冬立たぬ
青井志葉
冬立たぬ
何度も電話をかけた。何度も、何度も、二日おきにかけていたのが、一日ごとになり、気付けば三時間に一回はかけ続けた。それでも一向に繋がらない。留守電にメッセージも残した。きっとあちらの電話のレコーダーには、私の声で同じ言葉が何十と録音されているだろう。ある種の呪いかと思うだろうが、これはれっきとした呪いである。私の怒りを聞き、自分の愚かさを悔やんで腰を抜かせばいい。それくらいにことは重要で切迫しているのだ。
聞き飽きた電子の声の後に、淡々と無感情に言いたい文句をすべて飲み込んで、最優先すべき用事のみを録音し、受話器を置く。
『今年の十一月は例年よりも気温が高く、九月初旬並みの暖かい日が続いています。富士山山頂に雪がない状態で立冬を迎えるのは、約十三年振りのことです』
私一人住まいの狭い平屋の居間には、テレビから流れるニュースが虚しく響く。画面には薄手の服装、半袖のシャツの人々が行き交うさまが映し出される。彼らの影の濃さが、照る太陽の強さを物語っていた。それは丸裸の富士山山頂を目の当たりにしてさらに焦りをあおる。
連絡の取れない相手に、初めは倒れているのではないかと思い家を訪ねたが不在。そこで携帯に電話をかけてみれば、家の中から聞こえてくる。同僚兼友人を呼び、一緒に家の中を捜索してみたら、家内はもぬけの殻、携帯は居間の卓上テーブルに放置、荒らされた様子もなく小奇麗ない室内に、生ごみの袋がないシンク、袋の入っていないゴミ箱を見て確信した。
アイツは、旅行に行ったのだ。
友人二人もアイツがどこに行くかは知らない、私ももちろん知らされていない。いつ帰るかも聞いていない。しかし、現状を知ればアイツも帰ってくるだろうと考え、帰ってきてから文句の一つでも言ってやろうと、一週間に一度、電話をするようになった。
それが一か月前のできごとである。アイツは、まだ、帰ってこない。
「どこに行ったんだ!」
苛立ちのままに畳を思いっきり踏みつけた。みしっと音がする。
友人二人はしびれを切らしアイツが生きそうな場所をしらみ潰しに探すと、日本全国へ旅立った。現状動けない私は家でアイツに鬼電をする係を仰せつかり、せっせとアイツの電話機相手に呪いを吐き続けことにいそしんだ。いそしんでも労が功を奏しない。
『半袖でも充分な気温がしばらく続きそうです。今年の冬はとても遅くにやってくるみたいですね』
ああ、そうだとも、今年の冬は遅刻してやってくる。大遅刻だ。そのバカを連れ戻そうと友人二人が日本行脚に乗り出したために、日本中がポカポカ陽気だ。
ニュースは天気予報の終了と共に番組を閉じ、通販番組が始まった。テレビを消し、また受話器を取る。指が覚えた数字を回す。
と、
「こんちわー」
アイツの声が、我が家の玄関から聞こえた。そして無遠慮に廊下を歩いてくる足音。ほどなくしてアイツは何食わぬ顔で、ひょっこりと居間に顔を出した。
「あ、いたいた。いないと思ったわ。ほい、これ、旅行のお土産」
「……いつから、どこに行っていた」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「うんと、九月くらいからかな、ようやっと流行病が落ち着てきただろ? だから行くなら今だと思ってさ。沖縄、九州、中国、あと四国に寄ったな。天気が良くてサイッコーだったぞ!」
「そりゃそうだろうさ!」
電話台の下に山積みにされていた新聞を片手で掴めるだけ掴み、相手に投げ付ける。顔面で新聞を受け止めた相手は痛がる様子はなく、腹立たしいくらいただきょとんとしていた。
「見ろ! 読め!」
相手は首を傾げながらもしゃがみ、私に言われたとおりに新聞を拾い上げた。まず日付を確かめて驚きに固まった。ついで先ほどニュースでやっていた丸裸の富士山山頂の写真を見て絶句し、写真の上の「冬はどこへ」という文字に、喉から絞り出したような声を出す。
「あのさ、冬は立っちゃったのか?」
相手は恐る恐ると私を見上げてくる。
「当の昔に立っとるわ! 冬の運送はお前の担当だろ! いつまで秋でいさせる気だ!」
「うわああ! ゴメン、ゴメンって! 立秋に出たからまだ大丈夫だと思ってんだよ! なんでもう二か月たってんだよ!」
「言い訳してないで、早く行け——ッ!」
冬を廊下に蹴り飛ばす。廊下に転がり出た冬は立ちあがると、一目散に玄関の敷居をくぐり抜け、自宅に向かって走っていた。
開け放たれた玄関口から、ようやく、肌寒い風が入り込んできた。
冬立たぬ 青井志葉 @aoishiba
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