第25話 私がやりました

「……悪辣な」

「効果があるならこれが正しい方法だろ?」


 男の言葉にソフィアはしかめる顔もそのままで、荒々しくマガジンを引き抜き中の魔石をすべて地面へと落とす。

 男の苛烈な攻撃を緩衝するため、既に装填されていたすべての魔力は使い切った。


 残りの魔石は五個。好き勝手に乱射や、あの一方的な殴打を受けていられる余裕はなさそうだ。

 ハウスに入ればその限りではないが、果たしてそれを許してくれるような相手ではない。


「うんざりするほどにその通りですわ……ねっ!」

「おっと」


 ヤツの正面へ一発、間髪入れずに上空へと二発。


 ソレの動きに無駄はない。

 倒れ込んだかのようにすら思える深い踏み込みと同時に弾を避け、弾丸が背後の木をえぐり抜いた時にはソフィアの正面へと立っていた。


「なるほどね」


 だが繰り出される一撃を中空からの弾丸が防いだ。


 射撃後即座に背後へと飛びのいたソフィア、ソレが入り込んだのは彼女が先ほどまでいた場所だ。

 今までの戦闘でソレが近接での戦闘を好むことは分かっていた、そして異様なまでに戦闘に慣れていることも。


 ソレが正面を向いたとき、既にソフィアの姿は消えていた。


 逃げたはずはない。

 ファルシュの体が乗っ取られている以上、ソフィアにその選択肢は存在しない。


「こいつはまずい……遠距離の武器を使う相手が木の裏に隠れたら、こっちは狙われ放題じゃねえか!」


 ソレが両腕を空へ上げて叫んだ。

 わざとらしい、どこか小ばかにしている振る舞いで。


 事実すべて理解してるのだろう。

 ひとしきり困ったふりをしたのち、ぐるりと振り向いて大きく目をひん剥き、ソフィアの隠れた大樹へと視線を飛ばしたのだから。


「なーんて意味ないんだよね、悪いけどさっ!」


 再びソレは目前にいた。

 木を挟んでではない、木の裏にいたはずのソフィアの正面だ。


「――! またっ!」


 さっきもそうだ。

 目前にいた男がいつの間にか背後に回っていた。

 それは単純な跳躍などでは説明がつかない、落下音や移動時の音、そして障害を挟んでも意に介さないその態度。


 転移魔法の類でもない。戦いの最中に魔法を編み、ランダムなポイントに移動したにしてはあまりにラグがない。

 なにか、なにかあるはずだ。

 既に仕組まれた何かが存在する、ソレの驚異的な挙動は仕込みがあるはずだった。


「くぅっ……!」

「ふぃい、捕まえちゃった」


 思考は巡るも実力差は歴然だ、どうにか伸ばした銃もたやすく弾き飛ばされ足元へと転がる。

 接近を許した時点でソフィアに勝ち筋などなかった。


 ソフィアの細い首へ片腕が掴み掛る。

 確かにファルシュ自体異様な膂力を持っていた、だがどこまで行ってもソフィアの強化された身体能力にはついていけない程度だ。

 しかし今はどうだ。そのソフィアですら抜け出すことが不可能なほど、今は明らかにとびぬけた腕力を備えていた。



「……何故、私をっ、狙いますの」


 か細い声で投げかけた疑問。


「その子の体を乗っ取ってすぐに逃げないあたり、私が目的でしょう」


 ソレの目的は間違いない、ソフィアだ。

 だがファルシュを乗っ取って本体は今が姿を見せず、故にソフィアには目的が思い当たらない。


 言動や使う下種の戦術からして、なにかしらの組織に所属をしているわけではないだろう。

 どこかで恨みを買ったのか、にしてはあまりに飄々としてつかみどころがない。


 今更聞いたところで意味はない。

 歴然とした力量差に逃げることも叶わないならば、待っている未来は一つだけ。


「愛だよ」


 が、あまりにもふざけた回答には押し黙るしかなかった。


 意味が分からない。

 愛? 人を襲うことが愛だというのならば、結婚式場は教会ではなく戦場が定番になっている。


「……貴方の愛が私に牙を剥くというのなら、すべてが済んだらその子は解放してくださるかしら? あいにくとその子はこの街で出会っただけの、大した知り合いですらないの」


 ソフィアの言葉に小さくソレは首を傾げ、ようやく納得がいったように笑った。


「ああ、アンタを愛してるわけじゃない。オレはただ愛を探しているんだ、愛を知りたい愛の求道者なんだよ」


 もはや言葉を返す気力すら湧かなかった。

 狂人の理論が通じるのは狂人にのみ、ソレの理論は残念ながらソフィアの理解の範疇をはるかに抜けている。


「ただ、期待外れだったな。やっぱり数か月じゃ大した絆も結べないか。|アンタの家族は〈・・・・・・・〉最後に少し意地を見せたのにな、『アーゲングラシエス家』のお嬢様」


 気が付けば、ソレの手には大ぶりのナイフが握られていた。

 ファルシュ自身の服装はシスター服故にゆったりとしてはいたが、それをどこかに抱えていれば目立っていたはずだ。

 いったいどこから取り出したのか。


 だがソフィアの脳裏を走る思考は全く別の内容だ。


 思えばこの存在、明らかに最初からソフィアを狙っていた。

 しかし思い当たる節のないまま戦いが終わるといったこの時、漸く渡されたヒント。


 ファルシュにすら語っていない、ソフィアがこの国へと逃げ込んできた理由。

 館が燃え上がり、何もかもが切り裂かれ、優しい兄が凶行へと走ったあの日。


「まさか……まさか貴方は……!」


 母を殺し、父を殺し、使用人たちを引き裂き。

 それでもお兄様は涙を流し、ファルシュに一言だけ言って目の前で己の首を切り裂いた。



『ソフィア……君だけは生きろ』



 頸動脈から心臓の鼓動とともに溢れる鮮血の赤が、今も脳裏にこびり付いて消えない。

 親しい者の凶行には理由があった。

 その理由はそう、まさしく今目の前に存在するソレなのだと。


「やっと気付いたか? 少し遅かったな」


 黒銀が陽を受け鈍く煌めいた。


「――許さない、絶対に許さない」

「許しを請わなくとも今終わるだろ?」


 ソレは的確に頸動脈を緩く押さえつけ、ソフィアの思考や行動に制限をかけている。

 繰り返し打ち据えられたその四肢はもはや、まともな打撃蹴撃を放つには程遠い、子供の遊びに似た振り回しばかりが出るばかり。


 なんて情けないのだろう。

 なんて無様なのだろう。

 どうにか逃げ延びた最期がこれなのだ、これっぽっちなのだ。


 噛み締めた口元に塩辛く、生ぬるい雫が転がった。


「……申し訳ありませんお兄様、ソフィアは何も果たせませんでした」


 ついぞソフィアは一瞬強く唇を噛み締め、ふと全身の力を抜いた。


 何をしたらいいのかわからなかった。

 泣けばいいのか、怒ればいいのか、叫べばいいのか。

 何をしてももう終わる、手遅れだ。


 虚無。

 無。

 思考が苦痛をもたらすのなら、何も考えぬ方がいい。

 脳に酸素も回らぬ、思考を放棄すれば楽だ。


 そう、無意識で判断した。



「ちょっと……勝手に話進めて……おまけに私の体で何、やってんですか……!」



 ソレの表情が一瞬で憤怒に染まる、その瞬間までは。

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