第3話
理科室を出たいろはと貫之は、打ち合わせることなく、夕焼け空が差し込んだ廊下を並んで歩いていた。
「帰る?」
「ああ」
昇降口でようやく会話らしいことをした。
靴を履き替え、しばらく歩くと「私立焔学園高等学校」の看板を掲げた校門を出る。その近くでは、野球部の新入部員が息も絶え絶えで壁に手を突いたり、地面に寝転んでいた。
どうやら先輩方から手荒い歓迎を受けているようだ。
2人はそんな生徒たちを横目に、ここから一番近い駅である、焔学園前駅に向かっていた。
「デートに向けて色々と作戦を立ててくれるなんて、教授様様だな」
「そりゃあ私の自慢の幼馴染だからね」
「いろはのことは全然相手にしてもらえてないようだけどな」
「そりゃそうでしょ。目の前に推しがいたら親友よりも、推しを取るでしょ」
「は?」
「何でもないこっちの話よ」
偽物カップルの相談相手をしている桃だって、何もタダでやっているわけではない。供給を受けているからこそ、色々と相談に乗って貰えているのだ。
貫之はそれに何も気づいていない。いや、知らない世界と言うべきか。
「ところで、教授の飲んでた飲み物について聞きたいんだが」
「そういえば、聞くの忘れてたわね」
メスシリンダーに入っていた液体は透明で、一見すると害はないように見える。
「気のせいだと思うんだけど、アルコールの匂いがしたんだよね」
「いやいや、まさか」
桃はちょっと変わった女の子だ。彼女ならやりかねないと思ってしまう。
「一口ずつ飲んでいたのも気になる」
透明な液体。アルコール。少量。
それらの単語からいろはが連想したのは「日本酒」という言葉だった。
「いや、まさかね」
「連絡してみたら?」
「あの子、返信遅いから明日、直接聞いてみるわ」
桃は送ったメッセージを既読したにも関わらず、一週間も放置するような人。それでいて「そんな話聞いてないぞ」と言い出すから困りものだ。
「わかった。まあ教授のことだから学校で酒を飲むなんてことはしないと思うけどね」
「……そう思いたいわね」
桃との付き合いが短い貫之はまだ分からないだろうが、中学生のあだ名が「マッドサイエンティスト」だと知ったらどんな反応をするのだろうか。
2人が桃の心配をしていると、気づけば駅に辿り着いていた。学校から駅までは5分かからない程度。世間話をしたらあっという間だ。
「さて、ここでお別れだな」
「もしかして、さようならのチューでもご所望?」
「……オレたちは偽物の恋人ってこと分かってるよな?」
「そうだったキスはしない約束だもんね」
2人が偽物の恋人を演じる上で約束したことがある。その内の1つが、キスをしないことだった。
「——それに、そんな場面を見せちゃいけいない人がいるわ」
「え?」
いろはの視線が、駅のホームへと続く階段に向けられていた。貫之が振り返ると、そこには七尾瀬里奈の恋人、道明寺爽助がこちらを見ていた。
「よぉ、おふたりさん!」
爽助は上っていた階段をわざわざ下りて、2人の元まで走って来た。
サッカー部に所属する爽助の肌はこんがり小麦色に焼けている。そして、短く刈り上げられた髪と引き締まった肉体は、彼がスポーツマンであることを強調していた。
爽助であれば、瀬里奈と恋人であると言われても不思議なことはない。
「んだよ、こんなところでイチャイチャしてるわけ?」
「ちっ、ちがう! そんなんじゃない」
「まあまあ、そう照れんなって。そうだ、ダブルデートの話、瀬里奈から聞いたぜ。再来週だっけか? よろしくな!」
それだけ言うと、爽助はサッカーで鍛えた脚力を活かして軽々と階段を駆け上がって行った。ちょうど駅に入って来た急行列車に間に合わせるためだろう。2人と会話をする為だけにギリギリまで時間を取る、その性格の良さ。女子人気が高いだけある。
「道明寺君……」
「爽やか……」
いろはと貫之は、イケメンムーブを魅せ付けた爽助に、しばらく放心状態だった。
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