第29話 招待状届いたのなら
「うわ……すっご……」
「ええ、本当に」
足を踏み入れたその屋敷は、外見に劣らず内装も見事なものだった。
踏むだけでわかる。厚手の柔らかなカーペットや細やかな彫金が為された調度品たち。
ファルシュはあまり豪華絢爛な装飾に慣れ親しんだわけではないが、相応の品というのは知識がなくともわかってしまうものなのだろう。
ついさっきまで山道を歩いてきた靴だ。
小さな土の破片でもついてしまったらどうしようか、と、しきりに靴の裏を眺めるファルシュの横で、ソフィアが小首をかしげた。
「……使用人が見当たりませんわね」
「やっぱりお屋敷となればいる感じなんですか?」
「ええ、この程度の規模なら十数人はいてもおかしくありませんわ。出迎えだってあるはず……」
誰に言わずともわかる、ソフィアの生い立ちが並みの家庭ではないことなど。
彼女が言うのならそれは確かなのだろう。
「いないわ」
日傘をたたんだドロシーがぽつりとつぶやく。
「言ったでしょう? ここに住んでるのは
白い少女の顔つきが暗くなる。
深紅の瞳が寂しげに揺れ、しかしそれも一瞬のこと、再び明るい笑みを浮かびあげた彼女はスカートへと手を伸ばした。
「でも今は大丈夫なの。ふふ、見てて?」
ドロシーが握っていたのは真っ青な杖だ、シャンデリアの華美な光をうけ輝いている。
「さあ起きてみんな、今日は忙しくなるわ! 『
少女が唱えた瞬間、景色が一変した。
彼女の握る杖に似た、青い少女の分身たち。
数にして五。それがドロシーを囲うように出現し、ピクリとも動かず従っていた。
「……まさか、これは」
それはどちらの呟きだっただろう。
「うふふ、すごい魔法でしょ? でも実は私魔法使えないの! 魔力が生まれつきなくて、ちなみにオズもよ?」
「ええ」
ファルシュたちが絶句したことをただ魔法に驚愕しただけととらえたのだろう、ドロシーは揚々と自分たちのことを語り始めた。
しかしそんなこと言われずともわかっているだろう。
なんといってもそう、ソフィア自身魔力を持っていないのだから。
「じゃじゃーん! これが私に力をくれたの!
黒いタロットカード。
少女が握っていた青い杖は一瞬で、実に見慣れた姿へと変貌してしまった。
どくりとファルシュの心臓が跳ねる。
隣にいるソフィアもおそらく同じだろう。いつもと変わらぬ薄い笑みを浮かべているが、わずかに顔をしかめているのをファルシュは見逃さなかった。
「すごいカードだけど本当はもっとすごいのよ? 実はこのカードはね……なんでも願いが叶うカードなの」
「いったい誰からそんな話を?」
ソフィアが質問を投げる。
このドロシーという少女、ここに来るまでに本人が言っていたように人との交流がなかったのだろう。
次から次へと矢継ぎ早に話を進めていく姿は、見目相応であり警戒心はない。
そしてなにより、ファルシュだけではなくソフィアよりもこのカードの事情に詳しいと見た。
「去年の春先だったかしら? ぼろぼろの……そう、今のふぃーみたいに傷だらけの男の人が来たのよ、その人からもらった時に聞いたわ!」
「その方は今どこへ?」
「……死んじゃったわ、私もオズも頑張ったけどどうしようもなくて。ちょうど……あそこの木が見える?」
ドロシーが指さしたのは一本の木だ。
庭の端でほかの木々とともに揺れる大木は、青々とした深緑を身に纏い悠然と根を張っている。
「あそこに春になるとピンクの花が咲く木があるけど、そこの根元に埋まってるわ。すごく大変だったけど、あの人のお願いだったから」
少女は詳しくないようだがファルシュには分かった。
いや、この国で生まれ育った人間なら、遠目で見てすらその木がどんなものなのかわかるだろう。
桜だ。
「……そう。烏滸な沙汰を聞きましたわ」
「いいわ。話すのが結構好きな人だったから、貴女たちも好きな時にあそこへ行って話してあげて?」
「さあついたわ! 今片付いているのがこの部屋だけだから、モノとジー……私の分身たちが準備するまではここに物を置いておいて! それとふぃーは寝てていいわ!」
「ありがとうございますドロシーさん」
「やだ、私たちお友達でしょう? ドロシーでいいわ、それにきっとオズも呼び捨てたほうが喜ぶわ!」
.
.
.
「傷はどうですか?」
「ええ……あまり、良くはありませんわね」
「やっぱり何日かここに泊めさせてもらいませんか? せめて傷が治り始めるまでは」
ベッドに座るソフィアの背中をなでる。
本来であれば傷一つないなめらかな肌に、黒々とした打撲痕がいくつも見えた。
移動中もなるべく傷口へ圧迫を与えぬよう緩やかな服装をしていたが、やはり動くということがそもそも悪影響を与えているのだろう、まったく腫れが引いていない。
悩みから黙りこくってしまった彼女に、停滞してしまった空気を少し動かすべくファルシュは別の話題を振った。
「どう思いますか」
「何がかしら?」
「その……願いが叶うというのは」
望みが叶うカード。
ドロシーが語ったのは誰もが願い求めるような噂話だが、どうにも胡散臭い。
「古今東西、願いをかなえる珍品というのは散見されますけれど、一度足りとて本物を拝見した覚えはありませんわね」
「ですよね……でも、ルアモも持っていました」
「ええ。どうやら私は以前一度会ったようで、当時も体を乗っ取っていたから気付きませんでしたけれども」
ふう、と少女がため息をつく。
所詮は名品にありがちな、さび付いた伝説。
「ただ」
ソフィアが一つ区切る。
「願いが叶うというのを信じているのは、おそらくあの子だけではありませんわね。以前の所有者は何者かに襲われた、その何者かは……」
願いの話を信じている存在がいる。
そして残念なことに、カードの話に付随する新たな事実が浮かび上がってくる。
もし願いが叶う不思議なカードというだけなら、別の所有者を襲う必要なんてないはずだ。
あり得ることは二つ。
単純に他の所有者のカードで複数願いをかなえようとした人間がいる。
そして最悪かつ可能性が高いものとして……噂話の条件として、ただカードを持っているだけでは願いが叶わない。つまり殺し合いか、それに準ずる何かをする必要がある可能性。
「単純にお散歩中ケガをしただけかもしれませんけれど」
「そうであることを願いたいですね」
「まったく、実に陳腐で性根の腐った方が裏に一枚噛んでいそうですわね」
どうやらソフィアは後者の可能性に目星をつけたらしい。
「どうするんですか?」
「……どうしようもありませんわ、今は何もできませんもの」
ここまではすべて予測の範囲だ。
彼女の言う通り今は何もできない。カードは祝福か、それとも呪いか。
「少し、目をつむりますわね」
「はい、お休みなさいソフィア。私はあの子たちと話してきますね」
「ええ……」
幸いにして少女たちは今のところ、何も企んでいないらしい。
何か考えているのならここまで情報を漏らすことはないだろう、少なくとも今この屋敷は安全圏のはずだ。
椅子から立ち上がり、たいそうな出入り口の扉へと手をかけたファルシュの背中へ、ソフィアの掠れた声が投げかけられる。
「ファルシュ、警戒は解かないで。あの子たちに悪意は無いかもしれないけれど、ただの子供というには随分と事情を抱えていますわよ」
桜を知らぬ白い少女たち、この国の生まれではないのだろう。
つい最近来たばかり、一体どこから?
親も姿を見せず、ただ姉妹二人で暮らしている。
ただ山道で一晩の部屋を借りる話であったが、なんだか随分ときな臭くなってきた。
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