第2話 時代の流れには逆らえない
わたしは、三十代半ばで九州から東京へと出てきた。
事務所と自宅を含め、高田馬場の高台にあるマンションが活動拠点だった。」
何故高田馬場にしたのかと言うと、なんとも不純な動機だ。
散歩する距離に新大久保や歌舞伎町があり、様々な飲食店が立ち並んでいる。
美味しい食べ物と、好きなお酒が、いつでも歩いて行ける距離にある。
私は「眠らない町東京」を体感してみたかったのだ。
しかし実際に生活するのは、物価が安い学生の町、高田馬場がいいと思った。
なんといっても山手線が走っているし、尊敬する手塚治虫先生の事務所もあるのだ。
実際には、歌舞伎町で遊んだことが殆どなかったのが、今となっては笑える。
当時はバブル景気がまだ残っており、音楽やイベントなども盛んで、エンターテイメント産業がたくさん花開いた時期だ。
高校時代から音楽やイベントに携わっていた私は、東京に出てきてもそれなりに仕事に恵まれた。
そして数年経つと、音楽出版やイベント企画、映像制作などを生業とするようになる。
パソコンに詳しい友人がいたので、早くから取り入れ、音楽制作や映像編集、デザインなどもパソコンで行った。
小さいながらも事務所を作り、少しのヒット作品もあったので、なんとなく自分は頑張っていると思っていた。
しかし時代には波というものがあり、その波に乗っているときは何をやっても結果が予想以上に付いてくる。
そして、いけないのはそれが自分の力や才能だと思ってしまう事だ。
気がつけば時代は変わって、インターネットが広がり、主軸だったCDが殆んど売れなくなってしまった。
それからは色んな事に挑戦したが、どれをとってもさほど良い結果は得られなかった。本当は、これが自分の実力だったのだが、認めたくはなかった。
そして、じりじりと苦しくなり、限界がそこにあることを認識する。
ネットを活用し、挽回しようと色々と考えてみたが、時代の流れは思ったより早くなり付いて行けなくなった。 五十代となった私は、時代の波から徐々に外れて行ったのだ。
私の行き場は、テクノロジーなどとは全く無縁の、山の中で仙人のような暮らししか思いつかなかった。
落ちぶれて、田舎暮らしするの大冒険だが、このままではやがて家賃も払えず悲惨な状況は見えている。
もはや一刻の猶予もない。一念発起した私は、さっそく田舎の家を探してみる。
まだ関わっている仕事もあったので、なんとか打ち合わせなどに出てこれる程の、中途半端な山里を探す。
もっと田舎の、山奥での暮らしも考えたが、初心者にはこんなもんだろうと妥協した。
色んな難題もあったが、秩父の山里で、家賃三万円・5LDKの古い家を借りて引っ越しする事になった。約二十年暮らした東京を、はなれる思うと寂しかったが、しがみついても良い結果が出ると思えなかった。
改めて思うと東京の家賃は高すぎる、もし前に住んでいた高田馬場で3万円の家賃なら、風呂なしの四畳半が借りれるかどうかだ。
引っ越して来たこの家は、広い、いや広すぎるので寂しさがより倍増する。
車も4台ほど駐車できる駐車場付きだし、どう使ったら良いか解らない広さだ。しかしもう後戻りはできない、目に見えない不安がどんどん大きくなってくるのをひしひしと感じる。
「やってしまったなあ」
あまりに急激な変化の目白押しに、私はただ笑うしかなかった。
「もう居直るしかない」
どこで暮らしても不安は付きまとうわけだし、これからはちっぽけな自分を認めて、しっかり受け入れて生きて行こうと思った。
さあ、里山での暮らしが始まる、どうなる事やらだ。
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