第3話 3年C組の力士
ある春先の爽やかな午前7時半。
新たな生活に心踊らせる者。はたまた不安を抱く者。そして変わらず四股を踏む者。
新しい春を告げるソメイヨシノは、そんな者たちを祝福するように鮮やかに群馬の街を彩っていた。
今日も群馬は、平和だ。
しかし、暖かな春の朝日を切り裂くかのような一報が、朝のニュースに飛び込んだ。
速報、群馬県某所、阿修羅高校近辺に、推定3メートルを超えるヒグマが現地住民によって観測されたという。
近隣住民への注意喚起を促す文言で、そのニュースは締められた。
だが、そのニュースは血気盛んな群馬県民たちを
奮い立たせる知らせとしかならなかった。
20世紀に突入してもなお群馬特有の封建制により廃刀令が浸透しなかった群馬において、自らの腕を試したいつわものたちが阿修羅高校周辺に集う。
ついに"奴"が目覚めたか…。
群馬県猟友会支部会長、三浦権蔵にも知らせが届き、会員を招集。
各々で狩りの支度が始められていた。
これも群馬においては日常茶飯事。今日も群馬は平和だった。
阿修羅高校3年C組ホームルームにて。
相撲部、田中益荒男もまた、学校の評定と自らの騒ぎ立てる相撲本能とを天秤にかけていた。
「みんな、朝のニュース見たか?今日から俺たちも新学期がはじまるが、熊とてそれは同じらしいな!今日からみんなは進路を決める大事な時期に入る。
言わば人生のターニングポイントだ。熊も人里に降りてきてしまったことがターニングポイントだ。
つまり、先生は何を言いたいのかというと、みんなももう少しで学校という山からみんなそれぞれの進路、つまりは新たな世界へと踏み出して行くわけだ。慎重に考えるように!それじゃ今日の日直〜。」
生徒の大半が担任の話に首をかしげていたが、田中はそれに深々と頷いていた。
そうだ。いくら相撲一筋の自分でも、この大事な時期をないがしろにして、修行を優先する訳にはいかない。
文武両道を目指せという師の教えにも背く気がした。
冷静に、慎重になれ。
だが、それにしても熊と相撲を取りたいという夢があるというのも事実。
今までの稽古の成果を示したい。人間以外の生き物と相撲がしたい。
今回を逃したら、もうこんな機会はないのではないか。
葛藤で震えていた田中に、隣の席の相原が心配そうに声をかける。
「益荒男くん、大丈夫?お腹痛いの?ちゃんこの食べ過ぎ?」
そのとき、田中にひとつの名案が浮かぶ。
相原の心配を利用するようで、罪悪を感じたが、やるしかない。
「あ、あぁ、少しな。臨界点が近いが、心配無用だとも。」
「本当?無理しないほうがいいよ。」
「あ、ああ。」
机横に下げてあるスクールバッグから瞬時にまわしを抜き取り、学生服の内側に仕舞う。
「先生、田中くんがお腹が痛いそうなので、トイレに行きたいそうです。」
「おう、そうか田中、早く行ってこい。」
「はい。ホームルーム中にすいません。」
席を立ち、駆け足気味に教室から離れる田中。
トイレの個室に入ると、鍵を掛け、学生服を脱ぎ、仕舞ってあったまわしに履き替える。
あっという間に力士スタイルへと着替えた田中は、その重機のような体格に見合わぬ身のこなしで個室の扉の上の隙間からすり抜けると、3階の窓から飛び降りた。
175センチ105キロという、力士の中では小柄だが、極限まで鍛えられたパワーとスピード、粘り強さを備えた巨体が、音もなく校舎裏へと着地した。
すまぬ相原、自分は元気いっぱいだ。
あちらの方だ。この方向から強者たちの予感を感じる。
校舎裏の山へと駆ける益荒男。
つづく
次回第4話「伝説の緋熊」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます