されこうべの産声
散々暴れ回ったツケが来て、右近たちはアトリエに戻ってから泥のように眠った。
本当なら帰りがけにいくつか買い物をしたかったが、涙で化粧が剥げ、土と花びらでボロボロの姿をした少女が買い物をして回るのは、首無し男が見えることとは別の意味でホラーだろうということに気が付いて取りやめた。
「それで、今日こそは教えてくれるんだろうね」
朝食のピザトーストを頬張りながら、合歓は半眼を向けてきた。
「何を? 僕が合歓のどこを好きかって話?」
とぼけて返すと、ソファーの端にあったクッションをぶん投げられた。
「それはそれで言わせてみたいけれど、そうじゃない。右近くんの頭の場所だよ」
「多分、町の裏の山」
「……灯台下暗しってことか」
合歓は口の横に付いたケチャップを舐め取りながら、難しい顔で唸った。
「僕の体って、他のはどこで見つかったの?」
「当時、木蔦
「三つ四つ隣の町じゃないか……」
右近は愕然とした。この町に流れる川は海へと流れていくが、そこまで行くには、車でも一時間近くかかる。
「じゃあ、違うのかな?」
「おいおい、しっかりしてくれよ当事者」
「そんなこと言われても……生き埋めじゃあるまいし。あの山だろうなって思っている根拠も、何故か無性にぞわぞわするからってくらいの理由だから」
「構わないよ、ないならないで、一つのレジャーデートにすればいい」
「遺体探しがデートなんて、聞いたことないよ」
右近は笑いながら、空いた皿をテーブルに置いた。
テーブルの中央には、カンゾウとシオンのボトルが並んでいる。少しだけ中身を取り出して、周辺に散りばめたり、キャップに引っかけたりと、インテリアとして工夫した配置だ。
「おお、確かに。食事時にする話でもなかったね」
「今さらだよ……」
右近はさっき投げられたクッションを合歓の方へと投げ返した。彼女はトーストの最後のひとかけをもくもくと口に吸い込みながら、器用に状態を倒して躱した。おのれ。
二人で並んで、ごちそうさまと手を合わせる。
皿が片付けようと立ち上がって、右近は一度、振り返った。テーブルの上に取り残された、カンゾウとシオン。
時折、前世の記憶を持って生まれた人の話を聞くことがある。ならば、自分は天に昇っても彼女と過ごした記憶を持っていられるのだろうか。記憶を引き継いでいいという閻魔様の審判を受けられなかった場合、すぱっと断ち切られてしまうのだろうか。
右近は逃げるように視線を逸らし、皿の汚れと一緒に不安を洗い流した。また合歓に怒られそうだと、心の中で自嘲気味に笑いながら。
アウトドア用品店で、さっぱりとしたジャケットウェアを購入した。別に自分の分は要らないつもりだったが、合歓に睨まれ、お揃いの品番のメンズ版を買ってもらうことになった。
キャンバスに加え食料や飲み物、シャベルまで抱えて歩くのは堪えるため、麓までは電車で向かった。
きっちり右近の分の切符も改札に通して駅を出れば、桜のトンネルに迎えられた。山の奥へと消えていく舗装された道路にかかるように枝を剪定された、ひとつの観光スポットだ。
「桜の樹の下には、か……」
「やっぱり、怖い?」
合歓の心配そうな上目遣いに、右近は平静を装って首を振る。
「大丈夫。あの時はどうして怖いか解らなかったけれど、今は原因も判明しているからね。ビビってる場合じゃないよ」
「頼もしいね。さすが、自慢の彼氏だ」
「背筋がぞわっとした……帰ろうかな」
「照れただけだろう?」
首根っこを掴まれた。
笑って紛らわせながら、道路が傾き始める境界線に足を踏み入れる。踏み込んでみれば、案外どうってことはなかった。
観光客であれば、シャトルバスを予約して山頂のキャンプ場まで直行するところを、右近たちは徒歩で進んでいく。
「バスから見て映えるようにしているから、歩いてみると存外隙間があるんだね」
桜の樹と樹の間から空を見上げ、合歓が木洩れ日に目を凝らす。
「そういう無粋なこと言わないのー」
「綺麗だとは思ってるさ」
合歓は肩を竦めて、道路に落ちた花びらを避けるように、けんけんぱを再開する。
一方右近は、異の辺りに酸っぱいものが渦巻くのを感じていた。気配が近づいているのだということが、嫌でも判る。
合歓の背中を追いかけながら、右近はその感覚の波に神経を集中させる。
登り始めて三十分ほどが経った頃、すっと体から離れるように気配が引いた気がして、右近は立ち止まる。
「右近くん?」
合歓が振り返り、小走りに戻ってきた。
「……感じた?」
「うん、少し手前がピークだったみたい」
「右? 左?」
合歓に問われて、右近は道路を往ったり来たりしてみた。
「こっちだ」
山頂に向かって右側の森に入る。せめてあの男が踏み入った形跡でもあれば助かったのだが、あれからもう三年以上の月日が経っている。望みは薄かった。元より、山中だからとそこかしこに草が生えているわけでもない。自然にそうなっているのか、獣道としてそうなっているのかの判断も付かなければ、意味もないだろう。
「はあ……迷った時には楽しい方を選べって言ったりするのに。何が悲しくて、不快な方を選ばなきゃならないんだろ」
「これは相当参ってるね。そういった冗句は私の役目だろうに」
合歓は困ったように笑いながら、背中を擦り、手を握ってくれた。背筋の寒気は相変わらず付きまとっていたが、吐き気はかなり和らいだ。
不快感レーダーを四方八方に向け、アタリを付ける。振り返れば、まだ桜のトンネルは見える範囲にある。
「意外に、道から近かったな……」
右近はどっと腰を吐いて、胸元を仰いだ。
「案外そういうものだよ。おそらくは夜、暗い山道にはそう深くまで踏み込めないだろうさ。一先ずお疲れ様だね、右近くん」
合歓が差し出してくれたお茶をぐいと呷り、右近は気合を込めてまた立ち上がった。
リュックに結いつけていたシャベルを外し、手あたり次第に掘り返す。
しかしそれらしい範囲が広すぎる。気が逸れば逸る程、感じる腐臭のような悍ましさは濃く感じて、正確な場所がさらにわからなくなった。
それに、奴がどこまで掘ったのかも問題だった。不摂生に衰えた体とはいえ、成人男性の膂力に変わりはない。人間の頭大がすっぽり隠れる分だけに留めてくれていなければ、途方もなかった。
都度休憩を取り、ひたすらに掘った。日が傾いたかと思うと、森の中は急速に暗く鬱蒼としてしまう。
「これは……山の時間間隔を見誤っていたね。一度帰って出直そうか?」
合歓が汗を拭って振り返った頃、遠くから車の走行音が近づいてくるのが見えた。
ライトが見え、その車種が判明すると、右近はシャベルを大きく振った。
「おい馬鹿っ、こんなところ見られたらただじゃ済まないぞ?」
「大丈夫。よく見てみて」
右近は合歓の肩をくるりと反転させて、指を差した。
路肩に停めたスポーツカーから、二人の人影が降りて、こちらへ向かってくるのが見える。
「ん、二人……?」
右近は目を凝らす。下手にヘッドライトが別方向を照らしているせいか、周囲が一層暗く見えて、人影の性別すら判断ができない。
「頼むから怖い反応をしないでくれ。じゃあ何だ、今さら人違いは通じないぞ?」
「ええと……」
右近が事前に連絡をしたのは一人。そして、その人物の車はアレで間違いないはずである。
「――どこからどう見ても不審者ですわよ、貴方たち」
聞き覚えのある少し不機嫌そうな声とともに、スポーツウェアを着こなした女性の姿が視認できるようになった。
「アイリスさん!? どうしてここに」
右近は驚いて声を上げた。それに応えたのは、後ろからやってきた英だった。
「今日のことを伝えたら、兎耳さんが是非自分もって、申し出てくれたのよ」
「当然です。合歓と関わり、央子さんと関わっておいて、木蔦さんだけ知らんふりでは、私の信条に反しますもの」
アイリスは軍手を嵌めた手をわきわきとさせて、やる気を示した。
英がシャベルを二つ持っているのを見て、合歓がじとっとした目を右近に向けてくる。
「助っ人がいるなんて聞いてないぞ」
「僕も、助っ人のつもりではなかったんだけどね……」
詰め寄られ、両手を挙げて弁解をした。
「私は警察としてね。もしこれで、右近くんの頭を見つけても、普通に通報なんてできないでしょう?」
それを聞いて、合歓は納得したように肩の力を抜いた。
英は軍手を嵌めながら、周囲を見回した。
「随分掘ったわね。範囲はどのくらい?」
「そこのリュックを置いている場所から、そっちのお茶のペットボトルを置いているところまでです」
「オッケー」
英は右近たちが掘って来た方とは反対の側から、シャベルを突き立てる。その面のもう一方の角に分かれて、アイリスもシャベルを構えた。
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。夕山に穴を掘らず……警官がこんなところにいて大丈夫なのかい?」
「あなたたちだけよりはマシだわあ。まあ、本庁の刑事課には話を通しているから、大事にはならないでしょう」
そう言って、英はけらけらと笑った。
四人で掘り進めるのは、想像以上に作業が加速した。掘った穴を埋めるように次の穴を掘るといいという英の助言に従い、動作の最適化もなされていく。
それでも残酷に時間は過ぎ、木々の隙間から差し込む赤い光も弱々しくなった。
やはり日を改めた方がいいだろうか、そう右近が諦め始めた頃だった。
「――あっ」
小さな声が漏れた。
「見つかったか!?」
「え、いや……木の根っこかもしれませんわよ?」
アイリスはぶんぶんと手を振って、駆け寄る合歓を抑える。彼女の言う通り、シャベルが刺さっているのは、近くの木の根っこに程近い辺りだった。
だがそれ以上に、彼女は怯えているように見えた。無理もない。これが当たりだとすれば、頭蓋骨と対面することになるのだから。
「もし勘違いでしたら、申し訳ありませんし……」
「大丈夫、誰も責めたりしないさ」
アイリスのことは合歓に任せて、右近と英で土を取り除く。
コツコツと伝わる手ごたえは、木の根のそれと違うことはすぐに判った。
「長南さん、いっそぶち抜いてでも、一気に掘り出しちゃ駄目ですか?」
「駄目に決まってるでしょう。貴方の頭よ、大切になさい」
ぴしゃりと咎められ、大人しく、じれったい気持ちを堪えることにした。
やがて、灰色の丸い面が見えて来た。右近はシャベルを置いて飛びつき、面の縁に添わせるようにして手を突き入れる。
英が懐から取り出したペンライトに照らされる中、右近はせーので取り上げた。
自分の頭は、ずぼっ、と産声を上げたようだった。ぼろぼろと土がこぼれ落ちるのに隠れて、脊椎がへその緒のように垂れる。
「これが……僕の頭……」
なんとなくそれが自分のものだという直感はしているが、実感はあまりなかった。むしろどこか他人事のように、分解途中の肉片がついていたりしないことにほっとしている自分がいた。
「右近くん、その口のところのやつは、何だい?」
肩越しに合歓の腕が伸びる。
土が詰まっているだけかと思ったが、よく見ると、今際の怨嗟と苦痛を訴えるように半開きになっている顎の間から、黒いビニールのようなものがはみ出していた。
自分の口の中に指を入れて、のどに詰まった異物を引っ張る。窒息の元がずるりと取り除かれたことで、右近の息苦しさもすっと楽になったような気がした。
包みのように何重にも巻かれているそれを、くるくると広げる。中を見えないようにした黒いレジ袋のようだ。解き切ると、チャック付きのフリーザーパックが現れた。
ライトの下に翳す。中身は何枚かのお札と、大小バラバラの硬貨が入っていた。
「六文銭……ってわけじゃなさそうだね」
「怖いお兄さんたちから逃げるところだったのね。馴染みのあるこの町まで来て、一緒に全財産を隠したってところかしら」
「本当、はた迷惑な話ですよ」
多く見積もっても数万円程度。それが、あの男の最期の状況。仮にも父親でありながら、情けなかった。取りに来るつもりだったということも馬鹿馬鹿しくて泣けてくる。
右近は気が抜けて座り込んだ。背中を合歓の旨が受け止めてくれる。
首を伸ばして空を見上げれば、太陽と後退した月が、木々の間から顔を覗かせていた。
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