「それじゃあ1限始めるぞー」
鳴り響くチャイムと共に神無が授業開始の合図をする。
それと共に、陽菜のように疲労困憊の生徒たちもついに身体を起こし、姿勢よく前を向いた。
ここにいる生徒たちにとって初めての授業となるこの1限目は「深淵史」だった。深淵史とは簡単に言えば歴史の一部である。その中でもとりわけ、彼らがこれから対峙することになる
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、とは言ったもので、使者と穴によって引き起こされた今までの事象について知っておくことも彼らの重要な作業の1つだ。
「今日はとりあえず、表面的な部分にちょっと触れるだけにしておく。お前らもまだ疲れているだろうから、休みながら楽に聞いてくれれば結構だ」
生徒たちは神無のその言葉を聞くと、すぐさま緊張と重圧が解け、自らにのしかかる疲労に身を委ねるように、さっきまでの張りつめた空気を元の緩く
特に陽菜のように今にも疲労で倒れてしまいそうな生徒なんかは、すぐに机に伏す態勢へと戻ってしまっていた。
神無はそんな彼らの変わりように対して何も言わなかった。ここで数年間教鞭を握る神無は彼らの状況を理解していたし、毎年のことでもあるので特に気にもならなかった。
「じゃあ早速授業に入るぞ。まずは今から60年前の2040年12月25日、この日に最初の穴、通称"
神無が淡々とした口調で資料を読み進める。
表面的な内容とだけあって、神無の話は多くの生徒たちにとっては既知の事柄だったので、ギリギリで疲労に耐えつつ授業を聞いていた生徒も、完全に休む方向へとシフトし始めていた。
「2037年に発生したその気候変動は北欧をフリジットランドへと変え、後にそこは"使者の忌み地"と呼ばれることとなった。まぁ、忌み地なんて言ってるが、今やもう北欧なんてスカンディナビア三国以外はほとんど滅びてるんだけどな」
多くの生徒が疲れや眠気によって授業から一時的にリタイアしていく中で、靜慈は肘をつきながら神無の話を聞いていた。いや、聞いていたというようりむしろ、聞き流していたと言った方が正確だった。
さらに靜慈の目線は神無ではなく左隣にいる誠に向いていた。
誠は疲れを微塵も感じさせないような綺麗な姿勢で神無の話を聞くだけではなく、手元のノート代わりのタブレット端末に何やら熱心に書き込んでいた。
靜慈はそんな誠の熱意のこもった様子を見て、僅かに気持ち悪さを感じていた。
「で、2040年に話を戻すが、その年の年末に使者が出現してそれからそこそこの国が滅びた訳だが、なんやかんやあって残った主要国で世界非常事態対処連携条約ってのを結んで、2042年、俺たちのいるOWDCが設立されたんだ」
このように、深淵史の初回授業は神無のあまりに大雑把な説明とともに進んでいった。
2045年、アメリカ合衆国を中心として大穴が発生し、アメリカを含む北米と中米全域が滅んだこと。
2060年、中国崩壊と新政府樹立の原因となった「中華危機」と呼ばれる使者災害。
2088年、人類と使者の緩衝地帯だった、ヨーロッパとアジアを繋ぐカフカス地方を襲った大規模使者災害「カフカスの悪夢」、などなど……。
この時代に生きる多くの人が知っているような、これら深淵史の基礎的な部分の表面をなぞるように神無は授業を進めていった。
重要な出来事をおおよそ年表通りに軽く触れるだけの簡単な授業ではあったが、いつの間にか時刻は授業終了まで残り数分といった具合にまで経過していた。
「じゃあ最後に、"ロートローゼンの戦い"について触れてこの授業は終わろうと思う」
そのことを考慮して、神無は最後に大きな事件について触れて終わりにしようと話し始めた。
「この戦いは7年前の2093年1がt」
しかし神無がそう言い始めた時だった。教室後方から大きな鈍い音が響いた。誰かが力強く机を殴るか蹴るかしたのだ。
突然のことに皆驚いて、視線が音の鳴った方へと向けられる。
そして一斉に向けられたその視線の交点には、ただならぬ雰囲気を醸し出す旭の姿があった。
旭の周りには、昨日彼女が
旭の席は窓際で、その上彼女の長い髪によって顔が遮られていたため表情こそ読み取ることはできないものの、それらの様子から彼女が何かしら大きな感情を抱いていることをその場にいる誰もが容易に推測できた。
旭はただそこに佇んでいるだけだったが、彼女から滲み出る気迫に誰もが
感覚的には数十秒位が経過したように思われたが、実際にはほんの数秒だけが過ぎた頃、旭は我に返ったのか周りを見渡すと、自分に向けられている視線に気が付いてハッとした。
「あ……すみません……」
少し申し訳なさそうにする旭と共に周りのオーラも消えていく。
「大丈夫か」
神無が声をかける。
「はい、大丈夫です……。でも……すみません、授業を止めてしまって」
「どうせすぐに終わるつもりだったんだ。別にいい」
「はい……」
そう旭が返事をしたのと同時に、授業の終了を告げる昔ながらの鐘の音が鳴った。
「よし、1限はこれで終わりだ。明日は今日の続きから始めるからな。以上」
神無はそう言うと、毎度のことのようにさっさと教室から出て行ってしまった。
教室に残された生徒たちは、しばらくの間、様々な感情がこもった目で旭の方を時たま見ることしかできなかった。
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