第20話 クミン強すぎてお亡くなり

「ただいま戻りましたー!」

「っ、ファルシュ!」


 夕暮れに咲く藤の下、備え付けのベンチに座り込んでいた彼女がはたと顔を上げた。

 薄暗い中、離れたここから彼女の表情を思い知る事は出来ないものの、口調や雰囲気からしてあまり喜ばしい感情を抱いているわけではないようだ。


「貴女一体こんな時間までどこに……っ!?」

「ケーキ買ってきましたよー。色々あって大分悩んでしまいました、夕飯後一緒に食べましょう!」


 詰め寄って来たソフィアの眼前へ真っ白い箱をぱっと突き出し、にこりと笑うファルシュ。

 この一か月間、ファルシュとソフィアはほぼほぼ行動を共にしてきた。それこそ二人が離れることなど買い出しの時程度であり、今日のように半日、薄暗くなるまで離れているなど初めての事だ。

 彼女の心配も当然だろう。


 心配をかけたという憂慮と、いやしかし今日ばかりは仕方がないという自己肯定。

 そしてなにより、今日起こったことが決して彼女にはバレてはいけないという緊張感から、ファルシュはなおも口を開こうとするソフィアをぐいぐいと、段ボールハウスの元へと押し込んでいく。


「あっ、ちょっ……!」

「さあさあ! ちょっと遅くなったので今日は軽い炒め物で済ませましょう!」

.

.

.



「いやー朝はすみません! 次からは気を付けますから!」

「……ええ」

「さあ食べましょう! 今日は少しクミンとかを入れてみました!」


 あの何とも言えない微妙な皿の絵柄が、鮮やかな野菜たちに覆い隠される。

 野菜炒めと米、軽い汁もの、そしてお茶。かなり質素な食事であるがこれでも随分と改善されたもので、実の所ファルシュの聖堂における食生活はこれよりさらに簡素、燕麦の粥と多少の野菜や肉だけだった。

 自分の食事がどうやら一般的なそれと比べ物にならないと知り、料理本を買ってからというもの様々なものを作る事はどれもが新鮮であり、一種の娯楽だ。


 クミン……いい香りですね!

 なんだか刺激的で、この種を噛み潰した瞬間のぶわっとくる香りがこれは中々……


 異国情緒漂う野菜炒めの香りと共に黙々食事を進める中、皿へと箸を伸ばしたファルシュの腕へ視線を向け、ソフィアがふとけげんな表情を浮かべる。


「貴女、腕の怪我はどうしたの?」

「え゛っ……」


 ぶわりと汗が噴き出す。

 話を誤魔化せたとばかり思っていたがやはり観察を続けていたらしい。

 そう、ファルシュはかの少年を助けた後、医療術師によって怪我の治療を受けていた。

 中々腕の立つ若い女性で、ニコニコと笑顔を浮かべながら瞬く間に傷を治して行ったわけだが……当然、無数に全身へ走る傷の中、腕の傷の一つだけを残しておくことなど出来る訳もなく。


 くぁー……本当に観察力があるというか……!


 一度は詐欺から助けられたとはいえ、今日ばかりはその観察力を捨ててほしかった。

 しかしファルシュとてこれは予想できていた事態。至って冷静を振る舞い、肩をすくめて前もって考えていたほらを嘯く。


「ああ、やっぱりかなり浅い傷だったみたいですよ? ソフィアの手当てでもう血も止まりましたし、今は傷が見えにくいだけです!」

「……そう、そうですわね……やっぱり少し過敏になり過ぎていたみたい。怪我を見るのは初めて・・・・・・・・・・だったから、朝は私もごめんなさいね」


 どうにかうまく騙されたと胸をなでおろすもしかし何かが引っかかる。


 はて、怪我を見るのは初めて・・・・・・・・・・

 確かに傷を初めて見た人間なら混乱し、あの時のような態度をするのは当然だろう。 

 しかしファルシュには、戦闘後ここに戻ってきてからのソフィアの手当ては、実にてきぱきとこなれている様に思えた。


 ……やっぱりなんだか、不思議な人ですね。


 一か月だ。

 彼女と出会い一か月、付きっきりの生活。

 その人となりの理解は大分進んだと思っていたが、どうにも彼女には謎が多すぎる。

 令嬢然とした態度や振る舞いと、対極に位置する戦闘技能。未だ彼女は口を開きそうにもないものの、なおも隠している事はきっと数多いのだろう。


 ただ一つ間違いなく言えることは、ソフィアは悪い人間ではないということだけだった。


「そういえば貴女そんな服も持っていましたのね」


 若干暗くなった雰囲気を変えようとしたのか、ソフィアは白いレースのハンカチで口元を拭いながらファルシュの着ていたワンピースへちらりと視線を向ける。


「あっやっぱり気付いちゃいます? 実は今日買いに行ったんです! シスター服以外に袖を通すなんていつぶりでしょうか、覚えてないので幼い時以来かも知れません!」

「……あまり寸法があっていませんわよ、それだと胸元が苦しいでしょう」

「あ、はは……見た目が気に入ってしまって」


 確かに苦しい。

 ウエストには余裕があるものの特に胸回りのきつさ、そして普段は長いシスター服を着ているからだろう、丈もいささか短いように思える。

 聖堂という狭い環境で生きてきたため意識したことはあまりなかったが、どうやら己の身長は相当に特異であるという意識が芽生えた。


 これでも近くで一番大きな物を買ってきてもらったのですが……今後シスター服が尽きたらぴったり合うのを買うだけでも大変かもしれませんね……


「確かに最近は金銭にも余裕が出てきましたわね、季節のモノも試してみたいし今度一緒に買いに行きましょう。貴女のも私が選んで差し上げますわ」

「え゛っ」


 ソフィアの事は色々な面で信頼しているが、そんな彼女の中唯一信じられないものがある。

 美的センスだ。

 勿論普段彼女が着ている服は大分大きな二つのスーツケースから出しているのだが、それはどれも彼女の雰囲気に似合った綺麗なものばかりだ。

 しかしながら彼女が時折見せる感性、特にお皿を買った時にこそ顕著に表れたそれは、普段の服を任せるには些か心配になるものであった。


 箸を持ったファルシュの手が震える。

 話を変えたいとは思っていたもののこれは少し怪しい、更に話の方向を転換する必要があるかもしれない。

 

「そういえばこんなの拾ったんですよー!」


 カードをポケットからするりと抜き取り机へと出す。

 公園に立った街灯の光を受け煌びやかな輝きを反射するそのカードは、あのダンジョンで拾ったカードだ。

 黒のベースに細やかな金の装飾、要所に嵌め込まれた宝石は確かな輝きを秘めており、例えずぶの素人でも一目で価値を理解するだろう。


 やっぱり綺麗ですねぇ。

 うーむ、警察に届けるまで目に焼き付けておきましょう!

 だが返事がない。

 いや、反応すらない。

 先程まで互いに妙な雰囲気を変えようと必死に口を開いていたとは思えないほど、そこには静寂が満ちていた。


「……ソフィア?」


 上げた視界で、彼女は酷く蒼い顔のまま固まっていて。

 指先から滑り落ちたフォークが、冷たく甲高い金属音を上げた。

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