第24話 人間マトリョシカ
「ただいま戻りましたわ」
二時を回って幾分か経った頃、銀髪を跳ねさせ少女は戻ってきた。
「遅かったですね」
ちまちまと回収を重ねずいぶん広くなってきた違法建築の段ボールハウス。
壁に立てかけられた丸テーブルをソフィアは引っ張り立てると、手にした袋からいくつかの小さな品を並べていく。
「ええ、少しペンと帽子、こちらはメモ帳とお財布。それとナツメさん……魔道具工房に少し注文をしてきましたの」
「いったい何を?」
「
「ええーそんなぁー!」
教えてくださいよと媚びてくる
だがそれは何も感じていないようで、なおも気安く少女へと口を開いた。
「何かあったんです? 怒ってるんですか?」
「ええ、とても」
帽子は壁へ、ペンとメモ帳は纏めて机の脇へと、買ってきたばかりの物を手早く片付けるソフィアの口調は硬い。
一息ついたところでバッグの中から一つのペットボトルを取り出し、中で揺らめく深紅を小さな喉を鳴らし嚥下すると、いまだに居座り続けるそれへ怜悧な視線を突き刺した。
燃えるような蒼い瞳が、きゅう、と小さく歪む。
「ところで貴方」
「いつまで私とファルシュの家に居座るつもりかしら? できれば早く出て行ってくださると喜ばしいのですけれど」
「わ、わあ!? な、なにをするんですか!?」
白々しい口調が、わざとらしく揺れる視線が、おびえる態度が、
たまらなく不愉快で、今すぐにでも引き金を引いて目の前から消し去ってしまいたかった。
だが万に一つの可能性があれば取り返しがつかない。
自身の安直であり切れない精神、時として救われたそれにソフィアは眉を顰めた。
「ファルシュはその見た目でも生粋のこの国育ちですの。やたらと慣れ慣れしい割に妙なところで気を利かせ、変に真面目に料理などの勉強をして……」
「て、照れますね……こんな状況で言われたくありませんでした」
なんてのんきな言葉なのだろう。
そして思ってもいないような言葉を、本人が言いかねないような口調でふるまう態度のなんて不愉快なのだろう。
「そしてなにより、決して家に靴を履いたまま上がりませんわ。この国での常識でしてよ」
久しぶりだった。
ファルシュに感化され近頃は入る前に靴を脱いでいたソフィアが、こうも室内を靴で歩き回ることは。
だからこそなおのこと、そうまでさせた
「貴方は私を捕まえに来た警察関連の何者か? それともほかの何か? 何であれ実に悪趣味なことですこと、今すぐに出ていきなさい。それとも引き摺りだされる方が好みでして?」
「ああ……異国のローカルなルールは面倒だな」
このままではソフィアが出て行けとばかり連呼し、まともに話も進まないと理解したのだろう。
渋々布をまくり上げ家を出るソレ。
「おっと」
透明な弾丸が頬を掠めた。
ソレがおとなしく家を出たからといって、ソフィアには建設的な話を進めるつもりなどみじんもなかった。
今のは威嚇射撃だとばかりに小さく首をかしげると、冷たい表情を動かしもせずソレの胴体へと照準を合わせる。
間違いなく当てられる、致命傷を与えうる場所ならば狙う意味はただ一つだ。
「ソフィアはどこにいるのかしら? 今すぐに出しなさい」
「本当に欲しいものはいつも目の前にあるものだろ」
「あまり退屈な問答は好みではありませんの、端的に答えてくださる?」
はやく。
はやくはやく。
逸る感情を噛みつき抑え付け、無表情のソフィアは二発の弾丸を発射した。
命中はしない。ソレの履くファルシュのブーツの真横数センチ、地面をえぐり弾き飛ばして消え去る。
「冷たいな。んじゃあそうだな……じゃあ」
ソレが消えた。
「オレを倒したら、なんてベタか?」
「――!?」
同時に、耳元へと息がかかる。
行動は早かった。
思い切り握りしめた拳を真後ろへと振りかざし、空振り。
瞬きすらする暇なくそれは次に正面へ現れた。
「喧嘩は苦手か? パンチは親指を握らずに、全身のばねを使って……こう打つ!」
「くぁ……っ!?」
脳天を突き抜ける雷撃に似た絶句。
ソフィアの小さな体が衝撃に宙を舞う。
「どうだ、少しは、参考にっ、なったか!」
一度攻撃を食らってしまえば一方的だ。
ソフィアは銃を握っている、つまり魔法的な強化を受けている。
にも拘わずぞれの放つ一撃は防御を突き抜け、抵抗すらままならぬほどの鋭く、鈍い痛覚を無理やりに捩じり込んでくる。
粗暴で、だが経験に裏打ちされた的確な人への攻撃方法。
一連の暴虐を受けふらりと倒れる細い体。
「次からは参考にしてくれよな、次はない予定なんだが……なっ!」
とどめとばかりに振り下ろされた踵が少女の細い首を打ち据えーー
「――
――た、はずであった。
だがソレの足に伝わってきたのは実に味気ない感覚。
少女の姿がでろりと崩れる。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
「ハハッ、器用だな! アンタ水を操るのか、どこまでできるんだ?」
素直に驚いたように、しかしそれにしても大袈裟すぎるほどの態度で両腕を広げ、わざとらしい笑い声をあげる。
気が付けば少女は、多少声を張らなければ掻き消えてしまうかもしれないほどの距離をとっていた。
「逃げるのか?」
腹を抑えわずかに背を向け、ソレの言葉に耳を貸さず逃げんとすらしている。
どうせ聞こうがどれもただ苛立たせるだけだ、何一つ意味などなく。
わかり切っていた。
わかり切っていると思っていた。
「いいのか? この体はお前の大好きなお友達なんだろう?」
「っ何を」
ファルシュはここにいない。
何処かへ閉じ込められて、最悪の場合は命を奪われてしまっていて、目の前のそれは姿を模している。
大方そんなところだろう。
ソフィアはそうだと考えていた。
だがもし違ったら?
もし、姿を模しているのではないとしたら?
故に撃てなかった。隙はいくらでもあったのに、小さな可能性が躊躇わせた。
「だから見捨てるのかって言ってるんだって。どこかに隠してるも何も、この体はアンタの
ソフィアの躊躇いは正解だった。
喜ばしくはない、むしろ最悪中の最悪であったが。
三日月のようにきゅう、と大きな弧を描く口元。
背を向けていた少女が振り返ったことで、それはより一層深いものへと姿を変えた。
「だから言っただろ? 大事なものは目の前にあるんだよ」
「……悪辣な」
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