第2話:急患

 いつも通りの日。そのはずだった。



「ただいまー」



 水曜日。バイトに行く前に学生服から着替えるために、いつも通りの時間に帰宅した。いつも通りに帰った挨拶をして、靴を脱いで、自室へ向かおうとした時に気づく。いつも通りの、「お帰り」が無い。


 いつもならこの時間は、妹と二人分の夕飯の準備をしている時間。俺はいつもリビングに聞こえるように言うから、いつも通りなら帰ってくるその返事がない。



(何か買い忘れてスーパーに行ったのか?)



 なんとなく気になって、リビングへ足を運ぶ。そこで見たのはいつも通りじゃない、非日常。



「……母さん?」



 キッチンで倒れている母。一体何が。



「母さん? おい、母さん!」



 返事が無い。苦しそうに胸を抑えて倒れている。こういう時はどうすれば。


「そ、そうだ、救急車! 母さん、すぐ救急車呼ぶから!」



 慌てて端末を取り出し、震える指で3桁の数字を押す。



『はい、119番』

「き、救急車、救急車お願いします! 母さんが、母さんが倒れてて! 苦しそうなんです!」

『落ち着いてください、まずは住所をお願いいたします』

「じ、住所、東京の……」


 

 冷静な女性の声が俺を多少落ち着かせてくれた。震える声で住所を伝え、母について聞かれた事に返答していった。








「とりあえずは、すぐに命に関わる状態ではありません」



 もう日が落ちている時間にも関わらず緊急で対応してくださった医者の言で、とりあえずほっと一息ついた。しかしそのすぐあとに続けられた「ただ……」の一言で気が引き締まる。



「無理をしていたからか、疲労で身体が弱まっていたところに魔力が過剰に入り込む状況が数年続いてしまっています。その魔力の過剰吸収によって色々な悪影響が出てしまっています」

「色々な、と言いますと……」

「救急車を呼んだきっかけとなった発作もそうですし現在意識が混濁しているのもそうです。しかし最も深刻なのは一部臓器や血液、細胞の魔力汚染です。特に魔力に汚染された細胞は身体の各所に広がっており、正直に言えばこれで日常生活を送れていたことが不思議なくらいです。歩くだけでも痛みが走るでしょうに……」

「お母さん、そんな……!」



 堪えきれず泣き始める恵里。俺自身も、悲しさや悔しさといった様々な感情が綯い交ぜになって涙がこぼれそうになる。



「か、母さんは、どうなるんですか」

「余談を許さない状況でありますので、このまま入院していただくことになります。魔力遮断病棟で専門の治療を施し、身体内に留まってしまっている魔力及び汚染された細胞を徐々に除去していく、というのが治療方針となります」

「治るんですか!?」

「はい、症例自体は過去に幾度もあります。しかし一気に治療を進めると、魔力が満ちている状況に慣れてしまった身体に悪影響が出るため、長期入院が必要となります」



 長期入院。ってことは、その間の家のことは……いや、それに、入院費用だってある。そうしたら……。



「とりあえずは、今日は帰ってもらって大丈夫ですよ。魔力遮断病棟は17時以降は面会謝絶になっていますので。お母さんが意識を取り戻しましたらすぐに連絡いたします、またお見舞いに来る際は事前の連絡をお願いします」



 細い声で返事をして、色々な資料をもらってふらふらと帰路に付く。

 

 学校にも連絡しないと。あ、バイト休んでしまったから、おばちゃん達に迷惑かけてしまったから、そっちにも連絡して……。


 夕飯、食べてない。お腹、空いたな……。



「……」

「……」



 俺も恵里も何も言わない。言えない。電車に乗って大病院のある街から家の最寄りまで移動する間、俺と恵里の間にはなんの会話も生まれなかった。


 時刻は20時より前……。


「……杉の子食堂、行こう」

「うん……」



 俺のバイト先、杉の子食堂。老夫婦二人で切り盛りしてる小料理屋。


 家のすぐ近くに店があるから、小さい頃から何度も通った。父が死んでから生活が大変になった俺に、自分も歳を取ってきて手が回らなくなってきたから、働いてみないかと言ってくれた。俺にとってはもう1つの両親と言ってもいいくらいの顔馴染み。


 バイトを無断で休んだこと、謝らなくちゃ。そんな言い訳をする。今はなぜか、そんな人の顔が無性に見たくなったのだ。







「ごめんなさい、今日はもう閉店……ってあら、恵太ちゃんに恵里ちゃん! どうしたの? 今日バイトは……」

「ごめんなさい、おばちゃん……」


 言葉に詰まる。そんな様子を見て何かに気づいたのか、それ以上の言葉は無くキッチンに移動していった。


「二人ともご飯食べてないんでしょ? 出してあげるからほらほらかけてかけて! お父さーん! 余ったお肉焼いてちょうだーい!」


 あいよー、というのんびりした声。促されるままに椅子についた。


 少しの間を挟んで出てきたのはハンバーグとエビフライの定食。俺も恵里も子供の時からの好物。落ち込んだときとかもよくこれを食べて忘れようとしたものだ。


「さ、まずは食べて。……話すにしろ話さないにしろ、その後にしましょ」

「「……いただきます」」






「……そう。あの救急車の音、恵太くんのところだったのね」



 ご飯を食べ終わったら、安心感なのかはわからないが、自然と母のことを口に出していた。話しているうちにまたこみ上げてきて、聞いてるおばちゃんには伝わりにくかったかもしれない。そんな俺の拙い話を、黙って最後まできちんと聞いてくれた。

 


「事情はわかったわ、話してくれてありがとう。出来るだけ力になるわ」

「でも、迷惑じゃ……」

「いいのよ知らない仲でもなし、困った時はお互い様よ! といってもしがない定食屋にできるのはご飯食べさせてあげるくらいだけどね。ねえお父さん!」



 おう、と口数少なく頷くだけのおじさん。つくづく、この人たちには助けられっぱなしだ。今は自分たちのことで手一杯になりそうだけど……いつか恩返ししたいところだ。

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