グロッグとミード

 みんなが寝静まった頃。

 俺は一人で机に向かう。


 アドルフは元々毛布を被って寝る癖があるため、部屋にランタンを置いて作業をしても気にならないようで良かった。

 この癖は俺が最初の夜に茶目っ気で書いた設定ではあるが、ここに来て役立っている。



 とはいえ、実は少し行き詰まっていた。

 ビギナー村、セカンドの街は解像度が低く、村の規模や特産品などを設定するにあたって不自由はしなかった。

 しかしここ、デッケーナは街自体が大きすぎて、商業、ギルド、政治までもがしっかりと機能していて、俺の入る隙間がないのだ。


 これも「必然」の賜物たまものなのだろうか?


 せかっくの自分の能力も使い所がなくては話にならない。

 俺は頭をくしゃくしゃとかきむしってから立ち上がった。


 階段を降り、インフォメーションの前を通りすぎ。

 応接ソファーの奥から受付の裏手に回り込む。


 重厚な壁板に、あまり明るくないオレンジの光を反射した空間が現れた。


「おや、イルマ様。お休みになれないのですか?」

 そして落ち着いた声が掛けられる。

「フミアキで良いですよ、マスター」

 俺は少し進んでカウンターの真ん中あたりを陣取る。

 他の客はいないんだから、隅っこってのも面白くない。


「何だか悩みごとのある顔をしていますね」

「すごいなマスターそんなことまでわかるの?」

「ふふふ、を掛けただけですよ、この世界に悩みの無い人間なんていませんからね」


 そう言いながら、コースターにお水を入れたコップを置いて、スススとこちらに差し出してくれた。


「ありがとうマスター」

「どうも」

 マスターは綺麗な布で、ワイングラスを磨き上げている。

 その手付きは何千、何万回と繰り返された動きのように感じられた。


「マスター、運命って信じる?」

 俺は水を口に含んで、少し味わってから飲み下す。

 カルキの匂い等はもちろん無いが、不衛生な水だとも思えない澄んだ味が喉を通りすぎてゆく。


「はい、信じております」

 グラスを拭く手を止めることなく返事をする。


「でも、その運命って誰かに仕組まれたものなんじゃないかなって、思ったこと無いですか?」


 例えばエリアスとの出会いは、まるで運命だ。

 あの日あのタイミングで、裏道を通りかからなかったら?

 だが俺は知っていた、俺が仕組んだ運命なのだから。


 そんな俺の思いを知るわけもなく、ロバートさんは少し手を止めて思案した。


「それは思います。運命と言えど、誰かが自分で考えてそうなるように動いた結果なのですから」


 言いたいことが判るような判らないような……

 答えを導き出すにはまだピースが足りない。


 俺の悩む姿を見て、ロバートさんは一緒に思案顔を作った。

 そして俺より早く顔を明るくさせると。


「ここはバーです、お酒を飲んでみませんか?」

 と提案してくれた。


「ああ、確かに。こんなところで水ってのも勿体ないですね。何かお勧めがありますか?」


 俺のその問いは見透かされていたのだろうか、考える間もなくすぐに返事を返してくる。


「そうですね、この街は麦の栽培さいばいが盛んなので、麦を発行させたグロッグ。それと、山岳を背にしている街の北に当たる地域ではハチミツが良く採れるので、ミードという蜂蜜酒がよく飲まれますね」


「じゃぁそれを二種類、美味しい飲み方でお願いします」

「承知いたしました」


 ロバートさんは優雅な仕草でカウンター奥のビアジョッキらしきものを手に取ると、今度はカウンターの下に手を伸ばして、どうやら何かを注いでいる様子だ。

 すぐにビアジョッキを持ち上げると、その外側に垂れた水分を拭きあげる。


「グロッグでございます」

 ぶっちゃけ聞いたことない飲み物だ。

 少しビールっぽい色はしているが、液体はにごっていて、良く見ると小さな粒子が舞っている。

 泡らしいものもほとんど見えない。

 物は試しだとジョッキを手にとるも、全くもって常温なのも気になるところだ。


「ええい、ままよ!」

 俺はその液体を口に含む。

 多少の粉っぽさと共に、香ばしい香り。

 そしていくつかのハーブが入った薬っぽい風味が独特だ。

 奥に少しだけ炭酸を感じるところから、ビールをつくろうとして失敗したもののように感じて。

 正直飲むのはこの一回限りでいいかなとさえ思った。


 その様子を少しだけ愉快そうに見ているロバートさん。

「次はミードをお出ししましょうか?」

「ん、ああ、お願いします」


 ミードというのは元の世界でも聞いたことがある。

「ハチミツで作るお酒だったら、甘いんですか?」

「ふふふ、さぁどうでしょうか」

 少しからかわれているのを感じるが、期待を膨らます演出のようにも感じる。


「お待たせしました、ミードです」

 磨かれた天板の上に置かれた透明なグラスに少しだけ注がれたミードは、確かにハチミツのような色をしている。


 俺はごくりと喉を唾で潤してから、一口運んだ。


「えっ、甘くない。ビールみたいだ」

 その飲み物には甘さは殆どなく、気の抜けたビールのように感じた。奥にほのかな花の香りがするようだ。


「そのミードはハチミツを綺麗な水に混ぜただけで出来るお酒です」


 確かに、混じりっ気のない純粋な味だと感じる。


「グロッグはその逆で、行程が複雑です」

「へぇ、どんな風に作るんですか?」

「まず小麦を焼いてパンにします」

「は?」


 一番はじめの行程が意味不明だ。

 しかし、当たり前のようにロバートさんは続ける。


「そして、それを水に浸して混ぜ合わせます」

「え?」

「香り漬けと、殺菌作用のあるハーブを入れて10日程放置すると出来上がりです」


 パンにして水に浸す意味が判らん。


「常温で保存しておりますので、暫くすると味が変わって来ます。最初か最後、好き好きの別れるお酒です」


 確かに、これは癖が強い。

 俺は頼んだ以上無駄にはすまいと、もう一口飲んでみたが、あからさまに感想が表情に出ていたらしい。

 ロバートさんが苦笑した。


「さぁ、お酒を飲んで少しは考えがまとまりましたか?」

「いや、ごめんなさい、結構強烈で……頭が回んないです」


「先程の問いの答えですが」

「あ、運命ですか?」

「そのお酒のようなものだと思いませんか?」


 俺は飲みかけのグロッグを覗き込んでから、首をかしげた。


「運命だと思っているものは結果です。それでいうと出来上がったお酒の事です」

 まだ言いたいことが判らないが、それがまた話の先を求めさせる。


「ミードのように、あなたがハチミツに混ぜたのが水だけなら、自分の思い通りに進むこともあるでしょう」


 そう言いながら、俺の置いたグロッグを手に取る。


「だがこのグロッグに貴方が求めるのは何だったのか? お酒が腐らないようハーブを混ぜたのかもしれませんね。しかし最初にパンをねた者、焼いた者、なぜかそれを水に漬け込んだもの。もはや到底酒造りとは言えないような行程を通って来たものに、ハーブひとつで貴方の思い通りにいくわけがありません」


 そう言いながら、ジョッキに少しハチミツを垂らした。


「実際こんな酷い味になっているでしょう?」

 ロバートさんは笑った。

 知ってて飲ませたのだ。


「運命とは沢山の人の行動によって変わっていきます、どんなに貴方が強力な力を持っていても、思い通りにならないこともあります。このグロッグのように、誰が喜ぶか判らないものが出来ることもあるんです」


 そう言いながら今度はミードをそれに加えて、軽くステアすると、微炭酸の飲み物は小さくシュワと鳴いた。

 そして最後の言葉と共に、混ぜたものをコースターの上に置いた。


「でもその絡み合う運命を受け入れるのも、関わったものの責任かもしれません」


 俺はその言葉の意味を理解しようと必死になりながらも、とにかく目の前の酒に答えがあるように思えて、手を伸ばした。


 グロッグのハーブの香りが強い。

 匂いを嗅ぐとさっきまでの味が思い出されそうだったので、あまり時間を掛けずにジョッキを傾けた。


「うまい」

 バカみたいにほうけた声が出た。


 粉っぽさが緩和され、焼いたパンにハチミツを乗っけた味になった。

 どろっとしていた舌触りが、さらりとしたミードが加わったことで濁り酒程度の口当たりに。

 そしてハチミツの花の香りが、ハーブと一体化している。


「もし、貴方が運命に関わるのであれば。他人を動かそうとするのではなく、よいタイミングでハチミツを注いであげてください」


 俺は知っている。

 この物語のストーリーを。


 しかし、その登場人物一人一人をコントロールすることはできなかった。

 だって、彼らは考え、悩み、怒り、笑って、泣いて。

 彼らの運命に向かって一生懸命生きている。


 それを目の当たりにして、自分勝手に駒扱いすることが出来なくなった。


 でもそれで良いんだと、ロバートさんが言ってくれた気がする。


 物語の中では、脱兎だっとの穴蔵の使用許可を出した後はほとんど登場しないハズなのに。

 そんな人がこれだけ真剣に俺に向き合ってくれる人だったなんて、俺も知らなかった。


 こんな素敵な人たちのためにも、俺が作り上げてしまったストーリーという運命に、甘さを添加していきたい。

 彼らが生き生きと、人として生きていけるように。



 ステアに使ったマドラーが、グラスの中で転がって、静寂をきわ立たせるような夜を過ごした。

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