第2話

「へえ、平民のわりには広い部屋に住んでるじゃない」

 キョロキョロと僕の部屋を見回しながら、レビリアさんはそんなことを言う。

 助けることを許可された僕は、ひとまず彼女を家に連れて帰ることにした。

 警察や病院に行くのもひとつの手かなとは思ったんだけど、「貴族がしがみついて離れてくれない。助けて欲しい」なんて言ったところで、あちらも困った顔をするだろう。

 どうせ困るなら、困る人は少ない方が良い。

 僕だけが困るなら、そっちの方が良い。

 だから僕は、彼女を家に連れて帰ることにした。


 幸いにも彼女の体はさほど重たくなかった。

 人の体重の、おおよそ三分の一ぐらい。

 それこそ、ダンボールからはみ出している体分ぐらいの重さ。

 残り三分の二の体重は――体はどこにあるのだろう。


「えっと、レビリアさん……だっけ?」

「私のことを名前で呼ぶなんて無礼ね。まあ、許してあげるわ。私は心が広いから」

「心が広い人は、そんなことを言わない」

 胸に手を添え、ふふん。と鼻をならすレビリアさん。

 ダンボールの中にいるというのに、不遜な態度を崩さない彼女である。


「きみは一体、何者?」

「私のことを知らないの?」

 信じられないという顔をするレビリアさん。

 彼女にとって、世界中の人間が自分を知っているのは当然のことらしい。


「私は帝国を支える二大貴族のひとつ。カードボード侯爵家のひとり娘にして、皇太子殿下の婚約者、レビリア・イン・カードボードよ!」

「帝国?」

 キラキラキラ。と、輝きを背負わんばかりの勢いで名乗りをあげたレビリアさんだったが、やはり聞いたことがない。

 僕の表情に納得がいかないのか、不服そうな顔をするレビリアさん。


「本当に知らないようね。シラヴィネス帝国の名は海を越え山を越え空を飛び轟いているとばかり思っていたんだけど」

「まったく知りません」

 僕は立ち上がり、クローゼットの中を探る。

 確かここらへんに、小学校の頃使っていた社会の教科書を片付けていたはずだ。


 見つけた社会の教科書の、世界地図を開いてレビリアさんの前に置く。

「シラヴィネス帝国っていうのは、この地図のどこらへんにあるの?」

「どれどれ……?」

 レビリアさんは地図をのぞきみて、眉をひそめた。


「この地図は一体なに? 初めて見たわ」

 今度は僕が信じられないって顔をする番だった。

 見たことがないだって?

 世界地図を?


「どんな言論統制の中生きてきたんだ……」

「むしろ私が言論統制する側だったわ」

「あぶなっかしいの拾っちゃったな」

「私の悪口を言えば首がとぶから、首切り令嬢とはよく言われたものね」

「本当にあぶなっかしいの拾っちゃったな」

 首切り令嬢って。

 現代に存在していいニックネームじゃあないよ。


 どうして彼女を拾ってしまったのだろうか。と後悔し始めた頃。

 首切り令嬢ことレビリアさんは——さっきまでの勝ち気な表情から一転。

 虚しそうな顔をする。 


「まあ、だからこんなことになっちゃった。と言うべきかしらね」

「こんなこと?」

「私は、処刑されるはずだったのよ」


 レビリアさんは言う。

「でも私はその噂を聞いてすぐ、家を飛びだしたの。殺されてたまるもんですかって」

「それで?」

「家の庭を囲う壁に穴が空いているのは知ってたから、そこから逃げてやる! 私を狙うあいつら許さねえからな! って思いで穴に飛び込んだの」

 そしたら。

 こうなっていた。


 と、レビリアさんはまとめた。

 つまるところ、彼女は首切り令嬢で。

 処刑されることになっていて。

 逃げるために穴に飛び込んだら。

 ダンボールの中にいたらしい。


 ……いや、やっぱりよく分からない。

 特に穴に飛び込んだらダンボールの中にいたあたりのところ。


 レビリアさんは身の上話を話し終えたと思ったのか、両手を広げて見せる。


「というわけで、さあ、平民! 私をここから出してちょうだい!」

「これって拒否したら僕の首が飛ぶ?」

「飛ばしてほしいの?」

「イヤです」

「じゃあ助けなさい」

 彼女は助けられて当然。と言わんばかりに、両手を広げたまま胸を張る。

 助けてもらう立場のセリフではない。

 とはいえ、ここまで来たら助けないという選択肢はない。


 僕は彼女の腋に手をかけ、引っ張る。

 しかし彼女の体はダンボールに引っかかっているのか、抜ける気配がない。


「い、痛い痛い!」

 レビリアさんが悲鳴をあげる。

 どれだけ綺麗にハマっているのだろう。

 五分ぐらい時間をかけて、引っ張る方向を変えたりしながら彼女の体を引っ張ってみたが、彼女の体が抜ける様子はない。


 ぱっと手を離す。

 ダンボールごと床に落ちた彼女を前に、僕は肩を上下に揺らしながら、息を吐く。

 ぜ、全然抜けない……。


「どうなってるのよ。もう……!」

 レビリアさんは腹立たしいと言わんばかりに大声をあげる。

 まるでダンボールと一体化してるのかってぐらいの抜けなさに困り果てる。


「いや、待てよ……?」

「なに。良い作戦でも思いついたの、平民!」

 目を輝かせるレビリアさん。

 僕はそんな彼女の両肩を、上から、両手で、がっと掴んだ。


「押してダメなら、引いてみろ」「つまり、引いてダメなら、押してみろって」

 ぐっと力をこめて、彼女を押した。

 すると。

 するっと。

 さっきまでの抵抗はなんだったんだってぐらいの気楽さで——レビリアさんの体は、浅いダンボールの底に沈んだ。


「う、嘘……!」

 とはレビリアさんの言。

「へ、へえ……っ!?」

 とは僕の言。


 彼女の体がダンボールの中に沈み、続いて僕の体がダンボールの中に沈んだ。

 僕の部屋の中には、ダンボールだけが取り残された。


***


 すぽん。という音が聞こえたような気がした。

 チカチカする視界の中、僕はあたりを確認する。

 まずは匂いが妙だった。


 なんていうか、旅行で古びた豪邸にやってきたときみたいな、そんな匂いがした。

 顔をあげてみる。

 そこは、僕の部屋ではなかった。


 庭園。

 一言で言い表すなら、そんなところ。

 僕はそこで、地面に倒れ込んでいた。


「大丈夫、平民?」

 僕のことを呼んでいるのだろう声。

 顔をさらにあげてみると、レビリアさんが不安そうな顔で僕のことを見下ろしていた。


 彼女の体は、ダンボールに詰まっていなかった。

 胸から下があった。

 フリフリで傘みたいに大きく開いたスカートも、よく見えた。


「レビリアさん、ダンボールから出れたんだ」

 安堵の息をもらす。

 すると彼女は、申し訳なさそうに言う。


「確かに抜けれたんだけど……」

 レビリアさんは僕の足の方を指さす。

 僕は首だけ動かして、自分の体の様子を確認する。


 僕の腹から下は。

 ダンボールの中にハマっていた。


「代わりに、あなたがハマっちゃったみたいね」

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