第10話

 エヴィは椅子に座ったまま、六枚目のガトリタに手を伸ばした。


「まず扉を開けて入ってきたのは、そっちの大男だ。お忍びとはいえ、そんな馬鹿なことがあるものか。私が暗殺者で、入ってきた途端に小刀を投げたらどうするつもりなんだ。従者が最初に入ってきて、安全を確かめるのが当然だろうが。そのつもりで、王子は先に入ろうとしたが、護衛としては万が一のことを考えて、自分が先に入ると譲らなかった。扉が開くまで時間がかかったのはそのためだろう。馬鹿げたふるまいをしたのは、あくまで大男がゆずらなかったからだ」


 マーストは無言で、エヴィを見ていた。


「それから、私が紙刀に手をかけた時、君は大男をかばったな。いいところに立ったが、あれは自分だったらここで守ってほしいと思って立った場所で、実は大男にはうまくなかった。万が一、私が本当に紙刀を投げたら、かばえなかったからな。だから場所を移動したのだが、そのことに君は気づいておらず、後で気づいて驚いてしまった。こんな護衛がいるものか。そもそも、本物の護衛だったら、紙刀の存在には最初から気づいていて、警戒していたはずだ。実際、大男はちらちら卓を見ていたぞ」


 青い瞳の青年に見られて、大男はうなずいた。


「ほかにもいろいろとあるが、決定的だったのはここの女官が見せたふるまいだ。前に呼んだ時、まず君に頭を下げ、それから大男に挨拶した。どちらが偉いか一目瞭然だ。ちなみに今もそうだった。詰めが甘すぎる」

「君はそんなところまで見ているのか」

「外交では、わずかなふるまいが交渉の有利不利を決める。鈍感は罪だ」


 エヴィは六枚目を食べ終わると立ちあがった。


「ついでにいえば、私のふるまいに無頓着だったことも、正体を知るには大きかったな。ここのところ、君は私に普通に話しかけられて、安心していたようだった。相当に無礼な言い方をしたのだがね」


 エヴィに話しかけられて、大男はためらいがちにうなずいた。


「あ、ああ。実は王族としてふるまうのはつらかった」

「本物の王族だったら、あんな態度は取らない。話をしているうちに、下級貴族か、平民であると想像がついたよ。それで、君の名前は」

「マーストだ。マースト・キリ」

「なるほど、名前はそのまま入れ替えたわけだ。おおかた暗殺防止のための処置だろうが、あまりにも稚拙だ。今度やる時には、もっとうまくやってくれよ。ああ、君ではなく、王子に言っているんですよ。わかっていますね」

「忠告、心に刻もう」

「では、トゥクラス王子。話をつづけてもよろしいかな」

「やってくれ」


 青い瞳のトゥクラスは笑って、席に着いた。ふるまいは優雅だ。傍らに赤い髪のマーストが立って護衛につく。


「よい組み合わせだ。それが本来の姿か」

「そうだ。マーストはいつでも私を守ってくれている。彼でなければできない」

「見ていてわかるよ。こちらも話がしやすい。さて」


 エヴィは二人を見つめた。


「私は嘘をつくのもつかれるのもが嫌いだ。何を信じていいのかわからなくなる」

「拠り所がなくなるということだね」

「だから嘘つきとは、仕事をしたくない。今回、君たちは、露骨に私を騙した。本来だったら、席を立って、ノットハウの町に帰っているところだ」

「だが、そうはしなかった。むしろ、最初からだまされているとわかっていたのに、交渉の手助けをしてきた」

「町を守るためだよ。あそこには知り合いが多い。前にも言ったとおり、この丘陵が敵の手に落ちると、今度はあの町が目標になる。知り合いが戦火に焼かれるところは見たくない。たとえ、私の流儀に反することになってもね」


 エヴィは両手をあげた。


「ここまで来たら退けない。とりあえず、サクノストの軍勢を退かせて、交渉ができる体制を作りあげる。国境線の問題はその後だ。それこそ国の外交代表団にまかせればいい。それで君たちの面目も立つ。そこまではきっちりやるさ」

「面目とは?」

「前にも言ったとおり、領土の問題はデリケートで、本来なら王宮直属の外交団がそろって交渉に赴いてもおかしくない。なのに、今回は君とマーストだけ。しかも私設外交官を雇うという。手間をかけないのにも程がある。理由があるとすれば、点数稼ぎだな。誰の手も借りずに、自分だけの才覚でヤマニト丘陵の問題を解決したという。それで第二王子の評価はあがり、仲の悪い第一王子と対抗する事ができる」


 エヴィは銅の湯飲みに水を注いで、飲みほした。


「第一王子と第二王子の対立は、有名だからね。余計な言い訳はしないでくれよ」

「兄に王位を与えてはいけない。あれは、狂人だ」

「王室の内情に興味はないよ。ただ、有利なのは第一王子で、第二王子が苦しい立場にあることだけは知っているよ」

「ふがいない王子で申し訳ないね」

「かまわない。今、大事なのはこれ以上戦いを広げないことで、そのために第二王子の肩書きは役に立つ。ただ、まあ、戦いに負けたのは痛いね」

「では、この先どうする。むずかしいことになったが」

「そうだな」


 エヴィは地図を見て、それからマーストに視線を向けた。


「君、確か、翠玉スマラカタを持っていたな。例の商人から受け取ったやつ」

「ああ、それは、殿下に」

 マーストの言葉を受けて、トゥクラスがポケットから翠玉スマラカタを出して、テーブルに置いた。エヴィはそれを手に取って、眺め回す。

「仕方ない。これで押し返すか」

「どうするつもりだ」

 問われて、エヴィは自らの策を語った。トゥクラスとマーストの口が半開きになるまで、さして時はかからなかった。

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