第17話 ガラスのグラス(激うまギャグ)

 日本においては平均して十万人前後が、毎年理由すら分からず行方を眩ます。

 もちろん内訳の多く、数字にして凡そ八割五分は発見されるものの、逆に行ってしまえば十万の内の一割五分、一万五千人は見つからないとも取れる。

 一日あたり四十人前後は文字通りすっかり消息を絶つ計算だ。

 そして見つかった大多数も必ずしも皆無事とは言えない。再び相まみえる時には口なしで、黒い袋に包まれ対面する事も多々ある。


「はっ……はっ……」


 端的に纏めよう。

 子供が大人の知らぬ合間にダンジョンへ潜り込み、モンスターに食い殺されてしまうことなどさして珍しくはないのだ。


 原因の一つとしてはダンジョンの管理があまりにずさんであるという点。

 だがそもそもが魔力溜まりから成るのならば、この世界に魔力が存在しうるかぎり無限に生まれうるそれらすべてへ目を行き届かせるなど、果たして可能なのだろうか。


「早く探さないと……!」


 ガラス質の葉で出来た草原が、一陣の風に流れ純白の乱反射と甲高い音を立て砕けていく。

 紙のように薄いガラス質の葉だ。薙ぎ砕かれたそれは舞い上がりえもいえぬ美しい光景を創り出すが、同時に――


「――くぅ、効きますねぇ……」


 立ち止まった身体へ襲い掛かっていった。

 顔の前で十字にした腕へと幾本も刺さったそれを眺め、最早朝の怪我などいったいどれがどれだか分からなくなってしまったことに苦笑いを浮かべるファルシュ。


 これがCランク……モンスターだけじゃない、環境すらもが中々過酷ですね。

 確かにEやDでも普通では見れないような風景がありましたが、上に行くほど環境もどんどん悪化していくんですかねぇ。


 それにこの音だ。

 ただの葉擦れではない。ガラスが擦れ砕けていく甲高い音はより一層に周囲を埋め尽くし、仮にここへ入り込んでしまった子供が泣き叫んでいたとしても、その声を聴きとることは出来ないだろう。


「……今のうちに見つけ出さないと」


 だがファルシュの脳内ではむしろ、今だからこそかの子が生きていると踏んでいた。


 絶えず自壊を続けるガラスの植物。

 このダンジョン内で繁茂する異常なそれらは、砕けることで常に赫々たる輝きと音を生み出している。

 視界と聴覚を塞がれているのだ、この場に存在するすべての生物が。それはファルシュであり――ダンジョン内を闊歩するモンスターであってすら例外ではない。


 捕食者が動き出すのはいまではない。

 そう。


「――っ!」


 音が、消えた。


 凪だ。


 そしてファルシュは気付いた。

 この草原で無数に息衝く獣たちの存在に、交差する視線に。

 

 思わず叫び出してしまいそうな喉を押さえつけ、薄いガラスの破片が張り付いた唇を硬く噛み締めゆっくりと伏せた。


 居る。

 そこに居る。

 虎視眈々と狙っている。耐え切れず動き出した哀れな獲物が姿を現す時を、静寂の中で静かに伏せている。


 滲む血の鉄くささを嚥下し、ファルシュの目がてらりと周りを見回した。


 動けば狩られる。

しかしこの広大な草原でどこにいるかも分からない、ファルシュの背すら呑みこむ高さの草に囲まれたそれを、手探り闇雲に探すことの無謀さよ。

 だが音の消えた今こそが最大のチャンスだった。


 ザ

 ザザザ

   ザザザザ

      ザ

      ザ

      ザザザザザザッ!!!


 口を開くより速く、ナニカが動き出した!

 獣だ!

 一斉に草原が蜂起し怪物たちが全身へと膂力を漲らせる!

 静寂を埋め尽くす跳梁跋扈、突如として生まれた騒音に被食者が、捕食者が駆け出し硝子の草原が競争で沸き上がった!

 


「――ゆうたくん! いますか!」



 その隙をファルシュは決して逃さない。

 今まで上げたことが無いほどの怒号を、己の肺から限界まで空気を絞り出し叫びあげた。


 騒音が消える。

 ラジオの音量を捻り回す様に、或いはスマホのボタンを長押しするように、ありとあらゆる音が極限にまで抑えられる。

 鋭敏になった聴覚がただ一つだけを求めて澄んだ空気へと傾く。



「――――たすけて……!」

「っ! そっちですね!」


 モンスター達に蹂躙される草原の中、か細く、幼く、しかしその声は確かに上がったのだ。

 

 駆ける、駆ける、駆ける。

 もし今蠢き出したモンスター達と出会ってしまえばひとたまりもないだろう、そして走り回るということはそれを許容するに等しい。

 されどファルシュは今、この時に走る以外の選択肢を思い浮かべなどしない。


 この危険こそが唯一無二の機会なのだ。

 次に都合よく凪ぐことなど、都合よく他の獣が場を撹乱してくれる保証など、かの子が我慢しきれるかなど分からない。

 いや、むしろまだ見ぬかの子供こそ今の今まで機会を繋いだのだ、それを無駄にすることなどファルシュには出来なかった。


 鼓膜に伝わる激しい脈動。

 どれだけ走ろうとけろっとしていたファルシュが、今、初めて息が上がっていた。

 かの小さな命が自分の手の上にあると理解した瞬間から、未だかつてないほどに高まり続けている。


 そう遠くはないはずなんです……きっともうすぐそこに居るはずなんです!

 だから、だから後ほんの少しだけ!

 あとほんのちょっとだけ耐えて――



「――よく、頑張りましたね。もう大丈夫ですよ」


 座り込んだその影は、片方だけの靴に描かれたヒーローを強く抱きしめ、ただひたすらに待ち続けていた。

 待ち続けていたからこそ、その機会に巡り合うことが出来たのだ。

 幼い少年が涙を零すと同時に、再び噴き上がった烈風が二人の姿と息遣いを隠しきった。

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