第25話 集落の行事や祭り

地域のお祭りが年に数回ある、これにも絶対出なければならない。

考え方や宗教も違うし、生きてきた状況も違うので、理解したり馴染むのもなかなか難しい。


養蚕が盛んだったので、山の頂上に神社がある。

年に一度はその神社のお祭りで、山の頂上まで掃除道具を持って歩いて登る。

凄い坂道だ、最後は這いつくばって登る感じだ。

そこをおじいちゃんたちは相当早いスピードで登って行く、九十才のおじいちゃんもサクサク登る。

新入りの私は早めに出るのだが、到着するともう掃除は終わっている。


それから集会場で儀式があり、最後はまた飲み会となる。

必死に山登り、いやほぼ全力のアスレチックをやったあと日本酒をがぶ飲み。

立ち直るのには二、三日かかるのだ。


お祭りに至っては始まってから終わるまでずっと飲みっぱなしで歩き回る。

お盆の熱い中、集落を竹で作った重い飾りを持って練り歩く。

このときは出て行った子供達も帰って来るので、皆うれしそうだ。

しかし私はなじみの無いよそ者なので、なんでここにいるんだ、お前は誰だ的な眼の集中砲火を浴びる。

いちいち説明したくないので、隅っこでひっそりと気配を消してたたずむ。


正月は元旦のお昼から新年会だ、これも出ないと居心地が悪くなるので、頑張って出る。

なので、もう何年も正月に実家へ帰った事はない。もっとも実家に帰りたくはないので良しとしている。

もし私がまだ三十代くらいだったら、ここの生活は耐えきれなかったかもしれない。反発して出て行ったかもしれない。

しかし、五十代も半ばとなり落ちぶれてここへ来たので、なんとか住んでいられるような気がする。


いったん落ちぶれてみると、結構つらい立場になってもあきらめがつく。

落ちぶれたと思う事で、随分心が広くなったような気がする。

落ち着いて物事を考えるようになったし、人と自分を比べて悔しがったりしなくなったようだ。


集落との付き合いは大変だが、道路が雑草で通りにくくなっても、協力して草刈りをするし、何か自然災害が起こっても皆協力して乗り越えて行く、そんな集落のチームワークは行事やお祭りで培われているのかもしれない。


道ですれ違い、挨拶をすると「どうだい、変わりはないかい、白菜は持っていくかい」など、声をかけてくれる。


落ちぶれた私には心地よい場所になってきているのかもしれない。

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