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第6話


 4月12日。新学期を迎えて、いろはが2年生になって数日が経っていたが、いろはは——いや、教室の誰もが春休み気分を抜け出せないでいた。


「せんせーも今日はだるいなー。授業やめない?」


 数学の授業がアイのせいもあって、より一層クラスの雰囲気が緩い。緊張感の欠片もない。


「先生、真面目に授業してください」


 教卓の前に座る女子生徒にそう諭される始末だ。


「わかったわよ。それじゃあみんな大好き二項定理について、足、突っ込んじゃう?」


 それはそれで生徒たちから不満の声が漏れた。だが、そんなことは気にせず白のチョークを持って呪文と思わしき数式を黒板に書き始めたのだった。 




     *




「ちょっと、いろは、話あるんだけど」


 数学の時間が終わり、放課後。


 帰り支度をする生徒でごった返す教室の中、瀬里奈がこそこそと耳打ちしてきた。息が当たってこそばゆい。それに、瀬里奈のいい匂いが漂ってくる。2年連続で同じクラスになったのは奇跡としか言いようがない。


「な、なァにぃ?」


 興奮を悟られないように、返答するが緊張のあまり声が裏返ってしまう。


「ここじゃ話できない。屋上いこ」


「う、うん」


 いろは以外に内容を聞かれたくない話。おのずと、希望的展開を頭の中で繰り広げてしまう。そんなことありえないのに。


 それでも。

 

 ほんの少しだけ期待をしてしまう。


 瀬里奈に連れられ、屋上に辿り着くまでの記憶はなかった。教室にいたはずなのに、気が付いたら屋上にいたような感覚。まるで瞬間移動だ。


「ここなら、誰もいないよね」


「そ、そうだね。いるわけない」


 屋上への生徒の立ち入りは禁止されている。


 去年までは問題なかったのだが、昨年、近隣の中学校で転落事故があったせいで、屋上へと続く扉は鍵が閉められ封鎖されてしまった。


 だが、瀬里奈は立ち入り禁止にされる直前で、屋上への扉のスペアキーを勝手に作っていたのだ。しかも2つ。瀬里奈といろは用に。


 瀬里奈は、生徒会に所属しているコネを使って、先に屋上が封鎖される話を聞いていたのだろう。そうでもなければ、都合よくスペアキーなんて作らない。


 普段は真面目な性格しているのに、ちょっとだけ悪だくみする癖がある、隠れいたずらっ子だ。そのギャップがいろはの惚れた部分でもあった。


「それで、話ってなに?」


「そうだった。別にメッセージで送れば良かったことかもしれないけど、いろはには直接言いたかったんだ」


「ふーん。なんか嬉しい。何の話か分からないけど」


「ふふ。実はね——」


 次に続く言葉がなかなかやってこない。


 瀬里奈はじれったいように、一度笑顔を見せてから視線を斜め下にずらす。


「彼氏ができたの」


「…………ぇ?」


 いろはの口から言葉が出ていたのかすら分からない。ただ息が漏れていただけかもしれない。


「昨日、告白されちゃってね。思わずオッケーしちゃった」


 照れながら話す瀬里奈を直視できない。夕焼けで浮かび上がる瀬里奈の影を見るだけで精一杯だった。


「ちょっと聞いてる?」


「……………………だれ?」 


「え?」


「彼氏って、誰?」


 やっと言葉らしい言葉を口に出来たのに、瀬里奈に尋ねたのはそんなことだった。


「道明寺爽助くん、だよ」


「道明寺……道明寺か……」


 爽助は同じクラスの男子だ。サッカー部に所属しいているスポーツ男子。部活で鍛えている引き締まった身体と甘いマスク。真面目で、何事にも真剣に取り組む姿勢から1年生女子からの人気は高い。


 何様のつもりかと言われそうだが、爽助なら瀬里奈に相応しい男子かもしれない。


「よ、よかったじゃん! 道明寺なら瀬里奈と上手くやっていけるって!」


 笑顔、つくれてるかな?


「サッカーの大会とか応援しに行きなよ?」


 涙なんて浮かべちゃダメ。


「女子が応援してあげるだけで男子のやる気は100倍になるんだから。 ちょろいもんよ!」




……ホント、何様のつもり?


 


 

 それからの会話の記憶はない。


 気が付けば、屋上にいろはだけが取り残されていた。




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