転生先が、十年後に処刑される予定の幼女!

皐月めい

クローディア・フォン・フライエンフェルス


「……天使が降りてきたのかと思いました」


 窓から落ちたわたしを抱きとめた少年が、はにかみながらそう言った。


 彼の淡い金色の髪がさらりと風に吹く。

 青い瞳が光を浴びてキラキラと、宝石のように輝いて見えた。


 息もできないまま、わたしよりよっぽど天使めいた容貌の少年を凝視する。

 目がくらみそうなほど美しいこの少年を、わたしはよく知っていた。



「お怪我はありませんか?」

「い」

「い?」

「命だけは……!」

「え?」


 驚きに戸惑う顔も。とても綺麗だ。

 しかしこの顔に騙されて惚れたら最期処刑。惚れなくても多分処刑。


「それはどういう……」

「命だけは助けてくださいい……!」



 いずれわたしを処刑する王太子、アレン殿下の腕に抱き抱えられたまま、全てを思い出したわたしは現実を受け入れられずに気絶した。





 ◇



 事の起こりは、つい一時間前に遡る。


 えぐえぐと肩を震わせるわたしは、乳母兼教育係のブリギッテに腕を掴まれ、埃まみれの物置部屋へと放り込まれた。


 床にべしゃりと倒れむ。それと同時に、扉が音を立てて閉められた。


「どうぞごゆっくり、クローディア様」


 この物置部屋にわたしを閉じ込めることが、最近の彼女のお気に入りだ。


 この部屋には顔だけが黒く塗られた女の人の絵や、顔や体が半分壊れたお人形など、不気味なものがたくさんある。

 窓の外に鬱蒼と茂る大きな木々は、この薄暗い部屋を一層暗く見せ、少しの風でもざわざわと大きな音を立てるのだった。


「それでは静かにしていたら、夕方には迎えにきてあげますわ。少しでも音を立てて誰かに気づかれたら、お仕置きしますからね。まあ……閉じ込められたと言ったところで、あなたの言葉など、誰も信じませんけれどね」


 そうクスクスと笑いながら、ブリギッテが「それでは」と言う。


 コツコツコツ。

 ブリギッテの足音が遠ざかるのを、床にへばりついたまま慎重に確認をして。



「……今日も完璧に騙されてたわね!」


 がばりと満面の笑顔で立ち上がる。

 スカートについた埃をぱんぱんと払いながら、「動かない絵や人形が怖いわけないじゃない」とにんまり笑った。


 むしろ誰の目も届かないこの部屋は、わたしが唯一安らげる場所だ。

 最近では毎日「あの部屋だけはやめてください……!」とブリギッテに泣きついて、無事に閉じ込められることに成功している。


「なんてったってここなら遊び放題だし」


 美術品を並べて一人マダムごっこや、人形の壊れた部分にその辺の布を巻き付けて暗黒の力を封印されし魔法使いごっこを楽しむこともできる。


「おやつも食べ放題!」


 窓の外にわさわさ茂る木には、手を伸ばせば届く距離に美味しい果実がなっている。


「最高!」


 こんなに居心地の良い空間を、怖いなんて思うはずがない。


 むしろ人間のほうがよっぽど怖い。

 六歳にしてそんなことを悟る程度には、わたしはハードな日々を生きていた。


 わたし――クローディア・フォン・フライエンフェルスは、フライエンフェルス家という、貴族一偉い公爵家に生まれたお嬢様だ。

 本来ならばバッチバチにイケイケなイージーモード人生を歩むはずなのに、こうして日々ブリギッテに虐げられる生活を送っていた。


 あざができないギリギリの力でたたかれたり蹴られたり、髪を引っ張られたりは日常茶飯事。

 それからわたしがブリギッテを困らせる乱暴な問題児だと、周りに言いふらされたり。


 わたしの唯一の家族であるお父さまとお兄さまは、そのブリギッテの言葉を信じている。

 彼らがわたしに話しかけるのは、唯一顔を合わせる食事の席で「ブリギッテに迷惑をかけるな」「ブリギッテを困らせるな」と言う時だけ。


 お父さまはいつも困った猿を見るような目でわたしを見ているし、お兄さまに至っては生ゴミを見る目の方がまだ優しいだろうな、と思う目をしている。


 信用されている彼女は、憎まれっ子のわたしよりもずっと、この家の家族のようだ。


 ぎゅっと握りしめた拳を、天にむかって高く掲げる。

 いつか、わたしは絶対に……。


「新聞社! 裁判所! 滝沢ガレソに社交界! あらゆるところに幼児虐待公爵家と暴露してやる!」


 と決めている。

 投獄までは無理だろうけど、どうかこの家の人々は生涯人でなしとひそひそされていてほしい。

 ちなみにガレソとはなんとなく浮かんできた言葉で、特に深い意味はない。


 とにかくいつか絶対ブリギッテもろともこの家を地獄に叩き落としてやると心に決めながらも、現在幼児であるわたしにはいかんせん、抗う術がなかった。


「だからこそこのお部屋でのんびり過ごすのが、一番いいんだよね」


 まずは腹ごなしをしよう。窓台によじ登り窓を開けると、ふわっと気持ちの良い風が、わたしの銀髪を梳かすように優しく吹いた。


「良い風だなあ」


 目を細めながら窓台に座って、手近な赤い実をもぎ取ってかじりつく。しゃりしゃりと小気味の良い音がして、爽やかな甘味が口の中に広がった。


 美味しさに思わず口元がゆるんでしまう。冷ややかな視線のない食事、美味しいものです。

 ご機嫌に食べていると、視界の端でこちらを見ている二人の少年が目に入った。


「……うわ」


 二人組のうちの一人はわたしの兄、イザークだ。短い銀色の髪がつんつんと跳ねていて、いつもわたしを冷ややかに見ている紫の瞳が驚いたように見開かれている。


 もう一人は淡い金色の髪にサファイアのような青い瞳の、ちょっと信じられないくらいの美形の少年だ。

 もうちょっと成長したら、恋愛小説の表紙を飾ってもおかしくない美形。

 そうそう、例えば後半急にこっちが引くほどドシリアスになる『罪深き薔薇は赤く染まる』とか……。


「は?」


 突如浮かんできた聞き覚えのない言葉に頭が真っ白になる。断片的に、脳裏にわたしじゃないわたしの記憶が流れ込んできて……。


「クローディア!」


 鋭い声でイザークが呼ぶわたしの名前に、冷や汗が一気に吹き出した。真後ろにある壁にかけられた鏡を振りむくと、そこには慣れ親しんだはずの美幼女が映っている。


 銀色の長い髪に、きらきらと輝く菫色の瞳。


「クローディア・フォン・フライエンフェルス……」


 わたしの、名前。


 あわあわと動揺し、思わず後ずさりかけて――そういえばここが窓枠だったことを思い出す。

 当然ながらバランスを踏み外し、ぐらりと傾いたわたしの体は窓の外へと落ちていった。


 そしてふわりと、力強い風のようなものに包み込まれて。


 ふわり、すぽん。


「……天使が降りてきたのかと思いました」


 いずれわたしを処刑する王太子の腕に抱かれ、わたしは失神したのだった。

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