神話の獣と希望

 その頃になってようやく俺にも、敵対する生き物の恐ろしさがビリビリと伝わって来た。


 大広間に飛び出してきたのは、体高が15Mはある四足歩行の魔物。


 先行隊はそれに向き直り、戦闘状態に入る。

 きっとあの狭い洞窟では、先程の炎を吐かれたときに逃げ場がなかったためにここまで退散してきたという状況なのだろう。賢明な判断だ。

 

 それもそのはず。俺達には届かずとも、彼らも立派な戦士だ。

 向き直った瞬間にはパーティの戦術通り盾を持った戦士が前に出て、魔法使いが後衛で詠唱を始めていた。


「俺達も加勢するか。ローラ、炎を軽減する付与魔法を掛けてくれるか」

「分かったわ」


 詠唱している間に、先行パーティが攻勢に入った。

 タンクが大きな盾を構えて突進し、その背中に隠れるようにして、大きな戦槌せんついを持った戦士が迫る。


 魔物は緩慢かんまんな動きで前足を振りあげると、前衛目掛けて振り下ろす。

 それを盾で受けた戦士だが。

 くしゃっと呆気あっけなく血溜まりが出来上がる。


 それに怖じ気づく暇もなく、ほぼ同時にキャストされたパーティメンバーの魔法は、高火力の稲妻の魔法だった。

 雷が横に走ると同時に、視界が白く光る。

 湿度の高い洞窟の、空気中の水分を一瞬で水蒸気に変えたのだ。


 この魔法に反応できる人間などは居ないだろう。

 キャストした瞬間にはもう届いているのだから。


 だが、四足獣の右の首がその雷を魔法の盾で受け止めていた。

 ダメージは皆無。

 あの早さに対応できるということは、無詠唱で発動させた防御魔法だろう。


 お返しにとばかりに、今度は反対側の獅子の頭が口を開けた。

 それだけで先程の雷と同等以上の魔法が放たれ、魔法使いを射抜く。

 身体中の血が沸騰したのか、全身から湯気を上げながら、目や鼻等全ての穴から血を流して力無く倒れた。


 『圧倒的』

 その一言が場を支配する。


 一部の魔物にとって、魔法とは息をするのと同義。

 ため息と共に雷が落ち、叫びと共に凍らせる。


 こんな敵にどう立ち向かえと言うのか。


 その光景に、俺はまたもや自分の軽率さを悔いていた。


 そう。

 確かこの洞窟には……

 俺が適当に「火を吹く怪物」とかで、ネット検索して引っ掛かったモンスター。


 獅子の頭と山羊の二つの頭を持ち、尻尾は蛇になっている、合成獣キメラの語源ともなっている恐ろしき怪物。


『キマイラ』


 執筆時は「なんかかっこいいじゃん」と軽い気持ちで登場させた訳だが。

 目の前にして、その尋常ではない迫力に足がすくむ。


 文字で書いていた時に俺が想像していた生き物よりも、もっと大きく、強い。

 いかに当時の俺がお粗末な想像力でもって、作品を書いていたのかを突き付けられたような気分だ。


 だが小説の主人公達はそれが如何いかに強敵であろうと退くことはない。

 例えばいま逃げ回っている他の戦士達を助けるために、あるいは自己の力を示すために。


 それぞれの理由を心に、一歩も退かない。


 なのに。


 当然、迷い無くアドルフが一歩前に出る。

「おお、また妙な生き物が出てきたなこりゃ」


 その隣にプリンが進み出る。

「レッドドラゴンぐらい大きいんだけど」


 そして鉄壁ウィンガル、学級委員長エンタルト。


「炎なら俺ら鉄壁には効かねぇな」

「タコ殴りにして差し上げましてよ」


 だが俺も一緒に肩を並べる事は出来なかった。

 無謀だと感じたからだ。

 

「バイタルアップ!」

 後方のローラレイからアドルフとプリンにステータスの底上げ魔法が掛けられた。


「マナシールド」

 続いて呟くような声で、アンゴラから防壁の魔法が付与される。


 同時に二人が岩を蹴って飛び出す。

 それに続いて他のパーティーも、仲間の術師から魔法の加護を受けて追いかける。


 俺は後衛と一緒にその場所に立っていた。

 いや実のところ、足がすくんで一歩も動けなかっただけ。

 俺は物語の主役じゃないんだ、怖いもんは怖いだろ!


 思えばあの怪物は伝説上の生物であり、神が神と戦うために産み出した最強の生き物の一つらしい。

 ネットの情報を斜め読みにして、完全に適当に名前と姿を拝借したわけだが。


 その強さは俺には計り知れない。


 もちろん小説では彼らが辛くも勝利すると描いたハズだが、それがそのまま反映されるかは信じることが出来ない。


 これまでもいくつもの話を手帳で変化させてきた。

 そして、この世界も「必然」を守るために変化してきた。


 神にあらがう強さを持つモンスターと人間が戦うのだ。

 負けるのが「必然」だと世界が選んでしまったら?


 だが今さら手帳の効果を引き出すだけの状況を作り出すのは難しい。

 それ以前に世界の必然の網を潜り抜けて、かの生き物を倒すだけの決定的な一言を思い付かない。


 俺は知らずに後ずさりをしていたようだ。

 見晴らしの良い岩の上に陣取っていた俺は、その足を岩場から踏み外した。


──ッ!


 体が重力に引っ張られる感覚は、すぐに暖かい手によって支えられる。


「フミアキ、どうしたの?」

 大の男を片腕で支えるローラレイが、キョトンとした顔で問いかける。


 彼女の体内はマナで満ちていて、力も強く、防御力も高い。

 だからこそこうやって平気でいられるのだろう。


 俺はそうはいかない。

 体にマナを一粒たりとも蓄えておらず、吹けば飛ぶような儚いただの人間だ。


 彼女達はもはや人間ではない。


 そう感じた瞬間──

 あんなに美しいと思っていた顔が、なにか別の生き物に見えたような気になる。

 俺は目を反らし、助けて貰ったローラレイの腕から逃げ出した。


「フミアキ、早く援護の魔法を撃ちましょう」


 そうするのがさも当然のようにローラレイが話す。

 その声に恐怖の色は見えない。

 どんどんと彼女が離れていく。

 彼女と俺は決定的に違うのだ!


「怖く……ないのか?」


 問いではない、ただ口から漏れ出ただけの言葉。

 しかし、その答えは別の方向から返ってきた。


「こわい、めちゃこわい」


 そう言いながら声の主、アンゴラは俺の左腕にしがみついてきた。

 全身でカタカタと震えているのが分かる。


 考えてみれば、彼女のパーティはバフォメットに全滅寸前まで追いやられた。

 だが目の前にいる化け物はその何十倍も恐ろしい生き物に映っているだろう。


 震えるアンゴラに俺を重ねる。

 俺も内心はこの娘と同じだ。


 そのアンゴラの頭の上に、優しい手が触れた。

 白く細長い指がしなやかに、小柄な女の子の黒い髪の毛をまとってハラリと流れる。


「私も怖いけど──信じてるから」


 そう言いながら、艶やかな黒髪を何度も撫でる。


「アドルフやプリンも私達を信じてるから、怖くても前に進めるの。だから、私達も信じて貰えるだけ頑張らなきゃね」


 その言葉はそのまま俺に言っているように聞こえた。


 俺も撫でられたい。

 じゃなかった。


 俺も信じなきゃいけない。

 そしてアドルフとプリンの二人も、ローラレイだけではなく俺の事も信じているから、前に出ることが出来るんだろう。


 以前、俺は勇気の出し方をプリンに教わった。

 誰かを守るために前に進む勇気。


 そして今回は、誰かを信じて退かない勇気。


 この二つは似ているようで違う。

 だけど、どちらも人を変えるだけの強さ。


 果たして、俺が書いていた小説の登場人物は、こんな強さを持ち合わせていただろうか?

 俺が書いたシナリオ通りに戦い、ただ敵を倒していただけじゃないのか?


 それで強くなった、もっと強い敵が出てきた、勝った、強くなった……

 そういうものとは違う力を、彼らは持ち合わせているように感じた。


「──そうか、これがか」


 世界の必然でも、俺の不思議な力でもない。

 俺達が積み上げた見えない力。


 ボソリと呟いた言葉に、アンゴラは首をかしげたが、ローラレイは優しく微笑んだ。



「やるぞ!」


 俺は声を上げる。

 震え、すくみを吹き飛ばすかのように。

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