悪魔をはねても物損事故(特盛)
ベンジャミン四畳半
吉野弟、軽トラで物損事故をおこす
吉野弟は遮光器土偶に似ている。おおらかな体型に丸顔タレ目、そして眼鏡。
吉野兄は武人の埴輪に似ている。特に目のあたりが。
金属加工なんでも請け負いますご相談ください『吉野製作所』。兄弟の名刺に印刷されている文言を考えたのは亡き父親だ。
今は兄が営む小さな金属加工工場に弟が転がり込んだのは秋の丑三つ時だった。ガタガタと震える弟の腕の中には、ぐったりとしたイヌ足ヒツジ角の悪魔が収まっていた。夜中にも関わらずなぜか作業着姿の兄は悪魔を見下ろす。ねじれ角は片方折れ、悪魔はクツクツと歯軋りをしつづけている。
「悪魔をはねちまった!どうしよう呪われる!」
「ツノ~」
悪魔はもぞもぞと身をよじり、イヌ足で宙をひっかくと悲しげに鳴いた。
「ポケットに角がはいってる!なんとかその……直せないかな?」
弟はふっくらした腹をつきだすようにパーカーのポケットを兄に向けた。ポケットには折れた角が無理やり押し込まれている。兄はそれを手に取ると破壊面の有様を検分し、「入れ」と低い声でつぶやいた。
三連休最後の晩だ。手狭な工場の空気は冷え切っている。兄弟が父から受け継いだ古い旋盤やフライス盤などの工作機械もコンクリートの床の上で静かにしている。
吉野兄は作業机に何枚かの紙やすりを荒いほうから細かいほう、番手が小さい順に並べた。弟はタオルに包んだ角の欠片を紙やすりの隣に置くと、コンビニ袋から激辛ソース焼きそばを取りだした。
悪魔は事務椅子の上で毛布に包まり、恨めしげに吉野弟をにらんでいる。弟は気まずそうに悪魔から目をそらし、危険なほどに辛いチリソースの封を解いた。四角いインスタント焼きそばの容器からスパイシーな湯気が立っている。
「この激辛やきそばにデスソースをかけて食べます!」
弟はひきつった笑顔で宣言すると、ソース焼きそばにチリソースを一瓶すべてぶちまける。そして躊躇いが生まれる前に口へ運んだ。
よどんでいた悪魔の目が輝き、思わず椅子から見を乗りだす。
「おびやぁぇ!水っ!!みずぅ!」
ふたすすりもしないうちに弟は悶絶し、割り箸を放り出し台所に走った。悪魔は芝犬に似たしっぽを激しく振る。悪魔は人間の苦痛を好み、活力とする。だから機嫌を取るにはこの方法が一番良い。これは基礎的な悪魔対策で、市役所から発行されている悪魔対策ハンドブックにも載っている。
『悪魔とトラブルになった場合は速やかに悪魔の機嫌を取り、おだやかに追い返しましょう。けっして悪魔に嫌われてはいけません。悪魔に嫌われると呪いをかけられてしまう恐れがあります。しかし悪魔に好かれてもいけません……』
悪魔は面倒な生き物だ。そのため市役所の悪魔対策係は定着率が低い。つねに人員を求めている。
弟が転げ去っても兄は静かに角の破壊面を紙やすりで削っている。悪魔は兄の手の中の折れてしまった自分の角を見つめている。
「ツノがなおるまでヒマだな……。おまえ、何か願いを叶えてやろうか?魂いっこでなんでもだ!」
気分がよくなった悪魔はふんふんと鼻息を荒くする。兄は口を開いた。
「カネを後輩に持ち逃げされた」
「復讐するか?カネをとりかえすか?」
悪魔はフニフニと笑い、しっぽを振る。
「いやいい。もう殺した」
「ころした!」
「冷蔵庫に入っている」
「お、おまえ!こわいな!」
悪魔はヒャンと鳴き、しっぽを股の間に挟んで震えた。
「何でも、叶えられるか?」
吉野兄は埴輪の目で悪魔を見下ろした。
「にいちゃ〜ん!牛乳もらっていい?!」
弟のなさけない声に悪魔は驚き、椅子から転げ落ちる。兄はそっと角を机に置き、ゆっくりと席を立つと作業場に隣り合った台所へと向かう。悪魔は機械油のシミが点々とついた兄の作業服のズボンの裾を爪でカシャカシャとひっかいた。兄は気にも留めない。
「あ、あ~もうダメ!ぎゅうに……うわああああああああ!」
弟の絶叫に悪魔は思わず耳を伏せた。
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