第4話


 電車に乗る貫之と駅で別れたいろはは、そのまま駅を通り過ぎて住宅街へと進んで行く。


 途中で本屋に寄って、好きな漫画家の書いた新作短編集を買ってから自宅へと向かった。本屋からは横断歩道を渡って徒歩3分と言ったところだ。


 築5年ほどの新しいマンション。5階の一室に、いろはと姉の住む家がある。


 エレベーターに乗り込み、5階で降りる。廊下を左に進んだ突き当りの部屋だ。姉は帰りが遅いので応答にあまり期待しないでインターホンを押してみる。


 やはり、反応はない。


 ポケットにしまっていた鍵を差し込み、鍵を回す。そこで違和感があった。鍵が閉まっていない。もしやと思いそのまま扉を開ける。


「ただいま~」


「ナァ~」


 出迎えたのは姉ではなく、飼っているメス猫だった。名前はアーノルド。姉の好きなハリウッド俳優から拝借した名前らしい。


「アーノルド、お姉ちゃん帰ってる?」


 いろはの問いにアーノルドはナァと短く鳴いた。どうやら帰っているらしい。靴を脱ぐいろはをアーノルドは大人しく座って待つ。いろはの準備が整ったと判断するとアーノルドが先導してリビングに向かった。まったく賢い猫だ。

 

「帰ってるなら、連絡してよ」


 いろはは、リビングのソファでいびきをかいて寝ている姉、色坂アイを叱る。スーツは乱雑に脱ぎ捨てられ、ワイシャツ1枚に白のパンツだけというあられもない姿。アーノルドも小さく鳴いて「こいつはダメだ」と言わんばかりにアイの身体の上に容赦なく飛び乗る。


「ぅぐ~、うげっ! もぉ、重いってばアーノルド。あ、おかえりいろは~」

 

「どうやったら、生徒よりも教師の方が早く帰れるのよ」


 アイは焔学園の数学教師をやっている。姉妹という関係上、アイがいろはの担任を受け持つことはないそうだが、いろははアイの授業を受けることはある。


「今日は病院に行く用事があるって、早く帰らせて貰ったのよ~」


「クズね」


「クズじゃないわよ」


「じゃあ何なの?」


「ドクズ」


「自分で言っちゃうんだ」


 いろははアイに呆れてため息を吐くと、溜まっている洗濯物を洗うべく、洗濯籠の中身をドラム式洗濯機に流し込む。その途中で、洗濯籠に色とりどりの布が混じっていることに気付いた。


「ちょっとお姉ちゃん、下着は別にしてって言ってるじゃん!」


「ごめ~ん」


「もぉー」


 洗濯物を回した後は料理の準備をする。冷蔵庫を確認すると、アイの買って来た発泡酒しかなかった。


「何にもないじゃん。今日はカップ麺にするからね?」


「いろはの作る料理だったら何でも大好き!」


「お姉ちゃんの中ではカップ麺って料理なんだ」


「そだよ~ん」


「もぉ……」


 いろは湯沸かし器に水を入れてスイッチを押す。2、3分で熱湯が出来上がる。


「そういえば」


 アイがソファからぬったりと這い上がる。その姿はホラー映画さながら、墓の中から地上に這い出てくるゾンビにそっくりだった。



「なに、忙しいんだけど」


 アイの続けようとした言葉が何となくわかったので、逃げようと試みる。


「恋人いるんだって?」


「いないけど」

 

 偽物の恋人なので恋人はいないことになる。間違ってはいない。


「桜庭貫之君でしょ」


「あの男とはそういうんじゃない」


「へぇ~。彼、地味だけど結構いい男だと思うんだけどな~」


「生徒に手は出さないでよね」


「私の頭はそんなにピンクで染まってないわよ。それで、何がきっかけ?」


「生徒の恋愛に首突っ込まないで! カップ麺、私が全部食べちゃうよ!」


「ごめんごめん。私がわるぅございました~」


 アイはソファの上でのたうち回った。


 ちょうど、ケトルの音が鳴って沸騰を知らせた。いろはのカップ麺にお湯を注いで、一度元に戻す。このまま姉の分は用意しないつもりだったが、後々騒がれるのも面倒なので、再びケトルを手に取り、アイの分のカップ麺にお湯を注いだ。


「ナァ~~」


 アーノルドが喉を鳴らしてキッチンにやって来た。自分にもご飯を出せと言っているのだ。


 いろはがご飯を用意する間、アーノルドは大人しく座って待っていた。アイもアーノルドを見習ってほしい。


「アーノルド、ご飯だよー」


 皿にネコ用のご飯を注ぐと、アーノルドはむしゃむしゃと食事を始めた。



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