通称つみばら



 まずは、胸くそ小説の話をば。


 罪深き薔薇は赤く染まるーー通称罪そまと呼ばれる、ウェブ発祥の小説がある。


 主軸はよくある、聖女リリアナと王太子アレンの恋物語だ。

 平民の孤児であるリリアナは、聖女のみが使える治癒魔法の使い手だった。隣国との戦争の折で重傷を負ったアレンを治癒したことをきっかけにリリアナは王宮で保護され、恋に落ちた二人は紆余曲折を経て結ばれる。


 そしてこの紆余曲折の大半を担うのが、アレンの婚約者、クローディア・フォン・フライエンフェルスだ。


 母親がクローディアの出産と同時に命を落としたことから父と兄に疎まれ、母の親友でもあった教育係から虐待を受けて育った少女、クローディア。


 当初彼女はアレンの婚約者でありながら、リリアナを応援する善人キャラとして描かれていた。


 平民出身であるリリアナの教育係を自ら志願し、天使のような微笑みでアレンとリリアナの仲を応援するクローディア。逆に人の心ないですよね?というレベルの善人として振る舞っていた。


 ところがどっこい。

 実はクローディアは、自分を虐げてきた国を滅ぼすため、また最愛の婚約者であるアレンを自分だけのものにするために隣国と手を組んだ、ハードボイルドにヤンデレな悪役だったのだ。


 幼い頃から虐待を受け、心の拠り所は自分に優しくしてくれるアレンだけという悲しい状況の中、クローディアの精神は深く壊れてしまったらしい。


 最終的にクローディアはアレンの命により処刑される。泣き崩れるリリアナをアレンがそっと抱きしめ、物語はハッピーエンドを迎えるのだ。



 しかしこの話。その後のエピローグが、胸くそなのである。


 そもそもクローディアが祖国全体を憎むように誘導し、自分を監禁したいと思わせるように誘導したのが、アレン殿下なのだ。


 そもそもクローディアとの婚約は、第二王子であるアレンが王位継承を確実なものにするためにと希望したものだ。

 しかし今から数年後、彼は兄を事故に見せかけて暗殺する。そうなると彼にとってクローディアとの結婚は、思ったよりも利点が少なかったらしい。


 そんな時に現れたのが稀有な力を持ち、かつめちゃめちゃに気になる女性、リリアナだったのである。


 そうだ、リリアナと結婚しよう。そう思ったものの、自分から勝手に婚約を破棄するのは外聞が悪い。それに今は隣国がきな臭い動きをしている。


 それなら一石二鳥でどうにかしよう、そう考えたのがクローディアに犯罪を侵させよう大作戦だ。


 ちなみにこの作戦が事前に漏れていたことで隣国の作戦も当然失敗。隣国も手酷いダメージを受けて終わり、アレンの一人勝ちとなるのである。


 前世十六歳の女子高校生だったわたしは、その話を読み終えて思わず感涙したものだ。このヒーロー、人間性が最悪すぎる。リリアナ、本当にそいつで良いのか。何よりクローディア。かわいそうすぎるではないかと。


 どんなに顔が良かろうと、そんなに怖い人とは絶対関わりたくない。

 だって今世こそ、わたしは絶対に――……



「……死にたくないよううう……!!」

「クローディア!?」

「!?」


 夢の中で、死神的な鎌を持って笑顔で追いかけてくるアレン王太子から逃げていたわたしは、突然大声で名前を呼ばれ、びっくりして飛び起きた。


 びっくりして目を見開くと、そこにいたのは狼狽しているお父さま。


 しかもなぜかわたしの手を握っている。思わずぎょっとして目を剥いたけれど、お父さまは離してくれない。

 その後ろには不審者を見るような目でこちらを見ているイザークお兄さま。その隣にはブリギッテが、焦ったような強張った表情でこちらを眺めていた。


「クローディア、お前……、なぜ、鍵のかかった物置部屋の中にいたんだ」

「えっ?」


 唐突に尋ねられ、驚いてお父さまを見る。

 手を離してくれないこともそうだけれど。いつもならばこの父、理由も聞かずに『ブリギッテに迷惑を(以下略)』『ブリギッテを困らせ(以下略)』と言うだけなのに。


 ああ……そういえば、窓から落ちたっけ。


 そう思い出して、納得する。

 さすがに窓から落ちた猿には、おざなりな注意ではなく本格的な説教が必要なのだろう。

 さすがに王太子殿下に受け止められてしまったしねえ……と気づいたところで、ひゅっと息を呑んで飛び上がった。


「で、殿下は!? 王太子殿下はお帰りになりましたか!?」

「い、いや、それは――……」


「ここにいるよ」


 勢いよく尋ねるわたしの耳に、穏やかな声が聞こえる。

「ひ!」と固まって声の方を見ると、そこには柔らかな微笑を浮かべる、アレン殿下が立っていた。


「ででんっでん…でん…でん」

「ああ、大丈夫だよ。楽にしていて。あんなに高いところから落ちたんだから。怖かったろう?」


 そう言う殿下は、三階から落ちたわたしを受け止めたというのに怪我一つしていない。

 確か小説の中のアレン王太子は風属性の魔術を使えたはずなので、風でわたしの体を浮かせたのだろう。


 どうやら傷害で捕まる線はなさそうだ。心の底からホッとする。


「あっ、ありがとうございます……」


 わたしがお礼を言うと、殿下は「当然のことだよ」と優しく笑った。


「風を使って受け止めたといっても、多少の衝撃はあるだろうからね。意識も失っていたし医師に診てはもらったんだけど……」


 そう言いながらブリギッテを一瞥し、またわたしに目を向ける。


「クローディア嬢。公爵の質問に答えられるかな。公爵令嬢である君が、なぜ鍵のかかった物置部屋にいたのか」

「えっ!? ええっ……とお……」


 目を泳がせる。

 ここで下手に閉じ込められてましたと言ってしまえば、わたしが哀れな美幼女だと気づかれて、処刑未来に近づいてしまうかもしれない。


 それに何よりわたしが何を言ったって、この家の人々が信じてくれるわけもない。逆に叱られるのがオチだ。

 何と言おうかと頭を悩ませていると、殿下が目を細めて優しい声を出した。


「……目覚めたばかりの君に聞くのは負担だね。では、質問する相手を変えようか。――使用人の君」


 使用人、という言葉をどことなく強調して、殿下がブリギッテに目を向けた。


「どうして君が仕えている筈の公爵令嬢が、鍵のかかった物置部屋にいて、窓から落ちる事態になったんだい?」 


 穏やかなのに、上から抑えつけられるかのような威圧感のある声だった。恐怖で胃がヒュッとする。


 私は全然大丈夫ですのでどうか帰っていただけないでしょうかと言い出せずに心の中で祈っていると、ブリギッテが深々と頭を下げた。


「……申し訳ありません。クローディア様はこのお屋敷を嫌い、いつもお一人で行動したいと仰っては、勝手に一人で動かれてしまうのです。鍵の件は不明ですが、使用人の誰かがクローディア様が中にいるとは思わず、締めてしまったのかも……」

「怠慢だね」


 ブリギッテの言葉に、殿下が淡々と言った。


「彼女付きの使用人というならば、幼い主人がどこにいるのかを、せめて把握しておくべきではないのかい?」

「クッ……クローディア様は、それも嫌がられるのです……!」


 ブリギッテが口元を抑え、声を震わせる。


「クローディア様は少々我儘で……ご命令を聞かなければ、暴れるものですから」

「六歳の、こんなに華奢な女の子が」


 殿下が小さく苦笑する。


「というよりも、我儘を放置する教育係など、僕は聞いたことがないよ。諌められないというのなら、それは単に君の能力不足だろう?」


 イザークの言葉をバッサリと切り捨てて、殿下は微笑みを浮かべたまま、ブリギッテに冷ややかな視線を向けた。

 青ざめたブリギッテが縋るようにお父さまを見る。


「こ、公爵様っ、私は……」


 しかしお父さまは何も言わない。気づかないうちに大罪を犯してしまった罪人のような顔で、わたしの手を握り……掠れた声で、呟くように言った。


「複数の使用人から報告があがった。物置部屋の鍵を、君はよく使っていたのだと。今日も」

「そっそれは、嘘です! 誰かが私を陥れようと……」

「……クローディア」


 ブリギッテの言葉を無視し、お父さまが私に声をかけた。

 何かを悔いるような恐れているような顔を見せて、「聞かせてくれないか」と震える声を出す。


「お前は……お前は、ブリギッテに閉じ込められていたのか?」

「……」


 目が覚めて迎えた急展開に、わたしはものすごく困惑していた。

 しかしそんなわたしでも、これが断罪チャンスだということはピンときていた。


 ……どちらにせよ、殿下はお見通しのようだし。

 覚悟を決めて、わたしは俯いて。


「うっ……うわああああん」


 長年培ってきた自慢の泣き真似で、わたしは今までブリギッテにされてきたあれやこれやを暴露したのだった。

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