第16話 肉のケーキはご勘弁

「――君! ここらへんで子供を見なかったか!?」

「はい?」


 なんて鬼気迫った表情だろうか。

 肩へ痛いほどに食い込む爪は焦りの発露、ともすれば怒鳴っているとすら取れる程の大声は緊張の裏返し。

 じっくり観察してみる程に酷い汗、探し回っているのは五分や十分という短い時間ではないだろう。


 子供ですか、まさかソフィア……な訳ないですよね。

 小学生高学年くらいの子なら確か数分前に横をバーッと通りましたが、はて。


「ど、どれくらいの子ですか?」

「六歳だ! 身長は百十五……いや、これくらいで男の子。履いていった靴は――」


 自身のへそあたりを手で示しながら服装などを口にしていく男、彼は姿が見えない子供の父親らしい。


 聞くにどうやらふとした拍子に家から出て行ってしまったようだ。

 鍵もしっかり閉じていたはずの扉だったが、上手い事やって開けられてしまったと。

 気が付いた時には既に遅し、家の周囲には影すらなく、家族総出に近所の交番から人も出したものの未だ発見の報告は無し。


 んん、となればさっきの子たちは違いますね。

 それにそんな小さい子が一人で歩き回ってるなら、流石に大丈夫かどうか心配になりますし……ふむ。


「すみません、見ていませんね」

「そうか……ありがとう」

「あっ、待ってください!」


 振り返るのは苛立った表情。


「私も手伝いますよ!」

「……! 本当か!?」

「困ったときは助け合いでしょう! 生憎と携帯電話を持っていないのですが、見つけたら何処へ行けば?」


 細かな情報を伝えてすぐ走り去っていってしまった男の背中を見送り、顎に手を当て考え込む。


「さて、どこに行ってしまったのでしょうか」


 ぽてぽてと歩きながら巡る思考。


 この街については正直あまり詳しくないのですが、そもそもがさして広くはありません。

 第一相手は六歳の子供でありその足で行ける範囲もそう遠くはないでしょう。

 やんちゃ盛りの男の子がはて、何を理由に家を飛び出したのか。


「……好奇心、ですかね」


 目を離した隙に鍵を開けて外を出た、だなんて考えられる可能性はそれくらいしかなかった。

 六歳ならば小学校に入学するかどうか、と言った年齢か。あまり外を積極的に出歩かせるようなことは少ないはず。

 事実、先ほどの父親は『家の鍵を閉めていた』のだから。


 んまあ鍵を閉めて外出るのは危ないよ、なんて言われたら行きたくなってしまいますよねぇ。

 となれば私は行きそうな場所を狙い撃ちするのが良いかもしれません。

.

.

.


「こんにちはー」


 木製の壁が私の声を吸い取る。

 相も変わらず人のいないダンジョン協会、そのカウンター奥で見知らぬ青年がこちらへちらりと視線を向け、興味なさげにまた手元のスマホへと視線を戻した。


 あ、今日はあの小さい子じゃないんですね。

 土日ですし友達とどこか行っているんでしょうか、私もいつかソフィアとどこかへ遊びに行きたいですねぇ。


「っと、そうじゃなかった。ありましたね」


 入り口にほど近い所、目につく場所にそれはあった。

 埃が見える程に積もった棚の中、埃の積もっていないいくつかのパンフレットを見つけ協会を飛び出す。


 これは以前ソフィアが持っていたパンフレットと同じ奴ですね、きっとあそこから持って来たんでしょう。


「ふむ……一番近いのは、ここですか」


 閑静な住宅街を歩きはらりと捲り進める。


 パンフレットはこの街に近いダンジョンを地図で表記されており、その数合計で五。

 中には私とソフィアが日々潜るダンジョンも描かれているが、今回それらは問題ではなかった。


 好奇心旺盛な子が行きたがる定番は、『入ってはいけない』『近寄ってはいけない』場所へ入り込む事。

 冒険と言うやつだ。まだ見ぬお宝や出会い、戦いを求め目を輝かせ飛び出してしまう。

 時にそれは工事現場であり、時にそれは廃工場や廃ビルであり、そしてここいらのようにのどかな環境で危険な場所の代表例と言えば――


「Cランクですか」


 この街から最も近いダンジョンの危険度が指し示すのは、戦闘訓練を受けていない人間が足を踏み入れるにはあまりに高い水準であった。

 もちろんランクというのはあまりに大雑把な基準であり、実際の所専門的な所では魔力濃度という細かな指数も存在するにはする。

 とはいえCランクは文字通り、Eのように凡人でも一方的な戦いが可能な水準、Dランクのように武器を持てば充分戦えるものとは桁が違う。


 壁だ。

 Cランクのダンジョンは多少なりとて魔法的、そして肉体的な戦闘訓練を受けた人間、あるいは生まれながらに才能を持った人間が踏み入れられる領域と言える。


「さて、と」


 深緑の季節。

 青々とした草たちが次第に強くなる日光を力一杯に吸収し、空へ、空へと背を伸ばしていたのだろう。


 そう、いたのだ。


 今は何か動物か、それともちょうど子供程度・・・・の何かに軽く踏み潰されたかのように、入り口までが軽く薙ぎ折れている。

 向かう先は入り口のさらに脇。管理もさほどしっかりされていないのだろう、すっかり錆び付いたフェンスにはファルシュでも体を捻じ込めば潜り抜けられそうな歪みが生まれていた。


「最悪ですね」


 深々と吸った胸へ流れ込む青臭い香り。

 それは目の前で凹んでいる草たちが、きっとつい最近に踏み潰されたばかりだということをありありと示している。


 誰か戦闘能力がある人を呼んでくるべきでしょうか。魔力もなくソフィアもいない今、私一人で踏み込むのはあまりに無謀すぎますよね。

 いや、これならきっと入ってまだ数分、もしかしたらそれほどすらもあまり経っていないかもしれません。

 でもここまで来るのに十分以上経っています、走ってもやはり往復、そして戦闘可能な方を連れてくる時間を考慮すれば十分以上は掛かるでしょう。


 ダンジョンとは即ち猛獣の檻である。

 所詮内部にいるのは魔力溜まりにのみ存在を許可された白痴の獣、踏み入る事さえなければ決して牙を剥くことはない。

 だが己のテリトリーへと踏み込んできた軟弱なる闖入者の排斥を、果たして一体誰が躊躇うだろうか。


 フェンスに引っかかり、まだ泥も乾かぬ子供向けヒーローの靴を見ながら立つファルシュの背中を、近づく夏の気配がじりじりと焦した。

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