第3話 愛猫ンゴ
「賢司さん?」
「あ、あぁ。ごめん。俺も、ちょっと混乱してて」
「いえ。落ち着くまで私は待ちますよ」
「……あぁ」
心配を孕んだ目で見てくる橘嬢の行動を片手を上げ静止し、自分は額を抑える。
そっか。あの時助けた少女が――橘さん。
元気そうで、よかった。
「……君が無事で、よかった。あの事件の後、俺の行動は出過ぎたものだと、気付いたんだ。だからかえって君に迷惑を――」
「そんなことはありません! 警察の方々も話していましたがあの時の犯人は何か薬を服用していたそうでまともな精神状態ではなかったと聞きました。もしあの時賢司さんに助けていただいていなければ私は……」
「分かった。それ以上は、もう聞かない」
震え少し青ざめた表情の橘嬢の顔を見て。
「……はい。あの、それで先程勢いあまり告白紛いのことをしたのですが答えとか……」
期待を込めた目で見てくる。
「俺には、期待に応えられそうにない」
「……何か、私に原因がありますか? 言ってくだされば直ちに直します!!」
詰め寄ってくるもそういう問題ではない。
「あぁ、違うんだ。君に、問題などない。あるのは、俺の方」
「賢司さんが?」
「うん。あまり、話せないけど。過去に色々とあってさ。人間関係とか、恋愛とか今の俺には、無理なんだ。だから、ごめん」
悲しそうな顔を浮かべる橘嬢には悪いが、こうして「家族」以外の他人と長時間話せること自体が奇跡。
おそらくそれは昔の顔馴染みとの会話だからだと思うけど、その先は……無理だ。
「君は、俺なんかよりもっといい人と恋をするべきだ。
彼女には悪いけど、もう。
「賢司さん……」
背後で声が聞こえたが、振り向かない。
その場を立ち去りその日は御開きに。
両親達に自分のせいで彼女を怒らせてしまい「お見合い」は破談となったと伝えた。
両親も橘さん達も深く追求はしてこなかった。
ただ、二人が決めたことならと納得をしてくれた。
そのことが嬉しくもあり、自分の不甲斐なさに絶望をした。
◇◇◇
橘家から帰宅し、自分だけ家の前で降ろされ。
「――では、私と母さんは買い物に行ってくる。賢ちゃんは何か欲しいものはあるか?」
「いや、大丈夫。デート、楽しんで」
首を振り、少しニヤけながら両親に笑いかける。
「……ただの買い物だ」
照れくさそうにそっぽを向き。
「もう、賢ちゃんたら!」
年替えもなくこちらも照れている様子。
「そうだな。今日はお酒でも買ってくるから一緒に飲もうか」
「それいいわね。たまには私も混ぜて混ぜて!!」
そう二人で話し合う。
「……楽しみにしてる」
それだけ返すと二人はにっこりと笑い車を走らせる。
「怒ってよ。俺を責めてよ。これじゃあ、いつになっても……あぁ、情けない……」
二人の「家族」の温かみを感じ、また自分の愚かさを噛み締めて。
「……ただいまンゴ〜」
返事は返ってこない。
「うなぁ〜!!」
返事は返ってこないが綺麗なグレーの毛並みのマンチカン――ネルちゃん(一歳)が代わりに鳴き声を上げ駆け寄ってくる。
「おお、うりうりうり〜本当にお前は可愛いンゴね。今日も変わらずふさふさ。ワイも髪の毛は大切にしなあかんな」
足に擦り寄りお触りを催促してくるネルを一通り撫で回し洗面所へ。
「今日は瑠美はいないよな。前、叫ばれたばかりだから鉢合わせは勘弁。ネル団員、偵察を頼んだ。レッツゴー!」
「なぁ〜」
洗面所に入る前に扉を少しだけ開けてネル団員に偵察を任せ、自分は外で待機。
それは以前起きた出来事。
洗面所に立ち入る前に声をかけても何も返事は返ってこず、大丈夫だと判断して洗面所に突入したところ下着姿の妹こと瑠美がそこにいて叫ばれた上に平手打ちを喰らい……。
「洗面所と風呂場が一緒の作りは廃止すべき。あれでは「のぞいてください」と言っているようなもの。男性のワイらが加害者として被害に遭うのは目に見えてるし」
「こんなところで何してるのよ」
「ちょっと静かにしてくれ。今は瑠美が下着姿かネル団員に確認してもらってるんだ」
「……ふーん」
んん、ん? おかしいな。聞き覚えのある声が背後から……。
「あ、
後ろを振り向くと生ゴミでも見るかのような目つきで見てくる妹様の姿。
家族目で見ても瑠美は美人だと思う。
名前は松村瑠美。
茶髪をミディアムに揃え、十人が十人美人と呼ぶであろう顔立ち。
小柄だがその質量のあるお胸様を持つスタイル抜群の肢体は世の男性を魅了する。
有名女子大を卒業後、知識を活かし投資家になり今では億単位を稼ぐとか。
今まで彼氏らしき人物を見たことないことが疑問だ……まぁ現れても俺とパパーンの審査が通らなければキスすら許さんが。
「アンタ……私の下着を見るためだけにネルを使ってんじゃないわよ!」
「ち、違う! これは前回の反省を活かしてだな!」
顔を真っ赤にしてキレる妹様に謝り倒す。
「その反省とやらを活かして今度は姑息にもネルを使うなんて、サイテー」
「信じられない」と吐き捨て怒り奮闘といった様子で洗面所に入っていく。
今回は殴られはしなかったけど信用ががガガガ。昔は可愛い妹だったのに……。
「ネルを回収して部屋に退散、退散」
そう思い少しして自分も手洗いうがいを済ませるため洗面所へ。
「……しなさい。……れは……!!」
「……なぁ〜……!!」
洗面所の扉を開けるとさっきまでは聞こえなかった瑠美とネルの声。
「ん? 二人ともどした〜?」
意を決して洗面所に突入。
「離しなさい! お利口だから、それを離してネル!!」
「なぁ〜なぁぁぁ〜!!」
二人は見覚えのある衣類を手に口に喧嘩をしていた。
「って、なんで俺のパンツを二人して取り合ってるん?」
その喧嘩?の原因は瑠美とネルにより空中で破けそうになっている己のパンティー。
「へ? あ、あの。あれよ。そう! アンタのくっさいパンツが階段に落ちていたから心優しい私が洗面所に来る際に持ってきてやったのよ。自分のイカくさいパンツくらい子供じゃないんだからなんとかしなさいよ!」
「……はい」
泣いた。
実の妹に自分のパンツ(ボクサー)をイカくさいと罵られたこと、そして自分の脱ぎ立てパンツすら処理できない自分に。
いや、でも流石にパンツは階段に脱がないわ……あぁ。ネルか。
「うなっ!?」
そんなことを考えていると目の前で自分のパンツを咥えていたネルが目を見開き、こちらを信じられないものを見る目で凝視。
「やっと離してくれた。もう大切な……じゃなくてパンツだって高いんだから遊んじゃダメよ、ネル?」
「……なぁ」
不満げに小さく鳴くと賢司の元に戻る。
「ネルもイカくさい……自分のパンツをそう言うのはアレだが……イカの臭いに釣られたんだな」
さすが、猫と思い感心して。
「……あむっ」
「痛っ!」
自分の元にやってきたネルに右足の脛を噛まれた。
「ほら、しっしっ。私は汗を流すからアンタも用事を済ませたら早く帰って」
「うぅ。分かったよ」
妹に汚物扱いされ、愛猫に甘噛みどころか本気で脛を噛まれた賢司はこの世の理不尽を十分体験し、満身創痍で退散する。
◇◇◇
お風呂内
「あぁ、もう最悪。なんでお父さん達はお兄ちゃんを外に出してるのよ。それも知らない女との「お見合い」とか……ふざけるんじゃないわよ……っ!!」
白色の湯船に浸かりながら。
「結婚なんて許さない。お兄ちゃんは私――瑠美のものよ。幼馴染も婚約者にも絶対に誰にも渡さない。ネルだけは猫だから許してあげるけど」
お風呂に浸かることで熱った顔とは違う恋する乙女のように赤らめた顔をして。
風呂場に持ってきていたタオル――で顔を拭くわけではなく、なぜかある賢司のパンツを鼻につけて――
「あぁ、最高。この香ばしい香りがたまんない……。それにしても、お兄ちゃんは、本当に、もう、んぅ」
自分の下腹部に手を伸ばし――
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