第4話 楽しいダンジョン突入

「はぁぁー……本当に行くんですか? 危ないですよ!」

「ええ。第一貴女の腕力なら多少の生物ひとひねりですわ」

「冗談はよしてください! 私ただの敬虔なシスターですよ!?」

「真に敬虔なら聖堂から飛び出すような真似はなさらないのではなくて?」


 テープの剥がされひりひりする二の腕を撫でながら、ファルシュはそっと視線を逸らす。

 公園から連れ出され三十分後。

 蔦に塗れた鉄格子に囲まれ、この先危険と書かれた看板の前に二人はいた。


 ダンジョンの基本構造は魔力溜まりによる空間の変異、そして同時に生まれたモンスターと呼ばれる一種のゴーレム的存在が闊歩する空間。

 モンスターを倒すことで体内に魔力を取り入れ基本魔力量を底上げすることも可能だがごく少量、ましてやこの二人は根本的に魔力を蓄えることが不可能な体質故に、本来は立ち入る意味などない。

 ただ一つ。モンスターを打ち倒した後に残る核、魔石の存在を除いて。


「せめて一日に千円程度は稼がなくては……ええと、この冊子によるとおおよそ五個から六個くらいですわね」

「……それは一体なんです?」

「はじめてのダンジョン踏破くん別冊おまけ付きですわ。貴女を運んでいる最中通ったダンジョン協会の前で貰ってきましたの」

「い、いつの間に……」


 彼女の差し出す冊子の表紙には、みんなで学ぶぽむ! と楽し気に笑う奇妙なキャラクター。

 どうやら無料で配布されている冊子のようで、ダンジョンに関する基本的な知識がある程度書かれているらしい。

 ビニールに封入されたおまけのストラップもやはりその妙に憎たらしいキャラクターであり、満面の笑みが今のファルシュにとっては悪魔の笑みにしか見えなかった。


「勝手に入ってもいいんですか?」

「最低ランクのEなら許可証が不要ですの、国際的にこの点については共通ですわね」

「……そうですかぁ」


 ファルシュの目に飛び込んできたのは、入り口近くに建てられた看板の『E』というでかでかとした文字。

 場所もかなり辺鄙なところでここ最近人が入った形跡もない、ダンジョンなんてまあ奇特な人間しか近寄らないから当然ではあるが。


 ありゃー。

 これもしかして何かのいたずらでAがEに書き換わってるとかないですかね?


「なに文字を擦っていますの?」

「なんか擦りたい気分なんです、将来はDJでも目指そうかなって」

「そう。でもいくら擦ってもEが別の文字に書き換わることはありませんわよ」


 顔横の髪をさっと払い除け、風を切ってソフィアがずんずんと進んでいく。

 金網の奥に見えるのは何の変哲もない若干緑がかった池。されどダンジョンというものはとある境界を越えた瞬間に風景が変わってしまう、正しく空間の変異とでもいうべき状態。


 ああ、嫌ですねぇ……!

 めっちゃ嫌ですよぉ……!


 三十以上の差があるソフィアと同じほどにまで縮んだ酷いへっぴり腰で、渋々ファルシュも彼女の後へと続く。


「あの! 危なそうだったら逃げますよ!」

「ええ、ご自由にどうぞ」

「何言ってるんですか!? ソフィアも一緒に決まってますからね!」


 僅かな沈黙。


「そう」


 ソフィアに抱き着くファルシュからは彼女の表情をうかがい知ることは叶わなかった。

 それどころかダンジョンへ本当に入っていいのか、はいって大丈夫なのかという感情に押し流され、その若干上擦った彼女の返答すらまともに聞こえてすらいなかった。


「さっ、入りますわ」

「もぉー……はい! はい! 入りますよ! 入ればいいんですよね!?」


 されどそんなファルシュのことなど知らぬ存ぜぬのソフィア。

 置いていかれてはかなわないとやけくそのファルシュもほぼ同時に大きな一歩を踏み出し――



「――わぁ」

「本当に綺麗……こんな状況で見たくは無かったけれど」



 なんて、美しい光景だろうか。

 濁った緑のありがちな池、たった数歩前まで間違いなくそう見えていた風景が今はどうだ。

 二人の目前に広がるのは深く透き通った蒼く広い湖。そこいらに生えるただの草ですら透き通るようなアクアマリンの蒼翠を纏い、空を舞う蝶は透き通った翡翠。


 信者の方から話には聞いていましたがこれは……想像以上ですね……!


 感動、そして絶句というのはまさに今使うべき言葉だろう。

 もし飴細工に命を吹き込んだらこの光景を作り上げることが出来るだろうか? いや、きっとどれだけの職人がいようとも不可能だ。


「はぁー、カメラとかあれば良かったんですけどねぇ」

「ファルシュ貴女観光目的になっていませんこと?」

「観光目的になったら最高なんですけどね! ソフィア的にパパっと写真撮って帰るなんて最高だと思いませんか?」

「それで生活費が入るなら最高ですわ」


 一瞬で襲い掛かる現実感がファルシュの顎を撃ち抜き崩れ落ちた。

 そう、普段では決して目に入らない風景を見る理由は二つある。一つは感動を求めた観光、そして残りの一つは不本意ながら危険地帯へ立ち入る場合だ。


 感動と悲しみをごちゃまぜにした足取りでサクサクとしたその草原を歩いていると、はたと目に留まる色彩があった。


「あら? あれってスライムという奴ではなくて?」


 ソフィアの声が興奮と僅かな緊張に染まる。


「そうですね。なんかこうプルっとしてて、丸くて……」


 赤黒い。

 いやなんか本当に赤黒いですねアレ、蠢くおはぎ?


 腰に手を当て、片手で作り出した輪っかから再びのぞき込むも、やはりその推定スライムは妙に赤黒い。


「なんか色が変じゃないですか?」

「そうかしら? 他のを見たことがないから違いが分からないのだけれど。折角ですもの、少しパンフレットを見てみましょう」


 がさりとソフィアが再び冊子を開く。

 彼女によってぱらぱらと捲られるページの中、ファルシュはとある記述を見つけはっと声を上げた。


「あっ、ここ! 『スライムはE級ダンジョンに多いモンスターぽむ。魔力をため込むほど透明度が落ちるぽむよ~!』、だそうですけど」

「ファルシュ。貴女個人の主観として伺いたいのですけれど、『アレ』の透明度は如何ほどに見えますぽむ?」

「ぽむ? ……透明と言い張るにはちょっと濃いですかね、チューブから絞ったばっかりの絵の具くらいには」

「ですぽむわよね、流石に少し危険かしら?」


 ふ、と面を上げる二人。

 だが風景を再認識するより速く、ファルシュの無意識は奇怪な風切り音に気付いていた。


「危ないですっ!」

「きゃっ」


 本能的な動きだった。

 横にいたソフィアを抱きかかえ大きく倒れ込む。


 斬ッ!


 数秒遅れで背後の湖が割れた。


「な……!」


 絶句。

 だが見間違えることはない。今自分達を掠めていった何かの色は、間違いなく赤黒いもので。

 はっと正面を睨む。あのスライムがいつの間にか空中へと体を伸ばし、今もなお変形しているではないか。


 まさか、あのスライムが……!?


「あら、助かりましたぽむ。もし食らっていたら危うく怪我をするところだったかもしれませんぽむ」

「ぽむぽむ言ってる場合ですか! 走りますよ!!」


 ま、まずいです!

 これは本当にまずい! 明らかに魔法が使える人が立ち行っていいレベルの場所じゃないですよこれ!


 妙に能天気な発言をしているソフィアの腕をひっつかみ駆け出すファルシュ。

 間違いなくここは一般人レベルの人間が近寄っていい場所ではない、撤退以外の選択肢はあり得ない。


「ちょっ、なにしてるんですか!?」


 だがソフィアはその手を振り払った。


 一体何を考えてるんですかこんな状況で!?


 ぴたりと立ち止まり軽く振り返る彼女。

 遠目からでも分かるほど震えているスライムの身体。


 来るッ!

 あの先から弾丸を飛ばしてくるッ!

 しかも一発や二発じゃ足りない、確実に仕留めるための連射を!


「――っ! 私が盾にッ! はやく走って逃げてくださいッ!」


 両手を十字にして叫ぶ。

 あの攻撃をもし正面から受けてしまったら……正直助かる自信はない。

 ならこんな肉壁みたいなことをして何の意味があるのか? それはファルシュ自身にも分からなかった。


 だが何もせず逃げる選択肢は思い浮かびすらしなかった。



「落ち着きなさいな、それと人の話は最後まで聞きなさい。貴女が前に出たら怪我をしてしまうでしょう?」


 声がファルシュの背後から、いつの間にか正面へと移動していた。


「ソフィ、あ……?」


 蒼い輝きが彼女の胸元から溢れ出し、それをソフィアは軽く摘み上げ小さく笑った。

 光源は、そう。


「そのカードは……!」

「目覚めなさい、『蒼玉の女教皇サファイア・プリーステス』」


 彼女が朝眺めていた、一枚のカード。

 それは彼女が手を放してなお中空をひとりでに浮かび、強烈な光を放っている。


「もし貴女が私を置いて逃げていたのなら、きっと見せることは無かったでしょう」


 怜悧に微笑むソフィアの指先がカードに触れる。

 刹那。スライムの振動が頂点へと達し、無差別な爆撃が一帯へッ!



 タタタンッ!



 だが暴力が二人の身を貪り食らうことは無かった。

 空の光を受け静かに閃く、ソフィアの握りしめた蒼銀の拳銃によって一切が制圧されたために。



「緊急時にこそ人の本質は良く出る。でもそうね、少し無理やりにでも連れてきたのを謝罪致しましょう。ごめんなさいねファルシュ、少し危なかったかもしれませんわ」


 にこりと、彼女はいつもと変わらぬ笑みを浮かべ小さく頭を下げた。

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