第27話 要するにアイテムボックスですよね?
あまり奇麗に片付けられている、とは言い難い古工房に似つかわしくない若い姿。
彼女はライトの下、なにかレンズのようなものを覗き込みながら、手元の魔石らしきものをいじくりまわしていた。
しかし入り口に備え付けの、冴えたベルの音にはたと顔を上げたその直後、手にしていたものを放り投げせわしない動きで入口へと駆け寄ってきた。
「早くない?」
「早ければ二日と伺いましたわ」
「まあできてるけどさ……」
ソフィアの口調はいつもと変わらず飄々としたものだ。
だが隣にいるファルシュだけは理解していた。今も彼女は気付かれぬようにこちらへ体重を預け、長いスカートの下に隠された膝が小さく震えていることを。
昨日の今日で受けた傷が治るわけもない、それどころかつい半刻前まで彼女は布団に寝転がり唸っていたというのに。
「すみません、話だとおとといソフィアが何かを注文したみたいで」
「わかってる。ちょっと待ってて」
出会いが最悪とはいえ顔見知り、軽い会話でもしてやりたいところだが今日は時分があまりに悪い。
ファルシュは今すぐにでもこの横で虚栄を張っている銀の少女を持ち上げ、布団の中に放り込んでしまいたいほどなのだ。
ここまで来るのに挟んだ二度の休憩と、普段より一層白くなった肌が彼女の無理を伝えていた。
「はいこれ、空間拡張式の旅行カバンね。体積は大体三畳の部屋くらいかな。三畳ってわかる?」
工房の奥に姿を消したナツメが再び戻ってきたとき、彼女が抱えていたのは茶色く艶のある、四角い革製の旅行カバンだ。
サイズとしては一般的なキャリーバッグなどより一回り小型といったところか。
持ち歩くカバンとしては大きな部類だが目立ちすぎるほどではないだろう。
「生物非生物に限らず入れることができるけど、代わりに時間遅延はかかってないから普通に腐るよ。そこだけ気を付けてね」
「ええ、では確かに受け取りましたわ」
実に簡素な受け答えでソフィアの目前へと置かれるソレ。
いつもと変わらぬ笑顔でやり取りを眺めていたファルシュにふと疑問がよぎる。
あれ? ただのバッグじゃない?
クウカンカクチョウシキ? 空間? 拡張……!?
「空間拡張式……それって確かすっごい高い奴じゃないですか!?」
そう、これはただの古めかしいデザインをした旅行カバンじゃない。
空間拡張式、つまり魔法を刻んで見た目以上の容積を確保した魔道具の一種だ。
様々な魔道具に囲まれた現代であるが、空間拡張のように単純な物理現象以外を再現する魔道具は基本的に高価。
六桁を超えて七桁すらするものも少なくない、そんなものを目の前でやり取りされたのだから驚くなという方が難しい。
確かにソフィアは時々ファルシュを置いてダンジョンに行くこともあったが、まさかそれほどため込んでいたとは想定外だ。
「大手はボリすぎだよ。ネームバリューに胡坐かいてるんだ、そりゃ多少は技術も必要だけどさ」
「格安で制作して頂きましたの、とはいえこちらで稼いだお金の大半は渡してしまいましたけれど」
「ボクは子供のころから散々色んな物運ぶために作ってきたし、これくらいなら……ね?」
わかるでしょ? と言わんばかりに肩をすくめるナツメ。
もちろんわかるわけがない。
なんでこの人はあんなおもちゃを売ろうと考えていたのでしょう……?
どう考えてもその技術力を売った方が……
ファルシュが何とも言えぬ顔で少女を眺めていると、彼女は鞄の留め金をぱちぱちと外し、先ほどとは打って変わって随分と生き生きとした顔で自分の作品を語り始めた。
「それとこれはただの空間拡張式じゃないぞ!物質を魔力変換して圧縮することで効率を最大限にまで上げたんだ、これは魔力と記憶との因果関係を利用することで遡って再構築できるようにしてあって」
「ナツメさん」
「二層構造で物質から魔力の一部を区切って残すことで……渾然一体となった魔力塊からでも再構成するための因子を……」
「ナツメさん!」
「あ……ごめん。ともかく見た目よりいっぱい入るよ、ただし魔石だけは切らさないようにしてね。中に入れとけば勝手に補充していくからさ」
ばつが悪そうに留め金を嵌め、ずい、と二人の前へ押し出す彼女。
「それと、これ」
鞄へと手を伸ばしたファルシュの前に、ナツメがなにかを差し出した。
「帽子だけじゃ目立ちすぎるよ、やたらと身長の高いシスターに身なりがいい銀髪なんてさ。だからこれ」
「えーっと、髪飾りですか?」
それは二つの髪飾りだ。
色は対照的に緋と蒼、どちらもクロスになったデザインは特段変わった形とも思えない。
「永久式の姿隠し。説明しづらいけど……装着者から少し離れた周囲にいくつか高濃度の魔力点を作るんだ。すると無意識に感知した人はそっちに目線を向けるから、装着者にあんまり注意向かなくなるというか……わかる?」
ナツメの話を端的にまとめると、要するにつけてれば目立たなくなる魔道具というわけだ。
「魔力がなくて感知出来ない人とか、相当鍛錬積んでる人には効かないけどね。これで今よりは断然目立たなくなると思う」
「なるほど、これは素晴らしいものですね! 素晴らしいものですが……そのお値段は?」
「無料でいい」
ファルシュの口から素っ頓狂な声が出た。
どう考えてもこれは安いものではない。
先ほどの空間拡張式鞄といい、このナツメという少女の根本は相も変わらず変わっていない。
商売下手を通り越してもはやフリーフォールだ、投げ捨てている。
無言でシスター服の裾から財布を取り出したファルシュに、ナツメがカウンターから手を伸ばし抑え込む。
彼女の眼が語っていた、分かっているだろうと。
「いやいやいやいや、払いますよ」
「いやいやいやいや、いらないから」
「いやいや……」
「いやいや……」
『|やっ『嫌』!』
横で呆れた嘆息がこぼれる。
「……はあ、ありがたく頂戴しましょうファルシュ」
「ソフィア! でも……」
「時に過分な遠慮というのも悪でしてよ」
「ぬぅ」
悪だとまで断じられてしまえば返す言葉はない。
ファルシュが黙ったのを見て、今が好機だと言わんばかりにつかんでいたその腕を引っ張り、手のひらへと髪飾りを握らせるナツメ。
すると彼女は自分のつんつんと差し、早く付けろとせかしてきた。
「んー、ソフィアはどっちがいいですか?」
「どちらでも」
「じゃあ私は蒼で! ソフィアの眼の色ですね!」
「! ……おばか、幼稚ですわね」
素早くファルシュの手から髪飾りを奪い去ってしまうソフィア。
そして彼女は緋色の飾りをもみあげに、ファルシュは前髪と少し悩み、やはり一番よく見えるであろう頭巾の前へと差した。
思えばファルシュは自前の物が少ない。
教会にいるときはシスター服だけで、他の物は大半が共有物。
ともすれば装飾品など、これが初めてなのかもしれない。
「その……二人には色々あったし。本当にありがとう」
「社会は狭隘ですけれど、時に多くを許す人間がいても悪くはないでしょう?」
鞄を片手に、もう一方はソフィアの腰へと添えて後ろを向く。
「ごきげんよう、良い一日を」
「ありがとうございます、鞄も飾りも大切にしますね」
「うん……あの……待ってるから、また来てね」
扉が閉じられると同時、ソフィアの体がぐらりと傾いた。
ファルシュにも大分わかってきた。
このソフィアという少女、実に凛と澄ましているようで、その実無理をしていることが多いと。
「大丈夫ですか?」
「ええ……いえ、少しお腹が痛みますわ」
「だから私が一人で行くって言ったんですよ! 杖代わりになりますから体重こっちに預けてください、それと限界なら抱えますからね!」
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