第二部 遺顔絵師-Reminiscence-
プロローグ
「生まれ変わる君に、おめでとう」
ケーキに並んだ蝋燭の火に、せーので一緒に息を吹きかける。
「……まったく、余韻もへったくれもないね」
せめてケーキ入刀くらいまではステップを踏んでおきたかったと我ながら頓狂な考えを鼻で笑い飛ばす。その際に揺れた肩の原因が涙と思われたのか、細い指先がそっと背中を支えてくれた。
「大丈夫ですの?」
「愚問だねアイリス。女の子と画家が『大丈夫』と言う時は、大丈夫じゃない時だ」
「その『大丈夫』を隠す画家の女の子がいるから尋ねているんですのよ」
本当に素直じゃない人、と目を細くして、アイリスはひと撫でを最後に背中から手を離した。
背後、遠くの方で
特別に作られた煙草が焼ける線香のような薫香が、山の薄い空気の間を埋める霧のように染み渡り、この場を静謐な聖域に変える。きっとこの煙を辿っていけば、彼は迷わずに三途へと向かうことができるだろう。
「これでやっと、彼は天に昇れましたのね」
「ああ。きっとね」
合歓はアクアリウムを愛でるようにケーキを覗き込み、これをいつ食べようか、その味はいつもと違うのだろうかと思案していた。アイリスと英もいるから、量に関しての懸念は次からでいいだろうか。
「なあ英さん。食後のデザートはいかがかな?」
「なら、ご相伴に預からせてもらうわ。変な言い方になるけれど、実は楽しみにしてたのよね。おごふでホールケーキって、聞かないし」
「おごふ?」
「ああ、これ山形だけなんだっけ。山形では仏様へのお供えを下げたものをそう呼んでるの。檀家の人たちに配っていただく風習なのよ。本当はお経を上げたものを指すんだけど、供養の目的を考えれば本質的には同じと言っていいでしょう」
合歓はへえと相槌を打ちながら、奇しくも自分の行いが実際の風習と重なっていたことに少し頬を緩ませて、ケーキを切るものを探しに向かった。
バーベキューの野菜を切っていたまな板から包丁を取り上げ、水道で刃を洗って戻る。
夜の山で抜き身のミニ包丁を月明かりにさらし不審な笑みを浮かべながら歩く合歓の姿を指差し、アイリスが英へ「逮捕した方がいいんじゃないですの?」と冷やかす。珍しい冗句だ。彼女にとっても今夜のことは特別なものであってくれたのだと、合歓は心の中で頭を下げた。
「さあて、どこから切ろうかな」
いそいそとミニ包丁を掲げながら、狙いを探す。
「そういえば、ケーキを三等分した時の0.0001%はどこへ行くんだろうね」
「厳密な三等分が出来てから言いなさいな」
「それよりも、ちゃんと切れるか心配した方が良さそうね」
「失礼な。ズレているとはよく言われるけれど、非行に走ったつもりはないよ」
世の中には、形の違う容器に飲料をどう正確に分けるかという数学問題があるが、合歓は馬鹿馬鹿しいと考えていた。そこで良心を発揮するならば、はじめから同じ容器を複数揃えておくべきだ。ケーキを三等分できないから非行少年なのではない。小さいものを手元に残して大きい二つを相手に渡せば解決するのだから。
「家を別々に出る兄弟。人数分用意されない飴。人々に思いやりがないのは、きっと学校教育の賜物だろうね」
「また好き勝手言って……怒られますわよ」
取り皿を持ってきたアイリスに窘められながら、合歓はついに当たりをつけた。等分しようという意識ではなく、一つが小さくなってしまってもいいやと思えば、いとも簡単に線が描けた。
煙草の煙を遠ざけるように風下に立っていた英が、あっと声を上げる。
「そういえば学校で思い出した。あの件ってどうなったの?」
「あの件? ああ、保留中かな。まあどうにかするよ」
「……結局あの秘密は、ついに打ち明けなかったのね」
アイリスの心配げな眼差しに、合歓は小さく頷く。
「下手に影響してもいけなかったからね」
心の引き出しの奥底に押し込んで見ないフリをしていた後ろめたさが包丁を持つ手を震わせるのを、合歓は唇を引き結んで堪える。
「(すまないね右近くん。君が逝くのこれが二度目じゃないんだ――)」
ひとつだけ信じて欲しいのは、このまま忘れ去ろうとしていたわけではないこと。最近になって、もしかしたらという手立ては浮かんでいたから。
少しだけ、君を優先したというだけ。
ほんの何十年かだけ、君に白状するのが遅くなるだけ。
「(一度は私が殺した)」
ストン、と包丁をケーキに沈める。
怒ってくれて構わない。いつか訪れるだろうその時に、君から軽蔑されても甘んじて受け入れる覚悟はある。
けれどその前に、これだけは伝えさせて欲しい。
ありがとう。
私があの冬に停まった
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