第19話 獲物と獣に挟まる謀反者

 カード越しに映る剛爪。

 捕食者の腕は無慈悲に振り下ろされ――


『ギャンッ!?』


 ――想像だにしえぬ闖入者がかの首筋へと牙を立てた!


 次々に現れ荒野における頂点は我々だと猛り吼える獣たち。

 銀のハイエナだ。その丈こそ大狼の半分といったところだが、四、いや五という数の差を理解しているのだろう、気圧されることなく次々に襲い掛かる。


「っ!」




『オオオオオオオオォン!!』


 冷酷な王に始めて感情が芽生えた。

 既に自身は獲物を甚振る一方的な捕食者ではない、無粋な挑戦者に首を狙われているのだと気付いたのだ。

 爆ぜる烈風、乱舞。

 草原に生きる怪物たちの誇りを掛けた戦いは既に始まっている。


「ひええぇ……」


 飛散するガラス片に降り注がれながらファルシュは頭を覆い地面へと這い蹲った。

 もはやファルシュは荒れ狂う暴風にひたすら流されるばかりの無力な存在、ただの傍観者に過ぎない。

 もしあの爪先が少しでも顔の先を掠めたのなら、余波だけで首は捻り飛ばされ、全身がゴミ屑のように吹き飛ばされるだろう。


 Dランクからいきなり難易度上がり過ぎですよこれ……!

 頭おかしいですって!


「ーっ! ――っ!」


 さながら怪獣大決戦だ。

 状況が更に絶望的になったようにも思えるし、大狼に直接狙われるより幾分かはマシになったようにも思える。

 どちらにせよ逃げる以外の選択肢など持ち合わせていないが。


 声にならない悲鳴を手で押しつぶし、すっかりへっぴり腰で地面を這い草の奥へと逃げる。

 平時であればたった一歩分を進むのですら十倍近い時間を掛け、戦闘音もまた草原に吹く風の音に溶け込んでしまったと気付いたその時、漸くファルシュはぼやけたフェンスの元へと再び辿り着くことが出来た。



「もう一歩も動けません……」


 入り口のフェンスに寄り掛かりぐったりと崩れるファルシュ。

 全身の切り傷から溢れる血もそうだが、なにより死神の鎌が首にかかった状態での行動だ、神経は擦り切れるを通り越して全粒粉だ。

 幸運だけだった、もし同じことをしたら百人中九十九人と半分は死ぬだろう。


 そりゃあ探索者なんてやる人間がいないわけである。

 例え多少魔法が使えようとあの圧倒的暴力の中ではちんけな火種程度にしかならないだろう、それほどまでに隔絶した世界だった。

 これでCランクとは冗談がキツイ。B、Aと続いて噂では理外というのもごくわずかながら存在しているというのだから、一体そこいらに潜って生きて帰って来れる連中は化物か。


「……私にはDランクがお似合いですね」


 結局持ってきてしまったカードを日にかざし、ぽつりとつぶやく。

 持ってきてしまったというよりずっと握っていたのだ。死ぬか生きるかの瀬戸際だったというのに、外で一息ついてから初めてまだ自分がこのカードを心底大事に握っていたことに気付いて、一分ばかし笑い転げていたのがつい先ほど。


 なんだか……目を惹くんですよね。

 まあ見た目はとても綺麗ですし、なんかソフィアとお揃いみたいだから良いですけどね。


「そうだ! これあとでソフィアにも見せてあげましょう!」


 カードを眺めている間にふといい案が浮かんだ。

 もちろんダンジョン内とは言え拾ったものだ、ファルシュ自身交番へ届けるつもりではあったが、ただすんなりと届けてしまうのも少し勿体ない気分であったのは確か。

 なによりこの全身の疲労感だ。家に戻って一日や二日休憩し、その間にソフィアに見せてから届けてもさして遅いことではないだろう。


 にしてもいつものダンジョンの蛇だのスライムだのがもう恋しいです。

 やられた! なんてちょっと手を切られた程度、もうどの傷かも分かりませんよこれ……じゃ……


「あっ」


 はて。


 そもそも今日、こうやってダンジョンに入る前自分は一体何故街へ来たのか。

 そう。朝ソフィアとダンジョンに潜った時、腕にけがをしてからすぐ解散になってしまったためだ。

 理由は分からないがソフィアはそれから機嫌も、そして気分も随分悪くなってしまったようだったが、この全身の傷を見たら一体彼女はどう思うだろうか。


 『子供を助けるために一人でCランクに入りました』


 駄目です、これでは間違いなく怒られてしまいます。


『すこし転んでしまって』


 これもダメですね。

 絶対そうじゃないってバレます。ふくらはぎにでっかい切り傷があるのに、絶対ソフィアは気付くでしょう。


「ほあああ……ど、ど、どうしましょう!?」


 どうあがいても説教されそうな状況に頭を抱え込む。

 いっそのこと帰らなければいいかと思ったものの、カードは見せたい複雑な乙女心。

 それに何より帰らないで何処に行くというのか、更に一日や二日帰らずにいたところでいつかは戻ることになり、そうなればなおさら彼女の怒りは天元を突破し宇宙を突くこととなるだろう。


 詰み、ですね。

 ダンジョンから出ても苦難が待ち受けているとは、ああ、この世は積み重なった地獄で出来ています。



「――おねーちゃんっ!!!」

「ごふっ」


 突如として襲った衝撃が全身の傷口へと伝播する。

 興奮で痛みが一時的に抑え込まれていたのも今は昔の話、大分落ち着いてきた体にこの衝撃と痛みは中々鮮烈だ。

 正直若干白目を剥いて意識が飛びかけた。


 あーちょっとだけ止まっていた血が流れていきますー……


「よかった、外に出られていたんですね」


 薄れた意識をどうにかひっつかみ下を向くと、腹部に突き刺さったロケットは先ほどの少年だった。

 まだ服装はあちこち切れている、先ほど見たのと変化がないが靴だけは新しいものに変わっている。どうやら一度ここから離れたがすぐに戻って来たらしい。


 これ私がいなかったらまた一人で入ってそうですね……どうにか出てこれてよかったです。


「全くもう絶対ダンジョンなんて入っちゃ駄目ですよ、本当に。次に私がいるとは限らないんですから」


 ため息をつきながら頭へ伸ばした手だったが、思えばその掌には自分の血がべったりと着いている。

 拭おうかと思ったがもうシスター服に血の付いていない場所などほぼ無い。指先だけを地面に擦り付けて少年の頬を突いていると、今度は低い男の声がファルシュへとかかった。


「息子を……息子を救ってくれて本当にありがとうございます!」


 今日この街へ初めて出会った少年の父親だ。

 すると彼はファルシュが声を出すより速く、くしゃくしゃになった顔でその場にしゃがみ込み、地面に頭を擦り付け始めたではないか。


「ちょ、やめてくださいって! 何とかなったんで気にしなくていいですよ!」

「いやいやいやいやっ! 今ダンジョン協会と警察と医療術師の方を呼んだので、お礼は後程させていただきます!」

「え゛っ」


 実に順当だ。

 実に順当、だがファルシュには大変困る行為だった。

 なんといってもファルシュは聖堂から抜け出した身の上で、挙句の果てに共に過ごしているソフィアは公園で住所不定の暮らしをしている。

 互いに税金未納どころの問題ではない、実は軽犯罪法犯しまくりの激ヤバな身の上なのは薄々理解していた。


 背中に汗が伝いじぃんと傷に沁み込む痛みへ顔をしかめ、ファルシュは必死に男を立たせようと縋りつく。


 ダンジョン協会はまだいい。所属する人間の身の上は大体ちょっとアレ、彼らが自発的に調査することなどない。

 しかし警察だけはまずい。迷子を案内する程度ならともかく、こんな状況であれこれ事情聴取など間違いなく不味い。


 ヤバいです。

 ヤバいということはやばいです。

 ど、ど、どうにかこの人の考えを改めなければ、段ボールハウス暮らしが終わってしまいます!


「いや本当にお礼とか要らないんで!」

「そんなわけにはいきません!」


 しかし男も頑なだ。

 なんせ息子を命がけで救われたのだ。ましてや危険なダンジョンに女性一人、平然としているならともかく全身傷だらけ。

 息子の話を聞けば戦う能力などないままに飛び込み、必死に逃げ惑っていた。その勇気に感動しない親など親ではあるまい。


 これはなあなあで済ましたら警察を呼ばれてしまうと察したファルシュ。

 流石に奥の手を出さざるをえなかった。


「目立ちたくないんです。どうか! どうかご慈悲を! サツを呼ぶのだけは勘弁をー!」

「いやしかし……」


 土下座である。

 傷だらけの身体を地面に擦り付け必死に懇願した。


 警察を呼ばれても牢にぶち込まれることはないだろう。

 しかし間違いなくソフィアとの生活だけは続かなくなってしまう。

 彼女は戦う力がある。なんやかんやあって警察に囲まれても、きっと持ち前の能力でどこかに行ってしまう。そしてどこかに行ってしまった彼女は……きっともう二度と会うことなど出来ない。


 何故か助けた立場に土下座された父親は謎の状況にひどく困惑したまま、しかしなおも食い下がる。


「それなら医療術師の方と替えの服の用意を……あ、下着は大丈夫です。それと一つ買ってきてほしいものがあるんですけど」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る