縦の糸、横の糸

 腹ごなしをするつもりでぶらりと周囲を散策していた右近は、キャンプ場の入り口にパトカーが駐まっているのが見えた。英が要請していた応援だ。

 赤色灯を回していなくても、闇夜に白いボディは目立つ。英の車に横付けして、彼女と警官がやりとりをしている。

 右近がそこまで歩いていく間に、英は警官に件の手がかりを引き渡し、頭を下げて見送った。


「お疲れ様です」


 ライトの光源がカーブの先に消えたのを見計らって、右近は英に声をかける。


「僕らに事情聴取とか、されなくていいんでしょうか?」

「これが根回しの大切さよ」


 彼女としては珍しく、得意げにウィンクをした。かと思うと、すぐにため息を吐いて肩を落としてしまう。


「本当のところは、気味悪がられてるのよ。自分たちだって、仏さんと対面することくらいあるでしょうに」

「大変ですね……」

「一応有事の際には、こうして動いてくれはするから、欲は言わないけれどね」


 英は肩を竦めて、車のダッシュボードからシガーケースを取り出すと、タバコに火を点けて、ドアにもたれた。


「DNAの鑑定には、やっぱり時間がかかるみたい」


 彼女が上空に向けてふうっと吐いた煙から、ほのかにハーブのような香りがする。


「あれっ、タバコを変えました? いい匂いですね」


 右近は首を傾げた。彼女の車に乗せてもらった時にしたものは、もっとタバコらしい、重たいものだったように思う。

 英は煙の消える先をぼうっと眺めながら、懐かしむように目を細くした。


「これはね、柊や月桂樹、ホワイトセージ、ローズマリーなんかを混ぜた特別製なの。私の元相棒が愛用していた、魔除けのお守りね」

「魔除け……えっ、僕は近くにいちゃまずいんじゃないですか?」


 思わず一歩下がると、英はくすくすと笑った。


「だったらはじめから火を点けないわよ。安心して、悪しきものじゃないなら害はないから」


 その答えに、胸を撫で下ろす。焦った自分をからかうように、どこかで虫の鳴く音がした。


「元相棒さんは、やっぱり……?」

「ええ、殉職したわ」


 それだけ言って、英の瞳は優しい色を湛えた。澄んだ水面がわずかに揺れている。

 彼女は深く煙を吸ってから、小首を傾げる。


「それはそうと。アレ、いつ渡すの?」


 指を差したのは、車のトランク。

 右近が今日彼女を呼んだのは、それが本題だった。


「どうしましょうか。今となっては、今日とも限らなくなってきたみたいですし」

「そうなのよねえ……けれど、伝えられるうちに伝えるのも、アリだと思うわよ」


 英は、携帯灰皿に灰を落として、また星を見上げる。


「元相棒は意地っ張りでね。例の、絵馬の呪いの犠牲になった子と結婚していたんだけど、今際に『忘れてくれ』なんて強がってた。……忘れられるわけ、ないのにね」

「忘れてくれ……」


 右近は胸元を握りしめた。その人の気持ちが、少し理解できたから。

 同時に、自分はそんなに強くもなれないとも思った。束にしないと簡単に折れてしまうくらい、未だに揺らいでいる。

 そんな右近の心中を察したように、英はくすりと笑った。


「大丈夫。姫彼岸さんは強いわ。先に逝った人の生はそこで終わるけれど、それまで歩んだ軌跡は必ず次に繋がる。繋げるの。自分という縦の糸が、誰かの横の糸になる。ほら、『弔う』という字は、縦の糸の中に、横の糸を巻き付けているように見えるでしょう?」


 宙に指先で書いてみせてから、英は気恥ずかしそうに「同僚の受け売りだけどね」と笑った。











 バーベキュー場に戻ると、アイリスが荷物番がてら、タブレット端末を操作していた。

 彼女が眼鏡をかけているのを見るのは初めてだが、元々備え持っている理知的な雰囲気がさらに凝縮されたようで、よく似合っていた。アイテム一つでここまで雰囲気を変えるのは、さすが美術の専門家である。


「お疲れ様です。合歓はどちらへ?」

「先ほど、お花を摘みに行ったはずですけれど……けっこう経ってますわね」


 アイリスは腕時計をちらりと見て、眉を顰めた。

 どうせその辺にはいるでしょうと右近は苦笑して、紙コップにお茶を注ぎ、アイリスに渡す。


「ありがとう」


 画面に目を向けたままでコップを受け取り、口を付けると、アイリスは何に驚いたか目を丸くして顔を上げた。


「ど、どうしたんですか……何か変なものが混ざってたとか?」

「いいえ、違うの。貴方から渡されたものだから、てっきり、いつもの紅茶の味を想像していて……違う味がしたので吃驚びっくりしてしまいましたのよ」


 疲れているのかしらと自嘲気味に肩を震わせて、アイリスは改めてお茶を口に含む。

 彼女はタブレットから体を離し、手元のコップを弄びながら微笑んだ。


「……それだけ、貴方からお茶を淹れていただくのが、当たり前になっていたのね」

「そう思ってもらえると、僕としても嬉しいです」


 右近は自分の分の炭酸飲料を注いで、アイリスから少し離れたところでコップを傾けた。

 しかし、それを寂しそうな視線に見咎められる。


「せっかくですし、こちらに座ってはいかが?」

「でも……」

「それについても、お話ししようと思っていましたの」


 その声色は凛としたものだったが、右近はふと、彼女のコップを持つ手が微かに震えているのを見てしまった。

 お言葉に甘えますと断り、対面に座る。

 しばらく沈黙が流れた。まだ火の消えない炭が、ぱちぱちと音を立てている。

 何度か薄く浅く呼吸をしてから、アイリスは切り出した。


「貴方に、ずっと謝ろうと思っていました」


 真摯な瞳と、目が合う。彼女はそこから、視線を逸らすことはなかった。


「仕方がありませんよ。僕だって、首がない人は直視できません」

「怒っていらっしゃいませんの……?」

「ええ。合歓や長南さんが特殊なだけです。ブライデンさんだって、ジョーク混じりではありましたが、驚いてはいたでしょう?」


 右近は表情で伝えられない分、努めて声の高さを一定にして、ゆっくりと語り掛ける。それでもアイリスは、罪悪感に髪を引かれているようだった。


「先日、一家が火災で亡くなった家に行ったんですが。痛ましいと思う一方、やっぱり怖かったですよ。他にも、僕の同級生カップルが心中をした件では、彼の方と目を合わせられませんでした」


 もっとも、当時の自分は彼らが同級生だということさえ気づいていなかったが。生前も、辛うじて白井と言葉を交わした記憶はあるが、それくらいだ。


「……優しいんですのね」

「アイリスさんの気まずさが、たまたま僕も知っているものだっただけですよ」


 苦笑する。それくらいしか、できることがないだけだ。


「僕の方こそ、ごめんなさい。正直、アイリスさんは不細工をゴミのような目で見るタイプの人だと思ってました」

「貴方、けっこうイジワルなことを言うのね」

「すみません、馴れ馴れしかったですか?」


 しかし、アイリスはゆっくりと首を振った。


「今の貴方の雰囲気の方が、ずっと好ましいですわ。――ああ、好きってのは、そういうことではなくてですね?」


 途端にわたわたと弁解を始めるアイリスが可笑しくて、右近は笑いそうになった。


「それに、合歓の絵で見た貴方の顔。全然不細工なんかじゃありませんでしたし」

「優しいんですね」


 右近がそう言うと、アイリスはそっぽを向いてしまう。

 夕飯の賑やかな残り香の中で、静かな空気の余韻とともに、炭酸飲料を呷る。少し炭酸が抜けた味も、醍醐味だと思えた。

 不意に足音が聴こえてきて、振り返る。


「右近くん! あっちに絶好の夜景スポットがあるぞ!」


 合歓はすぐ目の前まで駆け込んでくると、信号待ちのジョガーのようにいそいそと足踏みをして手招いてくる。


「行ってらっしゃい」


 アイリスに見送られ、右近は合歓の後を追いかけた。

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