第5話・夏、2


 その後、朝になると、私たちはまた入れ替わるために衣服を交換していた。

 着替えながら、暁明に言う。


「昨日は皇帝陛下が来てたから、ちょっと焦ったよ」

「うん。でも問題なかったでしょ」と、翡翠色の襦裙をまとった、美しい青年がしとやかに笑う。暁明だ。相変わらず女装が良く似合う。

 

「さっきそこですれ違って、ちょーっとひやひやしたけどね」と、袍の丸衿を整えながら、私はそう返した。


「それにしても、雹華ヒョウカ妃ってさ、なんだかすごく距離が近かったんだけど、いつもああなの?」

「あぁ……」


 暁明が遠い目をする。

 

「うん、まあ」


 リュイ雹華ヒョウカ妃は、儚い感じの美女だ。暁明からは、気が弱く、お妃様の中では、化粧も衣服もそこまで着飾ることをしない人だと聞いていた。

 

 しかし、それでもその美貌は別格で、暁明が仕立てた絢爛けんらんな襦裙を着せてみたところ、誰もが見惚れ、嘆息したという。


 我が弟、よくやった。


 雹華妃は元々陛下と良い仲らしいが、彼女のお父上は宰相ということで、陛下はその点も考慮して雹華妃を貴妃としたらしい。とはいっても、後宮とはありもしない噂が飛び交う場所でもあるので、信憑性は分からないが。

 

 現に、私が見た限りでは、雹華妃はあまり陛下と良い仲のようには思えなかった。


「雹華妃は臆病なお方なんだ。後宮ではいろいろと言われているけど、実際には、陛下とか他の妃のこともあまり得意でないみたいだし」

「そうねぇ。でも、よくそれで人見知りの暁明が侍女になんかなれたよね」


すると、暁明は「あぁ」と頷いた。


「まだ部屋付きの侍女じゃなかったとき、雹華妃に会ったんだ。そのとき雹華妃、別の妃の侍女たちに影口叩かれてたんだけど、言い返すこともしないで、だんまりだったからさ。なんか悔しくて庇っちゃったんだよね」

「おおー勇敢」


 いつもは私の後ろでめそめそ泣いてたくせに、と思ったけれど、黙っておく。

 

「なんだか、雪玲になってると思うと、少しだけ強くなれてるような気がして」

 

 えへへ、と照れくさそうに笑う暁明。


「ちょっと待ちなさい。なんですって?」


 今のは聞き捨てならないぞ。

 

「冗談だよ」


 暁明はけろりと笑う。

「だから、雪玲のおかげでもあるってこと。ありがとう」

「まったく調子がいいんだから……」


 まぁ、後宮で一番の妃に気に入られたみたいで良かったけれど。


「それにしてもさぁ。こうして入れ替わって身の回りの世話をしてみて、あらためて思ったけれど、お妃様って大変ね」

「そうだねぇ」


 陛下の子を身篭ることが一番の仕事だが、それだけではいけない。人望も必要だし、賢さも必要だ。


 食い意地を張っている暇はないし、唯一楽しい食事のときだって、常に毒が入っている可能性を考えなければならない。


 妃って、なにが楽しいんだろう。

 私は思わず遠い目をしてしまう。


「……私には絶対無理だわ」

「うん、無理だね。気品とかないし」


 即座に、暁明が頷く。


「なんだと、こら」


 素直に同意されると、なんだかいらっとくる。


「ごめんごめん。冗談だって。とにかく、僕たちには、この程度がお似合いだってことだよ。こうしてお妃様と陛下のために生きるくらいが、さ」

「そうね。ここなら美味しいものもたくさん食べられるしね!」

「そこなの?」

「そこでしょ!」


 二人、顔を見合わせて笑い合う。

 

「まぁ、なんでもいいけどさ」


 雹華妃は気弱だが、優しく聡明で、とても可愛らしい妃だ。私は夜の間しか彼女のことを知らないけれど、素直にそう思う。

 野心剥き出しの妃なんかより、雹華妃のような、優しくて聡明な妃に出世してほしい。

 

「暁明、雹華妃のこと、しっかり助けてあげなさいよ」

「当たり前でしょ。僕の主なんだから」


 暁明の思ってもみない返事に、私は一瞬面食らう。けれど、すぐに頬が緩んだ。


「へぇ……」


 いつの間にか少したくましくなった弟に、私は思わず感心する。

 

「……な、なにさ?」


 じっと見つめていると、暁明は怪訝そうに眉を寄せ、私を見る。

 

「いや、珍しいなって。暁明も随分気に入ってるんだね、雹華妃のこと」

「……そうかな」


 暁明は、少しだけ恥ずかしそうに目元を赤らめ、ぽりぽりと頬をかいている。どうやら、我が弟にもようやく春が来たのかもしれない。


「もしや、恋か」

「ちち、違うよ!」


 暁明の顔が、さらに赤くなる。私は小さく吹き出した。素直でなによりだ。


 とはいえ、皇帝のものに手を出すのはご法度だ。もし万が一にでも暁明の想いが通じて雹華妃と良い仲になったとしても、陛下にばれれば死罪である。気弱な暁明にそんな度胸があるとは思えない。可哀想だが、弟の初恋が実ることはないだろう。


「ねぇ、暁明……」

「なに?」

「……いや」


 牽制の言葉を言いかけて、口を噤む。

 わざわざ言う必要もないことだ。それくらい、暁明も重々分かっていることだろうから。


「……ま、そのうちいいことあるだろうからさ! お互い頑張ろう!」

「う、うん……?」


 きゅうっと帯をきつく締めて、長く伸びた髪を結うと、私は暁明を振り返って言った。

 

「とにかく、今日もよろしくね。私は暁明シァミン

「僕は雪玲シューリン


 手と手をぱちんと合わせて、私たちは今日もまた入れ替わるのだった。

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