冷蔵庫に詰め込まれた男、Null岡
「Null岡!ああ……Null岡!なんで……」
2ドアタイプのレトロでチープな冷蔵庫。その冷蔵室の中には吉野兄弟以外の唯一の従業員であるNull岡が窮屈そうに押し込まれていた。ほとんどカスしか残っていないマヨネーズの容器が紺色の作業服とクリーム色の冷蔵室内壁との間でつぶれている。乾きがかった血でどす黒く染まったNull岡の安っぽい輝きの金髪。
弟の顔からサッと血の気が引くが、すぐにまた口内に残ったカプサイシンの力で頬がほてってくる。丸い頬に汗を浮かべ、Null岡の前頭に突き刺さった三十センチほどのモンキーレンチと冷蔵庫の扉のポケットに収まった成分調整牛乳をせわしなく見比べる。辛味とは痛みだ。弟は牛乳パックをつかみ、冷えた牛乳を一気に口中に流し込んだ。
一リットルの牛乳を一気飲みし、弟は力なく床に膝をついた。床に空の牛乳パックが転がる。Null岡は死んで静かになっている。
「なんで……」
Null岡とはそれほど仲が良かったわけではない。
高専時代、弟がうすいバイト代を漫画やゲームに溶かす時、Null岡は己のバイト代をパチンコに溶かす。そして弟が教室に持ち込んだ漫画を勝手に読む。そういう関係だ。学業の成績は地を這いおおよそ勤労とは程遠いNull岡を兄が雇い入れた理由は弟にもわからない。
「そいつは金庫のカネを盗んだ。だから殺した」
「にいちゃん!そういう時は警察に任せようよ!」
いつの間にか台所の戸口に立った兄が機械的な自動音声のように冷たく喋る。弟はぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。
「いやダメだ。物事は順番がすべてだ。悪事を働いたら殺す。それが一番わかりやすい順番だ」
「やりすぎだよにいちゃん!物事には大小ってのが……」
「ない。順番がすべてだ」
兄弟が言い争っていると悪魔がひょこひょこと背中を丸めて現れた。悪魔は兄の足元を小走りで通ると、弟と兄の真ん中でぺたりと腰を下ろした。弟は悪魔に向かって土下座した。
「頼む!Null岡を助けてやって!」
「え~…いいけど。魂をもらうぞ」
残った片角のほうに首を傾げた悪魔は面倒くさそうに唸り、よく冷えたNull岡に目をやる。さっきから開きっぱなしの扉を警告するピーピー音がうるさい。
「ヨーキ。やめろ」
弟を呼ぶ兄の声に、呼ばれてもいない悪魔が尻を浮かせた。ぶるぶると毛皮を震わせる。
「にいちゃん!た、たしかにNull岡はろくでなしだけど死ぬほど悪い奴じゃなかった!それにこのままじゃにいちゃん逮捕されるし、よくないよ」
「逮捕はこまるな。お前に会社を任せるのは不安だ」
兄は真っ暗な目を細める。弟は悪魔に向かってまた土下座した。
「おまえら、ちゃんと角をなおせよ。じゃないとノロイだぞ!」
悪魔は兄のほうをチラチラと気にしながら、のそのそ冷蔵庫の前まで近寄ると後ろ足で立ち上がってぴょんぴょんと左右に跳ねまわった。跳ねるたびに小刻みに巻尾が揺れている。いわゆる悪魔おどりの始まりだ
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