第26話 ハリウッドで学んだけど愛のパワーが世界を救うんだよね
うすぼんやりと掠れた意識の中、何かを感じていた。
どこかへ揺蕩っているような、微睡んでいるような、心地いい感覚。
私が誰かに語り掛けていました。
でもちょっと怒っているみたい。この人は確かにいつも少し怒った口調だけど、今日は何かが違うみたい。
ふと指先から伝わってくる、想像よりも早い血潮の鼓動。
気持ち悪かった。
柔らかくて、きめが細かくて、今にも手折ってしまえそうなほどか細いそれに力を込める度、耐えがたい不快感が沸き上がってきた。
なぜ憎んでもいないこの子を、親切に――いや、親切とは言い難いが、少なくとも情をかけてくれたこの子を。
見えるか、この景色が。
微睡みの中見ていると思った景色、色のない世界を疑問が打ち砕き、生まれた色彩が覆っていく。
そうか、そうだ。
目を開け、目を覚ませ。
これは――
「ちょっと」
――現実だ。
「勝手に話進めて」
誰だか知らないけれど、自分の思考に介入している奴がいる。
体を操っている奴がいる。
誰だ。
誰だ!
「おまけに私の体で何、やってんですか……!」
こんなことさせる人はっ!
「おお、動けるのか」
左手が動いた。
ソフィアの体がずるりと落ちる。
「――!」
彼女はふらつきながら距離を取り、仰ぐような激しい呼吸を繰り返す。
「体がっ……ソフィア!」
その時、久しぶりにファルシュは自分自身を思い出した。
思考も、すべて己がまま。当然だと思っていた自由。
「大丈夫ですか……!?」
地べたへ座り込む彼女に駆け寄った。
髪は乱れ、その目の端には恐怖、生理、理由は分からないが小さな雫が浮かんでいる。
しかし彼女が突き付けたのは鈍く輝く銃口だ。
「ちがっ、もう私は私で……」
どう言えば彼女の勘違いを解くことができるのだろう。
勘違いだと説くその言葉すら、ソフィアには偽りと映ってしまうかもしれない。
すべての色が誰からも同じに見えている確証がないように、ファルシュがファルシュであるという確証も己が内にのみ存在するのだから。
思い過ぎり停止するファルシュ。
だが驚いたことにその裾にソフィアの手が伸び、ぐいと思い切り引っ張られた。
「ふぁる、しゅ……後ろ、を……!」
「――!」
つい先ほどまでファルシュが立っていた場所に痩せぎすで猫背の男が、軽薄そうな顔つきでこちらを眺めている。
茶色い髪、ジーンズに手を突っ込む姿は国によっては多々いる若い男の容貌だが、握るナイフと共に隠しきれない異様な雰囲気が彼をいやに目立たせていた。
男だ。
あの男だ。
ファルシュを襲ったあの男こそがやはり、体を操っていた犯人であった。
「それが愛か」
ぽつりと男が呟く。
「愛です」
ファルシュはソフィアを抱きしめただ一言、そう返した。
ソフィアは否定をしようと思ったが、男の実力を既に知っている故刺激を避けるため、見えぬよう無言でファルシュの脇腹をつねった。
ファルシュは何も反応しなかった。
「興味深い。愛は時間じゃないのか? ああ、気分が変わった。今日はこれで終わりにしよう」
その言葉を信じる者がどれだけいるだろうか。
より一層ソフィアを強く抱きしめ、ファルシュは無言でねめつけた。
詳しい流れは分からない、しかしあのソフィアが一方的にやられていたことだけは明らか。
ファルシュでは決して敵いそうもないことは分かっている。
だが、それでもこの意志を捨てることはできそうにもなかった。
「アンタ名前は?」
「……私ですか? ファルシュ、愛に生きる素敵なシスターさんです」
「ファルシュ? 変わった名前だな。オレは愛の探究者ルアモ、アンタの名前も覚えておこう」
それがくるりと背を向ける。
興味を失った、とはまた違うのだろう。
また襲いに来る、だが今日じゃないといったとこか。
「ルアモ、貴方は許しません」
「悪いが似たことを言われすぎて飽きてるんだ」
いくらファルシュが彼に何かを言おうと負け犬の遠吠えだ。
彼はあまりに戦うことに……いや、人を殺すことに慣れている。
今のファルシュとソフィアは彼の気まぐれによって助かったに過ぎない、誰に伝えられずともこの場のだれもが理解していた。
怪物に踏み潰されなかったことを喜ぶべきか?
それでも悪態をつかずにはいられないのも人の性だろう。
「ただの
二度と来ないでください。
ファルシュが口にするより早く、男は姿を消していた。
残ったのは戦闘痕と、無力感にさいなまれた二人ばかり。
「……戻りましょうソフィア。……ソフィア?」
返事はなく、銀の少女はだらりとファルシュの体に寄り掛かっている。
「ソフィア!?」
.
.
.
「あ、起きました? 何か食べられそうですか?」
ふと、少女の体が小さく跳ね、ゆっくりとその目を開いた。
「……ファルシュ」
「無理をしないでください、骨は折れてないみたいですけどあちこち青あざになってますから。まだ寝ていていいですよ、体拭きますね」
硬く絞られた布がその腕にあてられる。
ファルシュの言う通り全身が鈍く痛い、布の柔らかな触感すら小さな苦痛に感じてしまう。
段ボールハウスの隙間から覗けば、日が高く昇っている。
痛みに小さく顔をしかめながら、ソフィアは自分でも驚くほどしゃがれた声で訊ねた。
「何日経ったのかしら」
「丸一日です、ずっと寝てこのまま起きないのかと思ってました」
「そう」
詳しくは知らない、しかしソフィアには何か事情がある。
もしかしたら彼女は警察を恐れている以上に、自分の周りにいる人間が襲われることを憂慮して、わざわざこんな場所で拙い段ボールハウスなぞを構えていたのかもしれない。
それ故医者に向かうことはできなかった……あと一日目を覚まさなければ連れて行ったが。
かかわるすべての人間が幸福であってほしいと同時に、親しい人間にほど意識を割いてしまうのは人として当然のことだろう。
「けほっ……明日、ここを発ちますわ」
背中を支えられ、三粒の氷が浮かぶグラスの水を半分ほど飲み干し、ソフィアは呟いた。
「ついていきます」
「貴方はどう……次は死にますわよ」
「なんか気に入られてしまったので、どこにいても同じですよ。それなら好きなところにいさせてください」
あきれたような目線。
しかし彼女は気付いているのだろうか、その口元が小さく緩んでいることに。
「……はぁ、好きになさい」
「好きにします」
いつあの男に襲われるかわからない。
そして戦闘の痕も残っている、通報され人が集まる可能性も大いにあった。
ソフィアがここを発つと切り出してくるのは目に見えていた、ファルシュの予想は正しく、ためらいもない。
「でも冷蔵庫とかありますし……」
ちらりと視線を向けた先にそびえたつ、白く大きなソレ。
共に行くのは当然、しかし問題は山積みだ。
冷蔵庫に限らず小さな道具、生活必需品の数々。
質量的にはファルシュ、そしてソフィアも魔道具を使えば問題ないだろうが、あまりに体積をとりすぎる。
基本移動が徒歩か、使うとしてもバス等の公共交通機関である二人には、それらを遠くまで持ち歩くのは一苦労に違いない。
みなまで言うなとソフィアはファルシュの前へ手のひらを伸ばし、震える足で布団から這い上がる。
慌てて支えるファルシュへ寄り掛かり、彼女は掠れた声で小さく告げた。
「ナツメさんの工房へ行きますわ」
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