萱草と紫苑
封筒に入っていた売買契約書には七桁の数字が記載されていた。期せずして得た臨時収入にほくほく顔の合歓に誘われて、昼から町へ繰り出すことになった。
しかし早々に、春の陽気の中で右近は眉間を押さえて呻いていた。
「……前から思っていたんですけど、合歓さんの私服センスってどうしてそうなんですか」
我がアトリエの主様は、胸元にどうぶつのプリントがされたトレーナーに、ステンドグラスのようにカラフルなケープを纏ってけんけんぱをされてらっしゃる。飛び上がる度、フラダンス教室でもそうそうお目にかかれないような蛍光色のパウスカートがゆらめくと来た。
「デートの初めから浮かない顔とは失礼だね。服に言及するなら、褒めてくれてもいいだろう」
「はいはい唐傘お化けみたいでかわいいですねー。仕事の時なんかはちゃんとした格好をしているんですから、あれで出かければいいじゃないですか」
「あれは仕事着だからね。TPOで使い分けているのさ」
「古今東西いついかなる時・場所・場合でもそんな恰好は在り得ないと思います」
「そうかな? この服装のアニメキャラでも人気になれば、コミケ会場で見られるかもだよ?」
「自分でイレギュラーだと言っているようなものじゃないですか……」
ウサギからブタまで取り揃えた着ぐるみのような寝間着ならまだ目を瞑る。しかし天下の往来を歩くのにこの恰好はいかがなものだろう。以前こっそり処分したことがあったが、いつの間にか新しいものを用意しているのだから始末が悪い。
いっそ、販売会社に苦情のメールでも送ってみようか。
「別におしゃれじゃなくていいんですよ。ほら、あんな風にシンプルなので」
すれ違った、シャツにデニムのラフな女性を指さして見せる。しかし合歓はどこ吹く風だ。
「毎晩三ツ星のディナーは飽きるからね。たまにはジャンクフードを食べたいのさ」
「浮気男の言い分じゃないですか」
何を言っても届かないことを悟り、右近は矛を収めた。
せっかくなのだから、たまの外出を楽しもうと顔を上げると、街路樹の桜から零れた花びらがひらひらと視界を横切っていく。
誘われるままに目で追えば、春メニューを打ち出したカフェがあった。昼下がりのピークを過ぎて、少し人がまばらになってきているだろうか。
「桜餡と抹茶の和ラテですって。寄ってみません?」
「却下。あそこに陰キャが吸っていい酸素はないよ」
「パソコンを持ち込んでいる人も多いですし、陰も陽もないですって。絵のためにも、流行っているものとか、季節のものとか、追いかけた方がいいんじゃないですか」
「ウコンタス、お前もか。どうせ、気に食わなければ『独自の感性がない』とか言われるんだ。逆も然り。雰囲気は店の外からでも窺えるし、味が知りたければテイクアウトでいいよ。帰りに買っていこう。私は抹茶フラペチーノがいい」
メニューをばっちりチェック済みの提案に、右近は肩を竦めた。果たして合歓の酸素は、テイクアウトの列を待っている間もつだろうか。誰よりもそわそわ待っているに一票だ。
「じゃあ、今日はどちらへ? 食材なんかはいつもの置き配を頼んでますし」
「もうすぐ着くよ」
合歓が指さしたのは、町の一角にあるフラワーショップだった。
この町は小高い山の麓に切り開かれた開発都市である。自然と生活の調和をコンセプトとしており、桜並木をはじめとして、町のいたるところに自然が取り込まれている。山から流れる川などもデザインに落とし込まれていて、町で見れば小洒落た欄干、町から出ればのどかな桟橋と、複数の表情が楽しめるようになっている。
そんな町だから、花屋などの店舗も他より力が入っていた。
「ジャンクフードを食べたいと言っていた人にしては、意外なチョイスですね」
「インテリアが欲しいと思ってね。アイリスからも殺風景だと言われただろう」
引き合いに出した合歓の態度はおどけているように見えるが、気にしていたのだろうか。
店内の様子は、小さい植物園のようだった。さすがにこれほどの生花を常時取り揃えているわけにはいかないのか、造花をサンプルとして後日取り寄せる旨のPOPが掲示されている商品も散見される。それでも、胸いっぱいに満たしてくる芳しい花の香りは十分に濃かった。
歩み寄って来た店員から合歓が案内を断ると、店員は少しほっとしたように眉を下げた。近づく段階から、合歓の出で立ちに頬が引き攣りそうだったのだ。こちらが当事者でなければ変化に気付かないほどのポーカーフェイスに、右近は心の中で頭を下げた。
ゆっくりと花を眺めて歩く合歓の隣で、右近はふと気づいたことを聞いてみた。
「そういえば、エリンギって菌類ですよね。花言葉なんてあるんですか」
「イメージ戦略でつけることがあるそうだよ。苔なんかにも花言葉があるんだ」
「へえ。それにしても『宇宙』とは不思議ですよね。なんででしょう」
「ああ、それはね。人工衛星のメンテナンスをした際に、中に生えていたのが発見されたからだよ。宇宙空間にもエリンギの菌が存在するということが判明して、そこから付けられた」
「えっ、そうなんですか」
「知らない。適当に言ってみただけだからね」
悪びれもせず舌を出してみせる合歓に、右近はがっくりと肩を落とした。
「ワクワクして損しました」
「悪かったよ。けれど、ワクワクはしただろう?」
合歓はスカートを翻してくるくると回った。二度ほど回ったところで、三半規管の狂いに足をもたつかせたかと思うと、突然けらけらと肩を震わせる。
「良いことを思いついた。部屋に飾る花は、花言葉で決めよう」
「ええまあ、はい……普通はそうすると思います」
右近の指摘に、無粋だねと唇を尖らせてから、合歓は再び歩き出した。
店の奥へ進むと、壁一面に虹がかかっていた。ボトルに詰められたプリザーブドフラワーたちで色別にグラデーションを作るように陳列された中から、橙色のコーナーでひとつ、紫色のコーナーでひとつ、合歓は迷いなく掴み上げていく。
「これは、ユリと、シオンですか」
「シオンは正解、ユリは惜しい。ユリ科ではあるけれど、これはカンゾウという花だ。この状態じゃ判りにくいけれど、葉の付き方が違うんだよ」
そう言って、合歓は橙色の方のボトルを少し掲げて見せてくれた。
一般的に想像するユリとも同じ三枚花弁。素人の右近には、オレンジ色のユリだと言われたらそれまでというくらいで、残念ながら違いはよくわからなかった。
「花言葉はなんなんですか?」
「カンゾウは『悲しみを忘れる』、シオンは『君を忘れない』。この二種がセットになっていることに意味があってね。右近くんは今昔物語を知っているかい?」
「名前くらいですね。あとは、芥川龍之介の『鼻』や『羅生門』のベースになったとか」
「その認識で十分さ。今昔物語の中に『
合歓はボトルで人形劇をするように、視線の高さまで立てる。
「とある兄弟は、父親を亡くして悲しみに暮れていた。兄は悲しみを忘れるべく、墓前にカンゾウを植えた。彼は忙しく、次第に墓参りをしなくなった。
一方父を忘れたくない弟は、シオンを植えて墓参りを続けた。それを見た墓守の鬼は感心し、弟に夢でその日の出来事を予知する力を与えた。こうして弟は、幸せに暮らしましたとさ」
最後にボトルを整えるように二度振り、合歓の人形劇は幕を閉じた。
「弟さんのように、親を敬う心を持ちなさいという教えの話なんですね」
「さあ、どうだろうね」
「えっ、違うんですか?」
しかし合歓は意味深な微笑みを浮かべただけで、さっさとレジへ向かってしまった。
右近はその背中を追いかけながら、カンゾウとシオンの言葉を頭の中で反芻する。
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