第7話・夏、4
鬼とは、まさにこの男のことを言うのではなかろうか。
陛下の手は、躊躇いもなく私の袍にかかる。全身から、さーっと血の気が引いていく。
「まっ、ままま、待ってください!」
私は、慌てて陛下の手を掴んだ。
夜伽の覚悟はしてたけど、これは違う。なんか、めちゃくちゃに違う!
「なんだ? 男同士なら問題ないだろう?」
「おっ、男、同士……?」
「安心しろ。私に男色の趣味はない」
陛下の手に力が篭もる。私も負けじと陛下の腕を掴む手に力を入れた。
「じ、実は今、
「……は?」
陛下は一瞬、ぽかんとした顔をした。
「そ、そんな見苦しい姿を、陛下の目に入れるわけにはいきませんから!」
「……ほう?」
陛下は氷のように冷たい視線で、私をじろりと睨めつけてくる。けれど、私もここだけは引けない。なにがなんでも男であると貫き通さなくては、我が身と弟が散ることになる。
「それにほら、陛下。男の服を脱がせるなんて気分もよろしくないでしょう? こういったお戯れは、後宮の妃たちにするべきです! 残念ながら、私は男ですので! しがない文官ですので!」
声がひっくり返るけれど、今はそんなことを気にしてはいられない。
「……この期に及んで、まだ言うか」
視線が刺さる。
「そそ、それともあれですか。陛下はそういったいたずらをするのがご趣味で!?」
「はぁ?」
心底不機嫌そうな顔つきで、陛下は私を見下ろした。
やばい。死ぬ。
さすがに、挑発が過ぎた。
「……いえ、あの、大変失礼いたしました」
だめだ。終わった。まさかこんなに早くばれるなんて。まだ宮廷料理を制覇してなかったのに……。
すると、頭上からため息が降ってくる。
「
陛下が言う。
「ひとつ聞きたい」
おずおずと顔を上げる。
なにを言われるのだろう。
「な、なんでしょうか……」
「なぜ、このようなことをした? ばれたら死罪だと分かっていたはずだろう」
目が泳ぐ。ここで認めたら、本当に終わりだ。私も、暁明も。でも、ここまできたら誤魔化せるような気はしなかった。
迷った挙句、私はどうせならと、まっすぐに陛下を見つめて言った。
「……賊に襲われ、両親と家を失いました。この先生き抜くためには、自分たちでどうにかするしかないと思い、勉強が苦手な弟の代わりに私が科挙を……」
どんどん尻すぼみになっていく。結局黙り込むと、陛下は呆れたようにため息をついた。
「それで、弟はそなたの代わりに女装をして後宮に紛れ込んだのか」
「……申し訳ありません……」
今さらだけど、私はしゅんと肩を落とす。
これからのことを考えると、ぞっとする。とりあえず、死刑は決定事項だ。私に化けている暁明もすぐに捕えられるだろう。
ごめん、暁明。まさかこんなに早くあの世に招かれるとは。
「……あの、陛下。これはすべて、私が企んだことです。弟は巻き込まれただけです。ですのでどうか、弟の命だけは……」
すると、おもむろに口を塞がれた。
「むぐっ!?」
「やめろ。それ以上は言うな」
目を丸くして陛下を見上げる。陛下は困ったような顔で、何度か私を見ては視線を逸らしを繰り返した。
そして、
「もう仕事に戻っていいぞ」
「え、あの……?」
首を傾げる。
どういうことだ?
「だから、そなたの説明に納得したと言っている」と、陛下が苛立ったように言う。
「へ?」
しかし、言葉の意味を理解できない私は、陛下に阿呆面をさらす。
「暁明、所属は」
「……中書門下省ですが……?」
「そなたは中書門下省の文官。ここへは、私のお付になりたいと私に直に打診に来ただけ。そうだな?」
「……は?」
理解が追いつかない。
陛下のお付になりたい?
私が?
……このお方は、一体なにを言っているんだ?
「だから、そういうことにしておいてやると言っているんだ」
私はきょとんと陛下を見つめたまま、首を傾げる。
「あの、それはつまり……?」
助かった……ということなのか。
「そなたは今日より、私付きの文官とする。近くに置いておく代わりに、しばらく単身での後宮への出入りを禁ずる」
「はぇ……?」
唇の隙間から、吐息のような声が漏れる。
「良かったな? 異例の大出世じゃないか。そうと決まったら、さっさと荷物をまとめて、
陛下はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、私を見下ろしている。
紫水宮とは、皇帝の住まいだ。その場所は、皇帝とごく一部のお付きしか入ることは許されない。
そこに、私が? 入居? え、出世……?
――ぴーひょろろろ。
空は抜けるように高く、澄み切っている。遠くで、鳶が鳴きながら旋回している。
「――はぁぁあああ!?」
どこまでも真っ青な空に、私の悲鳴が響き渡った。
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