第3話 強制連行
明朝。
ファルシュはふと目を開くと、昨晩は自身の横で寝ていた少女の姿がないことに気付いた。
「……わたしもトイレ」
寝ぼけ眼を擦り立ち上がる長身。
立ち上がった瞬間段ボールで出来たもろい天井を突き破り、慌ててしゃがみなおし這いずる様にハウスを抜け出す。
「……いませんでしたね。どこかに――あっ」
いた。
備え付けのベンチの下、朝焼けの紅い光を受け少し俯い――おや、何か見ているみたいですね。
少し目を凝らしたファルシュが見たのは、どうやら一枚の黒っぽいカードだった。
少女の手のひらと比べれば随分と大きく長細い。ぽてぽてと寝起きの芯が抜けた歩き方で近寄ってみるものの、そのカードをじっと見つめ続けている彼女はファルシュが背後にまで近づいてきたことにすら気付いていないようだった。
んん、これは――
「おはようございます。えーっと、ひげ……ぷりえすてっそ? トランプですか?」
「あらファルシュ、ごきげんよう。ええ、似たようなものですわね。まあ大したものではありませんわ」
はぁえー、綺麗なカードでしたねぇ。
どこかで売っているんでしょうか? でも大したことがないってなら、もしかして案外外では普通のものだったり?
肩をすくめすんなりと胸元へ仕舞われてしまったカードに、ファルシュはちょっとだけ勿体なさを覚えた。
上の部分には小指の爪ほどの穴が開いており、表には華美なイラストと文字、裏側は金などで丁寧に施された模様がありどちらも素人目からして見事。
ほんの少し目にしただけでこれなのだから、きっとあれを持っていたらいつみても飽きないだろうとファルシュは僅かな憧れを感じた。
「はあ、それにしても三日……騙し騙しでどうにか凌いではきましたがいい加減限界ですわね」
「何がです?」
「春先とはいえ人というものは生きている限り汚れていくもの、一度流したくはありませんの?」
言わずともわかるだろう、ちらりと流し目。
なるほどですね。
汚れた人生、流す、そして人というものの本質と私の従事していた内容。
最新鋭超高性能コンピューターを脳内に持ち、数多の演算結果から間違いないと思われる答えをはじき出したファルシュは、心の底から深々と頷いた。
「贖罪、ですね。ええ、私もシスターの端くれ。ソフィア様が何か隠していらっしゃるのは気付いていました、されどここまでの恩を受けてなお厚顔無恥に批難など出来ません。たとえどのような罪であっても協力を」
「この、ええと、おばか! そういう意味ではなくてよ! 汗や垢の事ですわ! 濡れタオルで拭うのも限界だと言っていますの!」
「ああ、お風呂に入りたいんですか! それなら最初からそう言ってくださいよやだなぁ、アハハ!」
頭痛を抑える様に頭へ手を当てるソフィアであったが、ふとファルシュを見て小さく首を捻る。
「貴女は特に気にしていませんのね」
「聖堂では三日くらいなら入らないことも割とよくあったので」
「そう……節約のためかしら?」
ソフィアは胡乱気な目線を向けるものの、一体視線の意味が何だと思ったのか、迫真の表情で力こぶを作り上げ白い歯を見せつける彼女を見て考えることを止めた。
「はあ、時にファルシュ。貴女、魔法は使えるのかしら?」
「もちろん!」
「そう。申し訳ないのだけれど」
「もちろん出来ません! 魔力が全くない体質なので!」
「あら、随分と珍しいこと。しかし残念ですわね、せめて体と服を魔法で綺麗に出来たら良かったのですけれど」
深々としたため息。
あれ?
「それならソフィアがやればいいじゃないですか。使えないので詳しくはありませんが、基礎的な魔法だとは聞いたことありますよ?」
「その至って基礎的な内容も、
「ほぉ、私と同じですね!」
「ええ、残念ながら」
一層目に見えて落ち込むソフィア。
悲し気な表情にファルシュは彼女の片手をそっと掴み上げると、その手の形を軽くいじくり回しとある形へと仕立て上げた。
「ふれんど!」
そう、サムズアップに。
同じくサムズアップした片手をカツンとぶつけ軽いウィンク。
「お馬鹿! どちらも魔法を使えないとなればどうにかお風呂に入らざるを得ない。現状健康的とは言えない生活の以上、最低限衛生状態の管理は必須。これは喫緊の課題ですわよ!」
「そんなご無体な……!」
しかしどうにかひねり出した渾身の励ましも、当の本人によってぺちりと無慈悲にはたき落とされてしまった。
「確かこの国は銭湯という大衆浴場がありましたわね、安くお風呂にあり付けるとか」
「ああ信者の方から聞いたことはありますよ! 一人数百円くらいですかね、色んな種類のお風呂があるそうで楽しいとか!」
「ふむ……貴女の話を聞く限りどうやらここいらにも存在していそうですわね。時にファルシュ」
「はい! なんでしょう!」
今度は少し申し訳なさそうな声音でソフィアは尋ねた。
「貴女お金は持ち合わせていて?」
「――! もちろん!」
「そう、申し訳ないのだけれど」
「もちろんありません! 聖堂での暮らしでお金を使うことは全くありませんからね!」
「その内容に胸を張る要素は微塵たりとて含まれていませんわね。ああ、終わりですわ……! 一番可能性があったものがまさかの全滅だとは……!」
両手を覆いしゃがみ込むソフィア。
指の隙間からぶつぶつと何か思考を纏めるための言葉が漏れてくるのを聞き流しながら、彼女のうめきに合わせぴょんぴょんと跳ねる銀のドリルを眺め、ファルシュは共に悲しみに暮れた。
大変ですね……こんなに悩んでしまって可哀そうです。
ところでこのドリル毎日巻いているわけでもないのにどうして形を保ってるんですかね?
「アレは使えない……それに食事代や備えに魔石の確保もどうにかしなくては……仕方がありませんわ」
突然立ち上がったソフィアに合わせすさまじい勢いで引っ張られるドリル。
運動エネルギーを最大限に受けたドリルは、ギリギリで身体を逸らせたファルシュの頬をスっと擦り、何もなかったかのように彼女の横顔の定位置へと戻った。
あ、危なかった!
私だから避けることが出来ました! もし避けることが出来なかったらきっと今頃私の顔面には第三の鼻の穴が開いていましたね……!
いやでも鼻の穴が三つあったら呼吸しやすいかも……案外あり?
再び思考がふわふわと空を舞い始めたファルシュの意識を引き戻したのは、パンっ、と鮮烈なソフィアの手を合わせた音と、続く衝撃的な内容だ。
「これは
「えっ。ダンジョンって、あのダンジョンです?」
「アレかコレかは存じ上げませんが恐らくソレですわ」
ダンジョンと言えば身近にあって一番近寄ってはいけない場所ランキング堂々の一位。
魔力溜まりから生まれた知性のない怪物、通称モンスターがうじゃうじゃしていると噂の場所だ。ちなみに当然ファルシュは立ち行ったことがない。
「む、無理ですよ! 私戦うの怖いですし! そんな凄い力はなにもありません! 魔法も使えないし!」
「……力が、ない? んん、別に荒稼ぎする必要なんてありませんわ。魔力の薄い場所ならば戦闘技術がなくともなんとかなると読んだことがありますわ!」
「そんな! 無謀です! 小学一年生が初めてやる足し算ですらもう少しまともな理論でやってますって!」
「貴女に諭されるのがこんなに屈辱だとは思ってもいませんでしたわ。でもこれくらいしかありませんわ、ほら立って!」
「無理無理無理無理ムリムリです!! もっと他に案いっぱいあるはずですって! もう少し考えて動きましょうよ!」
いやーっ! お嬢様に殺されます!!
生まれてこの方戦ったことがあるのは何処かから入ってくる野良の黒猫と、時々現れるアシダカグモとゴキブリくらいの私に勝てるわけがありません!
へにゃい筋力で引っ張られるのを、ベンチを足でがっちりとホールドし必死に抵抗する私。
「はぁっ! はぁっ! なんて無駄に力がある……これも全て仕方がないことですわ。住所不定、国籍も怪しいとなればまともな稼ぎは期待できませんの!」
「ソフィアって国籍怪しいんですか?」
「怪しいですわね」
「ちなみに如何ほど?」
「そうですわね、強いて言うのであれば真夜中に全身黒づくめ帽子マスクサングラス、おまけに片手で包丁握りしめている程度には」
「おお、それは大層な不審者ですね! お巡りさんを呼ばなくては!」
「貴女も聖堂送りになるけれどよろしいのかしら?」
それは困ります!
折角外に出て楽しい日々を過ごしているというのに、あの退屈な日々へ逆戻りは耐えられないかもしれません!
でもそれはそれとして戦いたくもありません!
「分かりましたわ」
激しく肩で息をしたまま遂にソフィアが折れた。
「た……助かりました。やっとわかってくれたんですね」
「ではここへ座ってくださる?」
ずい、と差し出されたのはタイヤ付きのキャリーバッグ。
その姿に私は見覚えがあった。段ボールハウスの端っこの方で放置されていた、恐らく彼女の持ち物であろうものだ。
「ええ、それくらいでしたら構いませんが」
唐突で意味が分からないもののおずおずと座った瞬間、ぴったりと冷たい感覚が足元へと張り付いた。
緑色の貼り付けても簡単に剥がせるあのテープだ。勿論それを付けたのは……ソフィア。
「ま、まさか……!」
はっと立とうとするももう遅い。
あっという間に全身へぐるぐるとテープを巻きつけたソフィアは、端をばっちりスーツケースに貼り付けてニッコリとほほ笑んだ。
「私は一度も『行かない』や否定の言葉を口にはしていなくてよ? さあ行きますわ!」
「いやあああ! 拉致! 立派な拉致ですよこれは! こーれはお天道様が許しても私が許しません! ぷんぷんですよ!」
「暴れれば転んで顔を打つかもしれませんわね、きっと擦りむいて痛いでしょう」
無慈悲に背中を押されコロコロと進み始めるキャリーバッグ。
最初こそちんたらとしたものだったが当然押し続ければ勢いが出ていくもの、気が付けば彼女の言う通り転んだ瞬間顔を華麗に擦りむく程度には速度が出始めていた。
明朝、人気の少ない公園の入り口から私の悲鳴が響く。
「あーあー! 困ります困ります! 誰か助けてください! このままでは私銀髪ドリルに殺されてしまいます!」
「おばか! 騒ぐのを止めなさい! 私が不審者に思われたらどうしますの!?」
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