第14話 英俊なるナツメ
「受け取りなさい、これが正式な対価でしてよ」
そう、それは紙だ。
息を吹きかければひらりと飛んでしまうような薄い紙を五枚。
だがこの国では最高額紙幣として扱われる、著名な人物の像が描かれた長方形の紙だ。
「えっ……ごま……!?」
「あら? それじゃあ足りませんの?」
唖然とする店主の態度を勘違いしたソフィアが更に二枚、ほいほいと同様の紙幣をその掌へと重ねていく。
「確かにこの国における一週間の平均的な就労時間と賃金を考えれば、貴女の言う通りもう少し出しても構いませんわね。これで足りるかしら?」
その資金源となったのはこの一週間、ファルシュが己の肉体をもってダンジョンに潜り――ほぼほぼソフィアのおかげなれど――集めた魔石だ。
だがファルシュも口を挟むことはない、挟む必要もないだろう。
無言で紙切れを見つめた店主は、目の前のソフィアに戸惑うように突き出しては胸元へ引き戻し、それを数度繰り返した後ゆっくりと上着のポケットへ仕舞い込んだ。
「まいど……ありがとう」
「作り手ならもう少し自信を持ちなさいな、不良品を掴まれたのではないかと客も困惑するでしょう」
ばつの悪そうな顔つきで再び俯く店主を、やれやれとでも言わんばかりに首を振りため息を吐くソフィア。
どうやら仕事が上手く行こうと、中々自分を卑下したがる性格は早々矯正できないらしい。
こればかりはどうにも私達にすら手の付けようがなさそうだ、と苦笑いを浮かべてみればソフィアも同じことを考えたのだろう、冷蔵庫へとそっと手を当て今後の事へと頭を巡らせ始めた。
「さて、どうやって持ち帰りましょうか。台車でもあれば楽なのですけれど」
「私が持ちますよ!」
やっとのこと帰宅する流れになった所で、意気揚々と手を上げ冷蔵庫に抱き着く。
ここに来るまでどうなるかという緊張もあったが、どうやら話も恙なく終わりやっとこさ帰られるという解放感、そして緊張から火照った体に冷蔵庫の金属質な材料が心地良い。
はーよかったよかった、これで無事解決ですね。
それにしても堅苦しいお話は苦手です、聖堂で叱られている時を思い出して唐突に叫び出したくなってしまいます。
「あ……百キロはあるから無理に持つと危な……!?」
「ん? 何か言いました?」
冷蔵庫をサクッと抱きかかえた後ろで目をぱちくりとさせる二人。
「おぉ……ファルシュ貴女、一人で持てるのね……」
「え? ああ、はい。これくらいなら別に余裕ですね。流石に四つ五つ同時と言われると周りが見えませんし、バランス崩しそうで
「……一体その体のどこから、貴女本当に魔法は使っていませんのよね?」
「ちょっとやめてくださいよー! なんか変みたいじゃないですか!」
二人の何かじっとりとした目線に少し身をよじりかわす。
生まれてこの方魔法など使ったことがないというのに、痛くもない腹を探られる感覚はどうにも気持ちが良いものではなかった。
まあ確かに力仕事は得意ですが。
でも聖堂の皆さんも私ほどではないにせよ皆これくらいなら持てましたし……もしかしたらみんな力仕事が得意だったのかもしれませんね。
困りましたね。乙女的可愛らしさをアピールするには、もう少し重いものが苦手感を出した方が良いのかもしれません。
「ちょっと重くて持てないかもしれませんー!」
「……いきなりくねくねとしてどうかしたのかしら。こほん、まあいいでしょう。ではこれで依頼は達成と、また何か魔道具の依頼があったら足を運びますわ。それと聞くのを忘れていましたわね。貴女、名前は?」
「えっとボクは……」
ん? そんな無言で見つめられても特に言うことはないんですけど。
よく分からないけど頷いておきましょう。
「ナツメ、
「そう、既に会話から察しているかもしれないけれど私はソフィア。そしてこの子が……」
「私はファルシュです! えーっと、じゃ! 冷蔵庫ありがとうございましたナツメさん!」
.
.
.
店から帰る道すがら。
とはいってもどうにか狭い入り口から冷蔵庫を運び出し、我らが段ボールハウスに向かって帰らんと数歩踏み出したその時だった。
「アンタ、そこの若い二人さん!」
突然声が掛かった。
初めは誰か別の人物に話しかけていると思った。
ソフィアは聖堂から出歩いたことなどなく、ここいらに知り合いなど誰一人としていない。つい先ほど出来たばかりの一人を除いて。
だが繰り返された声はどうやら自分達へと掛けられているようだと察し、声のする方向へと顔を向ければそこに立っていたのは壮年の女性だ。
少し毛玉の付いた服、履き潰したサンダル、顔には快活そうな笑み。
世に言うおばちゃんというやつである。
傍らに抱えた買い物袋には葱が刺さっている。
「はい? 何でしょう?」
「その冷蔵庫ずいぶん綺麗だけどもしかしてここらで買ったのかい?」
彼女が不思議そうに見つめるのはファルシュの抱えた冷蔵庫だ。
するといつの間にか冷蔵庫の裏に移動していたソフィアが、おばちゃんからは顔が見えぬ立ち位置ながら手を突き出し、つい先ほど出てきたばかりの工房へと彼女の視線を誘導する。
「実はあそこの店主が一から作りましたの。駆け出しの魔道具制作者だそうで、若いけれど知識や腕は確かですわよ」
「あらあら、ウチのオンボロ冷凍庫も丁度壊れちゃってねぇ! 夏も近いしどうしようかと思っていたんだけど……こんな近くに丁度いい店があったなんて知らなかったわぁ!」
「仕事が少ないと嘆いていたので修理も請け負うのではなくて? 買い替えとは言わずとも、まずは相談してみたらいかがでしょう」
ソフィアの口調はまるで宣伝だ。
それも嫌々行うような雑なものではない、誰でも気軽に駆け込めるような一言まで付け加えられている。
「もし気に入られたら是非にもほかの方へ宣伝して下さいませ、きっと店主も喜んでくれますわ」
意気揚々と帰宅する女性の背に言葉を添え、ひらりと手を振るソフィア。
「……全部分かっていたんですか?」
「一体何のことを言っているのか」
こちらの顔がよほどひん曲がっていたのだろう、クスクスと笑い声を零したソフィアが続ける。
「どれだけ良いものだろうと広告されなければ意味などありませんわ。売れる、伸びる、人気があるものは須らく何かしらの宣伝をされているもの。彼女の店が繁盛していなかったのは知られていなかったから、技術や実力の不足などではありませんわ」
どれだけ良いものであろうと知られなければ意味はない。
ナツメは知られていなかった。人によっては知らせる努力をしなかったと突き放すかもしれないが、若い彼女に十全を求めるのは酷だろう。
ならば周りが手を貸してやればいい、ほんの少しの恵みですらも折れかけの花にとっては何事にも代えがたい支えとなるだろう。
そしてソフィアは振り向き、今しがた出会った彼女の背中へちらりと視線を向け笑った。
「でももう大丈夫、これで直に評価も追いつくでしょう。いつの時代もどの国も女の口というものは姦しく、あちらこちらで良くも悪くも喧伝するものですもの」
最初はナツメに随分ととげとげしい態度を取っていたソフィア。
しかし思い返してみればその言葉、どうにも彼女を傷つけるために放っていたとは思えない。
「ふぅーん……」
「何かしら?」
「ソフィアって案外甘いですねぇー!」
このソフィアという少女、澄ました顔をしてなんと不器用な人間だろう。
「手伝わないなんて言ってたのにがっつり関わっちゃってましたし! なんだかんだでちょろ甘いですねぇー! うりうり!」
「そんなつもりありませんわよ、あーもう鬱陶しい! 人の頬を突かないでくださる!? それに冷蔵庫が揺れて危ない! 落したらどうしますの!? ポイント加算しますわよ!」
段々と澄ました笑みが不機嫌な表情へと変わっていく。
しかしその態度こそ、ファルシュの言葉が完璧に彼女の行動を読み取っていたという証左。
次第に愉快な気持ちが沸き上がって来たファルシュは、次々に繋がっていく証拠を得意げに口にしソフィアの顔を笑いながら眺めた。
ああ、そういえばあれもそうですよね!
「警察を呼んでも構わないだなんて、ソフィア呼ぶ気なかったじゃないですか。段ボールハウスで暮らしてるような人間ですもん、そんなことして目立ちたくないですもんね?」
「……さあ」
「それに冷蔵庫だって、多分八万もあれば量販の性能が保証されたものだって十分買えますよね。わざわざナツメに注文する義理もないです。それと……」
続けるファルシュの目前に一枚の紙がぺらりと突き出される。
眉をぎゅうと寄せたソフィアはペンを握りしめ、連なる四つのペケ印の横へ新たに大きなペケをでかでかと書き込み、つん、と顔を逸らした。
「その自分は分かっていると言わんばかりの顔つきが大変に不愉快ですわ、ポイント1加算」
「え!? ちょ、それはおかしいですよね!? そうはならへんでしょうがい!」
「これでポイントは合計五、既に十分の一が溜まりましたわね。これなら来月頃には貴女を追い出せるかしら」
にやりと口角を吊り上げたソフィアがペンと紙を胸元へ仕舞い込み、悠々と先へ歩いていった。
彼女の影が伸びていく。まだ春も終わらない時分だ、太陽が落ちるのも早い。
ソフィアは冷蔵庫を抱えながら夕日の方向へと歩いていくソフィアを必死に追いかけ、内心で激しい憤慨と追い出しポイントをどうにか消す方法を必死に計算した。
う、生まれてこの方シスターをしてきた人間に対してこの所業、何と悪魔的行為でしょうか!
ちょっとからかっただけでこれとはあまりに無慈悲が過ぎます!
「そ、そうだソフィア! 冷蔵庫を置いたらすぐ銭湯行きましょう! 今日は私の稼ぎで奢ります! それにコーヒー牛乳も!」
「あら? 本当かしら?」
「ええ、ええ! もちろんです! マッサージチェアも奮発しておごります! 使ったことないですよね!?」
「ええ。今まであまり興味は湧かなかったものの、今日くらいは使ってもみるのも悪くはありませんわね」
鼻歌交じりで歩いていたソフィアがくるりと振り返り、いたずらな笑みを投げた。
「それと、幾ら甘え媚びても一度加算されたポイントは取り消しませんわよ」
「そんなぁ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます