第32話 忌まれ双鬼

「客人。悪いが踏み込み過ぎたな」


 予兆など無かった、それだけは間違いなく。


 だが現実は違う。

 ぬめらかに輝く白銀のレイピアは幼い少女を深く突き刺し、突如として現れた男は躊躇いもなく切っ先を引き抜き、再び振り払わんと力を込めているではないか。


「なに……してくれてんですかっ!」


 状況を理解した瞬間、ファルシュの脳は燃え上がるように熱くなった。


 子供に手を出す人間などどんな理由があれろくでもない存在だ、これは古今東西決まっている。

 ましてや困窮した生活を送る少女たちをなど。


 横にあった重厚な机の端をファルシュは握りしめると、猛る衝動のままに振り上げ男の顔へと放り投げた。


「――! その膂力は一体ッ」


 自身を軽々と超す木塊による強烈な襲撃。

 さすがに正面からは受け難かったのだろう。男は驚愕の表情と共に剣を引き抜き、ドロシーを突き飛ばして背後へと後退った。


 ふらりと倒れるドロシーをファルシュが抱きしめると同時、白刃の剣戟によって背後で木塊が二つに分かたれる。


「血族か? いや、しかし」

「『蒼玉の女教皇サファイア・プリーステス』!」


 追撃の水弾が男の頭上を穿つ。

 埃をかぶったシャンデリアが強烈な音を立て地面へと飛び散らばり、矢継ぎ早に崩落した天井が周囲を埋め尽くした。


 ともすれば即死、最低でも重傷は免れないような現状。

 だがファルシュたちは理解していた。

 彼はまだ生きている、おそらく傷一つすらも負っていないだろうと。


「ドロシーさんっ!」

「ファルシュ! ドロシーとオズを連れて離れますわよっ!」


 ソフィアの顔にいつもの余裕はなかった。

 やはり彼女にとってすら、この襲撃は想定外だったらしい。


「オズさん! いったんこの部屋から離れますっ!」

「うそ、うそよ……ドロシー……うそ」


 しゃがみ込んだファルシュの抱くドロシーへ、うわごとの様に話し掛けて手を伸ばすオズ。


「……失礼しますねっ!」


 今は彼女の好きにさせている余裕はない。

 ファルシュはドロシーを背負うと、オズの腰へと手を差し込み小脇で抱え、廊下から手ぶりを送るソフィアへ頷き地面を蹴り上げた。

.

.

.



「まったく気付きませんでした」

「ええ、私も。おそらく監視されていたのでしょう……本来はこの子たちの監視者でしょうけれど」

「どこに逃げますか」


 広大な廊下を駆け抜け言葉を交わす。


 あのドロシーやオズに似た容貌を持つ男。

 彼がこの二人と何らかの縁、いや血縁があるのはファルシュも同意だった。

 だが今は背景に関しての議論を交わしている暇はない。早急な問題は一つ、一体どこに逃げるかということだ。


「旅行カバンについてのナツメさんの言葉は覚えていて?」

「……すみません、あまり」

「あれは時間停止を付与していない分、生物非生物問わず中に入ることができますわ」


 ソフィアの言葉に、確かにナツメはそんなことを言っていたとファルシュも思い出す。

 物が腐ることに注意すればいいと思っていたがなるほど、それならばこの二人を中に入れて逃げることも可能かもしれない。


「あの男は私が注意を引きますわ、貴女は二人を連れて外へ」

「待ってくださいソフィア。あの人の目標はこの子達です、直ぐに追ってくるはず」

「大丈夫」


 しかしソフィアは妙な自信を持っている。


「オズ……オズ!」


 呆然とファルシュに抱えられた少女の頬をぺちぺちと打ち、その視線が向いたと同時にソフィアは驚くべきことを口にした。



「貴女達姉妹は血鬼族、しかも人間の血が混じっていますわね?」



 その言葉にファルシュは小さく目を剥いた。


 人間、という区分が存在する。

 大部分は多くの人々が想像する存在だが、ごくまれに少数のみが栄えているばかりの特殊な血族もいる。

 その特殊な種族の中でも殊更有名なものといえば、血を啜り夜に生きる者たち。


 一般に知られた名前をそう――


「――! ヴァンパイアですか」

「容貌から可能性を考慮はしていましたの。けれどドロシーは外を歩き回っていた、これは純血ならば相当に珍しい」

「……パパがお外に出たとき、ママと出会ったの」


 伝説にあるように光で砂になる、ということはないものの、やはり太陽光の元では相当に力が入らなくなるらしい。

 思えばドロシーは外を歩く間常に日傘を差していた。たとえハーフとはいえ強烈な日の光は好ましくないということだ。


「さあ入って!」

「はい!」


 廊下を走り抜けた先、見慣れた部屋へと飛び込むファルシュたち。

 幸い中にはまだ男が踏み入った形跡はない、まだ背後から追ってきている最中と言ったところか。


 ドロシーの容態を見ようとそっとベッドの上へ降ろしたその時、ふと違和感がよぎった。

 確かに彼女は胸を貫かれていた。だが今のファルシュの背中はどうだ、さほど血に濡れた感覚がない。

 あれほどの傷なら滴り落ちてもおかしくないほどにも拘らず。


「ドロシーっ!」

「大丈夫、血鬼族は生命力の高い種族ですわ」


 なるほど、と顎を引く。

 人であれば即死であろう傷も耐えきることができる、たとえ半分の血であってもそれは変わらないらしい。


 ならば二人を鞄へと隠してそこの窓から逃げればいいだけだ、とドロシーの首元へ手を回したファルシュだったが、近くで覗き込むと不気味な違和感に再び少女の顔を覗き込む。


「待ってくださいソフィア……それにしては……」


 いやにドロシーの顔色が悪かった。

 ただでさえ白い肌はもはや青色にすら錯覚してしまいそうなほど、指先は震え汗が噴き出している。


「おず……オズ……寒いわ……」


 うわごとの様に呟くドロシーの横で、生まれた頃からの姉妹が必死にその手を握り相方の名を繰り返す。


 本当にこれは大丈夫なのか?

 傷からは血が出ていない。ソフィアの言う通り高い生命力によって、多少の傷は既にふさがり始めているのかもしれない。

 だがこれではまるで、なにか毒を注入されたかのような……



 刹那、耳をつんざく爆発音の迸り。

 きらびやかな調度品が一斉に砕け散り、飛び散った石片が布地を切り裂いた。



「月光に充てられた聖銀の刃は苦しかろうよ」



 壁丸ごとを切り抜き吹き飛ばした男が、薄ら焦げたコートから更なる一振りのレイピアを抜き取る。


「ファルシュ、分かっていますわね」


 ソフィアが無の表情を能面の様に貼り付け、ファルシュたちの前へと歩みだす。


 かの血鬼族の男、並みの存在ではない。

 負けるとは信じたくない・・・・・・が、たとえソフィアが万全であろうと無傷で済む相手ではない。


 理解はしていても現状、ファルシュは彼女にとって足手まといでしかなかった。


「ドロシーさん、オズさん……入ってください」

「でっ、でもドロシーがっ、それにふぃーも」

「入って!」


 自分でもここまで大きな声を出せるとは思っていなかった。


「それらは忌まれの双半鬼よ。侮蔑され生きていくのならば、いっそここで果てた方が幸せだろう。哀れな運命の悪戯に安らぎを与えん」

「古錆びた栄光と律に支配された種族は、口から出てくる言葉も黴臭いようですわね」

「刷新と革命に目が眩らみ滅びの道を歩む種族には分らんだろうさ」


 大きく開いた旅行カバンへ半ば押し込むように二人を入れると、彼女たちは一瞬で姿を消した。

 手早く鍵を閉め窓を開け放ったファルシュが背後へ視線を向けるも、ソフィアは振り返りもしない。


 唇の肉を強く一噛みし、ファルシュは窓から飛び出した。

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