第4話

 五月半ば。ゴールデンウィークも終わり、季節は初夏へと歩みを進めてい頃。ハルアキの住んでいる地域では続々と田植えが始まっていた。


 水の張られた田んぼに青い空が映りこんでいる。朝の爽やかな風がそよそよと流れ、太陽が柔らかく鏡のような田んぼの水面を照らしている。


 ハルアキは自転車を止め水の張られた田んぼを眺めていた。ハルアキは朝のこの穏やかな時間が好きだった。


 まあ、そんな穏やかな時間はそれほど長くはない。


「ハルアキ! 遅れるぞ!」


 少し離れた場所からおじさんの声が聞こえてくる。道路に面した田んぼの奥の方を見ると田んぼの様子を見に来ていたおじさんが見えた。


 そんなおじさんにハルアキは返事を返す。


「行ってきます!」

「おう! 行ってこい!」


 ハルアキは自転車にまたがるとペダルをこぎ始める。自転車はスピードを上げて目的地へと進み始める。


 ハルアキの自宅から最寄りの駅まで自転車で二十分、そこから電車で三十分。そして電車を降りて徒歩で二十分ほど行くとハルアキの通う高校にたどり着く。


 片道約一時間。往復で約二時間。晴れた日は自転車で、雨や雪の日はおじさんに車で送ってもらい駅へと向かう。


 今日は晴れている。太陽は少しずつ夏の力強さを見せ始めている。


「そういえば、明後日だっけ。田植え」


 ハルアキは自転車をこぎながら道路の脇にちらっと視線を向ける。道路の脇には何枚もの水の張られた田んぼが広がっている。


 ハルアキの遠い親戚であるおじさんは兼業農家だ。本業は庭師で、いつもはいろいろな家の庭の手入れや、庭の設計や造園も行っている。そんな傍ら、稲作や農作を行い、そこで収穫された作物をハルアキはお裾分けしてもらっている。


 そして、いろいろな農作物を貰うお礼にハルアキも農作業を手伝っている。もちろん、田植えにも参加している。

 

 参加している、と言っても実際に田植えをするわけではない。昔のように稲を手で植えるわけではなく、ほとんど機械で行われる。ハルアキのやることと言うと田植え機で田植えをするおじさんのサポートがほとんどだ。


 田んぼの手伝いは正直に言うとあまりできない。けれど、ほかにもいろいろとやることはある。


 タケノコ掘りや山菜取り、畑の草むしりやなにやらとやることがたくさんだ。


 ハルアキはこの場所が好きだった。この町の暮らしがとても気に入っている。


 若者らしくない、と言われることもある。けれど、それが自分なのだとなるべく気にしないようにはしている。


 ハルアキはこの町が大好きだった。


 ただ一点を除いて。


「……そろそろ、『巫女姫選び』かぁ」


 やらなければならないことがたくさんあるなぁ、と思いを巡らしていたハルアキの心があることを思い出し重くなる。


 巫女姫選び。それはハルアキの住んでいるこの町の風習のひとつだ。


 ハルアキの住んでいる町にはお社がある。それは特に珍しいことではない。どんな小さな村にもお社はあるだろう。


 そんなハルアキの町のお社には鬼退治の伝説が残っている。これも珍しいことではないかもしれない。


 昔々、人を喰う鬼がいた。獅子の頭を持つ『獅子鬼』と呼ばれるそれは恐ろしい鬼だ。獅子鬼は特に若い女を好んで喰い、村々を荒らして暴れまわった。


 その獅子鬼を退治したのは旅の若い侍だった。その侍は若い女に変装し、獅子鬼にしこたま酒を飲ませて酔い潰し、その首をはねた。


 その若い侍を称え、ハルアキの町では年に一度お社で巫女舞が行われる。そして、その巫女は巫女とは言うが男が努めるのが習わしだ。


 それが巫女姫。お社がある地区に住む十三歳から十七歳の男児が巫女の姿をして舞を舞うのだ。


 つまりは思春期の男子が女装をしてお社に参拝に来る人たちの前で踊るのである。しかも、この巫女舞はこのあたりでは有名で、他県から訪れる者もいたりする。


 ハルアキは自転車をこぎながら深いため息をつく。巫女舞のことを考えると憂鬱になってくる。


「今年は、違うといいな……」


 毎年、巫女姫は違う男子が選ばれる。選定方法はくじ引きだ。当たりを引いた男子が巫女の姿をして舞を舞う。


 ハルアキも経験済みだった。しかも二回、二年連続。十三歳の時にくじ引きで選ばれ、その次の年もまたくじで当たりを引き、二年連続で巫女姫の役を演じたのだ。


 しかし、去年はおばあちゃんが亡くなり、喪中ということでくじ引き自体に参加しなかった。そして、今年はというとすでに一周忌を終えて喪が明けている。


 つまり、また巫女姫に選ばれる可能性があるということだ。そのことを考えるとハルアキは気が重かった。


 別にお祭り自体は嫌いではない。ただ、巫女の姿をして踊りたくはないというだけだ。今年で十六歳、高校一年生であるハルアキは思春期真っただ中の男の子。そんな繊細な年ごろの男の子が女の子の格好をし、化粧をして大勢の前で踊るということに抵抗を覚えないわけがない。


 しかも、ハルアキの巫女舞は人気があった。ハルアキは中性的な顔立ちで、小さい頃は女の子に間違われたこともある。身長は百七十センチ前半で低いわけではないのだが、まだまだ成人男性の体つきにはなっていない。つまりは少年なのだ。


 そんな少年のハルアキの舞には何か不思議な魅力があるらしい。本人には全くわからないのだが、とにかく人気があるのだ。


 ハルアキはそれもなんだか複雑な気分だった。男なのに女の子に間違われ、女の子の格好をして踊るとみんなから素敵だ綺麗だかわいいと褒められる。


 本当に複雑な気分だった。喜んでいいのか、泣いていいのか。


「まあ、三回目は、ないよね」


 二度あることは三度ある。そんな言葉が頭をよぎるが、ハルアキはそれを無視してペダルをこぐ。


 それよりも考えなくてはならないことがある。


 明後日の日曜日に田植えが行われる。ハルアキもその手伝いをするのだが、その時にもっていかなくてはならないものがある。


 それは昼食だ。


 田植えや稲刈りなどの行事の時、おばあちゃんはいつも働く皆のためにお昼を用意してくれていた。内容はお稲荷さんやおにぎりなど簡単に食べられるものだった。


 そして、今年はハルアキが作る。おばあちゃんがいなくなって一年、いつも昼食を用意してくれていたおばあちゃんに代わりハルアキがお弁当を作るのだ。

 

 そのための準備をしなくてはならない。そんな無理をしなくてもいい、とおじさんたちは言ってくれたが、やりたいからやるのだ。


 おばあちゃんの代わり、という気持ちもあるが、いつも支えてくれている皆のためにがんばりたい、という感謝の気持ちもある。その気持ちを言葉だけではなく行動でも示したい、というハルアキの思いがそこにはあった。


 今日の帰りに食材を調達しよう、とハルアキは考えながら駅への道を急ぐ。お稲荷さんはいるだろうし、それ以外にも卵焼きなども必要だろう、と考えながらペダルをこぐ。


「お稲荷さん……」


 ペダルをこぎながらハルアキは思い出す。あの時の、法事の日の夜に見た夢のことを。


 結局、お稲荷さんが入ったタッパーを持って行ったのはおじさんではなかった。それとなく聞いては見たが、まったく知らないようだった。


 あれから十日ほど経った。その間、特に何かおかしなことがあったわけではなく、ハルアキの中ではあれは夢だったのだと結論づけている。


 だから、気にしない。気にしない。気にしない。


「よし、がんばるぞ。うん」


 ハルアキはペダルをこぐ。


 一日が始まる。

 

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たぶんそれらは異界の神様 甘栗ののね @nononem

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