第21話 考えようによってはこの世の全てなどゴミなのかもしれない

「……ソフィア?」


 上げた視界で、彼女は酷く蒼い顔のまま固まっていて。

 指先から滑り落ちたフォークが、冷たく甲高い金属音を上げた。


「大丈夫ですか!?」

「どうして……」


 なにに投げかけられた言葉なのだろうか。

 疑問詞だけを浮かべ続くものがないまま、彼女がその震える指先をファルシュへと伸ばす。


「貸して」

「え? ああ……あっ」


 なにか反応をするよりもはやくに奪い去られ、彼女は食い入るようにそのカードを眺めはじめる。

 何事にも落ち着きがあるソフィアからすれば珍しい行為。ともすれば腕の傷の件で精神が高ぶっているのかとも思えたが、しかしそれとはまたちょっとばかり違うようにも思える。


 匂い立つ異様な雰囲気。

 ファルシュからすれば、ただ、拾ってきたカードを見せただけだ。

 けれども何かを恐れている様にカードを反転して眺めるソフィアの、大きく目を見開いた表情に少し怯み押し黙っていると、彼女は掠れた声で呟いた。


「これを、何処で拾ったの」

「あ、ああ、道路ぉ……ですかね?」


 まさかダンジョンで拾ったとはいえまい。

 咄嗟ながら、今日の行動として彼女に伝えた内容から最も妥当であろう答えを、どうにも歯切れが悪くも口にする。


 流石に少し下手でしたかね……?


 嘘を重ねようかとあぐねるが、そもそもファルシュの言葉など耳に入っていないのかもしれない。

 しきりにまばたきを繰り返しながらカードを机に置き、ソフィアは首を振って小さな声を吐き出した。


「そう。見るからに質の悪い・・・・・・・・・下らないおもちゃでしょう、子供が落したような。きっとそうよ。捨ててしまいなさい」

「ええ? いや、でもこれ明日には届け出すつもりで……落して困ってる人が居るかもしれません」

「いないわ、そんな人間。いるわけないの」


 妙に確信を持った言葉だった。


 彼女の審美眼や知識は本物だ。

 センスは兎も角として、ソフィアが『見るからに質の悪いおもちゃ』だというのなら、それを否定する材料を生憎とソフィアは持ち合わせていない。

 質の悪いおもちゃのカードの無数にある一枚だとして、どこかで落としたたった・・・一枚を必死に探す人間というのも確かにそうそう居ないだろう。


「それに警察に持って行ってどうするつもり? 事情や氏名だって聞かれるでしょう? 貴女は家出して来た身ではなくて?」

「家出ではないですよ! ちょっと世界を見に出ただけで……」

「それを家出というの。目立ちたくはないでしょう?」


 積み重なる言葉がファルシュの意志を揺るがしていく。

 しかしなお、万に一もあれば。そんな考えに戸惑っていると、苛立ったようにソフィアは机のカードを掴み上げると……


「なにも難しいことではないでしょう? こうやって、投げ捨てるだけよ」

「あっ、ちょっ!?」


 トランプのように手首のスナップで放り投げてしまった。

 更に彼女はそれだけでは満足が行かなかったのか、いつの間にか握りしめていた拳銃から連続して銃弾を射出し、空を舞うそれへと打ち込んでいく。

 五発の弾丸がカードにぶつかって弾けた・・・・・・・・あたりで、それは公園の裏にある林の奥へと吹っ飛んでしまい遂には暗闇に溶けてしまった。


「ありゃー……ソフィア、流石にこれは……」


 どうかと思います!


 抗議の声を上げんとその肩へ手を伸ばすも、ファルシュは声を途中で呑みこんでしまった。

 あれだけ銃をぶっ放したのだ。さぞ満足だろうと思っていたソフィアの顔が、どうにも暗く曇っていたからだ。


 彼女は顔を上げると、机の上の皿に半分ほど残った野菜炒めをバツが悪そうな表情で眺め、小さく頭を下げた。


「……ごめんなさい、食べきれそうにないわ。歯を磨いて寝る、お風呂には明日行きましょう」

「え、ええ……はい……おやすみなさい」


 どんな声を掛ければ正解だったのだろうか。

 すっかり冷えてしまった一人と半分の野菜炒めを黙々と口へ運び、洗い終わった皿やガスコンロを仕舞い歯を磨く間にも答えは出なかった。

 答えがそもそもあるのかすら、分かりはしないのに。


 段ボールハウスの前で靴を脱ぎ、入り口の扉を開くと明るいランプが揺れていた。


「なんだか今日は冷えそうですよ、しっかりと毛布を被ってくださいね」


 背中を向けたソフィアに言葉を掛ける。

 いつもは寝る前にブラッシングしているソフィアの髪も、今日は何もしていないのだろう、絡んだままその背中に垂れていた。


「おやすみなさいソフィア」


 ぱちり。スイッチの反転する音が静寂を打つ。

 返事は、無かった。

.

.

.



 息苦しさ。


 月すらも眠りに落ちる深夜。

 昏い底へと沈むばかりだった意識を無理やりに引き上げたのは、胸元から腹部への圧迫感からだった。


「……ソフィア?」


 薄い暗闇の中、ぼんやりと見える。

 馬乗りと言うやつだ。彼女の細く軽い体がファルシュの鳩尾あたりにのしかかり、ふと気付けば額には何か冷たい金属質が押し付けられていた。


「どうして」


 小さな唇が囁いた。


 暗闇の中、その指先は引き金に掛けられている。

 本気だ、以前のようにバレバレの脅迫ではない。彼女がその気なら今一度の瞬きの合間に脳髄は撃ち抜かれ、悪趣味な肉の欠片が床へと散らばることになる。


 どうしてとは、一体どうして?


 まだ眠気に苛まれているファルシュの脳内が、実に下らないオウム返しを生み出す。

 されど仕方のないことだろう。機嫌を損ねたのかもしれないとは思っていたものの、流石に馬乗りになって銃口を突きつけられるほどとは想像だにし得なかったのだから。


 だがそれも勘違いだったようだ。

 上からぽつぽつとこぼれる、冷たい滴りが己の過ちを教えた。


「……泣かないで」


 獣が牙を剥くのは何も怒りの時だけではない。

 何かに怯え、己の心を、身体を守る為にも武器を振るうのだ。


 もしかしたら寝ぼけ眼だからこそ、理性ではなく本能が思考を支配する刹那の合間だったからこそ気付けたのかもしれない。

 秘めた感情の奥底に眠る、隠しきれない恐怖心の苦い香りに。


 彼女は一体何を恐れているのだろう。

 きっと今聞こうとソフィアは口を開くことなどないし、そしてファルシュ自身覚えていないだろう。

 薄い微睡みの中見るこの光景は、今ですら少しの切欠で手放してしまいそうなのだから。


「ファルシュ、貴女は……」


 蒼い瞳が揺れる。


「私の味方でいてくれるの?」

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