第8話

「顔色が悪いようだが、大丈夫なのですか」


 エヴィに声をかけられて、トゥクラスは首を振った。


「ここのところ、頭の痛い話がつづいて。少々、まいっている」

「第二王子ともあろう方がそんなことでは困るのだがな」

「解決できないことはいくらでもある。人がからめばなおさらだ」

「いえ、本音を赤の他人の前で語っていることですよ。内情がだだ漏れです。私が密偵だったら、口元がほころんでいますね」

「それはいいな。君が笑うところを見てみたい」


 トゥクラスは、顔をあげて、目の前の部屋を見つめた。


「それで、今日はどうして、ここに」

「物と金の流れを把握するためだ。地元の内情をつかむのであれば、それが一番早いので」

「ラセニ随一の商人と会う理由はそれか」


 白壁の部屋には大きな円卓が用意されており、その一角をエヴィ、トゥクラス、マークスが陣取っていた。卓の上には一輪挿しがあり、山茶花が赤い大輪を咲かせている。


 右手奥側には執務用の机が置かれていて、書類が山のように積まれていた。

 その傍らに飾られた絵は軍人のもので、剣をかざし、その視線は転に向けられている。第九代国王トシケリノで、サクノストとの戦いで勝利して、リソレ川東岸地域の割譲を成し遂げた英雄として知られている。


 硝子の置物といい、凝った意匠の椅子といい、金がかかっていることがわかる。


「コーミットといったな。確かに大商人ではあるが、いろいろといわくのある人物のようだが」

「よいですよ。その方がやりやすい」


 マークスの言葉にエヴィが答えたところで、扉が開いて、小肥りの男が部屋に入ってきた。白のシャツに灰色の上着、同じく灰色のズボンといういでたちだ。

 普段着であるのは、トゥクラスがお忍びで訪れていることに気をつかってのことだろう。ただ、胸には金の鎖が吊り下げられていて、さりげなく資金に余裕があることを示している。


 黒い瞳が三人を見つめる。


「お待たせしました、殿下。仕事が立て込んでいて申しわけありません」


 男が略式の挨拶をすると、トゥクラスは立ちあがって応じた。


「かまわない。無理を通したのはこちらだ。時間を割いてくれて感謝している」

「ありがたきお言葉。このコーミット。殿下に忠義を尽くしますぞ」


 そこで、コーミットは彼の後につづいて入ってきた男を見た。


「ああ、会議に彼を同席させてもよろしいですか。私の甥っ子でして。店の手伝いをしてもらっています。信頼できる人物ですので」

「かまわんさ。人目があれば、暗殺防止にもなるしな」

「ご冗談を。さあ、ダスー。挨拶を」

「ダスーと申します。よろしくお願いします」


 青年が頭を下げた。金色の髪に、水色の瞳で、それが白のシャツと見事にかみ合っている。顔立ちは整っており、美しい肌が驚くほど目を惹く。


「さて、では、本題に入らせていただきましょうか。今回の小競り合いの件ですが」


 コーミットは、トゥクラスと向かい合う位置に座った。


「正直、我々としてはとんでもないことをしてくれたというのが第一の感想です。サクノストの侵攻で、現在、両国の貿易は完全に止まっています。ラセニの町は、輸出するはずの物資が山のように積まれていて、処分に困っております。損害がどれほどになるか見当もつきません」

「申し訳ないとは思っている。だが、今回の件、仕掛けてきたのはサクノストで、我々は迎え撃っているだけだということはおぼえていてくれ」

「わかっています。ですから、物資の徴発にも応じて、衛生部隊に食糧も提供しました。資金も回しています。国に対して忠義は尽くしておりますが、それでも限界はあります。長くは保ちません」

「和平を望んでいるのは、我らも同じだ。だが、サクノストが退かないのでは、どうにもならない」

「貴殿は、どのような品物を取り扱っておられるので」


 エヴィが口をはさんだ。いきなりのことに、コーミットは顔をしかめる。


「この方はどなたで」

「私の外交顧問だ。質問には答えてやって欲しい」

「そういうことでしたら」


 不満を隠さずに、コーミットは答える。


「砂糖、炭、硝子製品、あとは宝石ですね。多いのは砂糖と硝子製品で、宝石は北部で採れた翠玉スマラカタをサクノストで売っています。貴族の方々に評判でして」

「北部というと、ムレハースの近くか」

「よく御存知で」

「鉱山地帯は限られている。北部で、宝石が採れるところとなれば、なおさらだ。よかったら、見せてくれ」


 コーミットはトゥクラスを見た。彼がうなずくのを見るとダスーに合図する。

 ダスーが奥の金庫から宝石箱を取りだして円卓に置くと、コーミットがポケットから鍵を取りだして箱を開けた。


「これがそうです。加工も向こうでやっています」

「ほう、これは見事な」


 エヴィは手にとって眺めた。

 翠玉は北の高山地帯で採掘される緑の石で、美しい輝きにその特徴がある。壊れやすい性質で、乱暴に扱うとたちまち砕けてしまう。傷のない逸品は王族や貴族がこぞって買い求める。20年前には、掌とほぼ同じ大きさの翠玉をめぐって、貴族が決闘したこともある。


「これほどの物はなかなか見られない」


 エヴィが渡すと、トゥクラスも慎重に眺め回した。


「確かに大きな。濁りも少ない。これなら高く売れよう」

「ありがとうございます。あ、いえ、返さずとも結構です。お持ちください」


 コーミットは笑った。


 一方、トゥクラスは顔をしかめて、無理に返そうとしたが、きわどいところでやめた。さりげなくマーストがささやいたからだ。


「わかった。ありがたくいただいておこう」

「そうしていただけると助かります」

「さて、本題に戻るが、おぬし、この戦いをどう見る」

「どうとは」

「どのように戦局が推移して、どちらが勝つかという話だ。奇譚のない意見を聞かせてくれ。大丈夫だ。何を言っても、首を刎ねるようなことはせぬ」


 トゥクラスは笑い、コーミットも苦笑した。話がはじまるまで時間はかかったが、それは迷ってのことではなく、コーミットがわざと間を置いてのことだった。


「そういうことでしたら。正直、味方は不利だと考えます。援軍が来たので、数は何とかなりましたが、兵の質は怪しいかと。精兵が少なく、何より食糧、武器の乏しさが問題です。挑発だけではとうてい補うことはできないかと」

「王都から補給が来ているはずだ。それでいける」

「物資が正しく前線に届いていればよいのですが、実のところ、そこに問題がありまして。殿下にこのようなことを言うのはどうかと思いますが、味方の兵站は正しく機能しておらず、物資は半分も届いていればよい方です。しかも、到着がやたらと遅いのです」

「どうして、そうなる」

「それは……」

「横流しだろう。誰かが途中でかっさらっている」


 エヴィが応じた。


「ここのところ、軍の規律は低下している。ノットハウでも何度ももめ事が起きていて、王都に訴える動きも出ていたよ」

「そうなのか」

「申しあげにくいことですが、そういうことです」


 コーミットは汗をぬぐった。


「武器や食糧がなければ、軍は戦えません。さらに言わせていただければ、指揮官の方がそれを認識していないのが問題でして。無理に攻めようとして物資を徴発して、町の者と諍いを起こしています。商人の不満は溜まっており、危険な状態に陥っています」

「指揮官はトレト伯爵だったな」


 エヴィはトゥクラスに顔を向けた。


「どういう人物なので。話を聞くかぎり、まともとは思えませんが」


 トゥクラスは答えなかった。それがかえって状況を正しく示している。

 エヴィは小さく息をついた。


「おそらく、サクノストはこちらの内情をつかんでいる。だから強気なのだ。早々に手を打たないと、大変なことになるぞ」

「大変と申しますと」

「そうだな。例えば……」 

 そこで扉が叩かれて、コーミットが顔をゆがめて立ちあがった。

「まったく、大事な話をしているから近づくなと言っていたのに」

 コーミットは扉を開けて、小声で何事が語った。すぐに、その表情が変わる。赤い頬から一瞬で血の気が消える。

「どうした。何があった」


 トゥクラスの問いに、コーミットは震える声で応じた。


「今朝、丘陵の西で大規模な戦いが起きたそうです。そこで味方が大敗を喫したと」

 一瞬で部屋の空気は変わった。トゥクラスは言葉を失い、マーストは顔を強ばらせて、その場でうつむいた。

 表情を変えなかったのはエヴィで、何も言わず、手元の書類に目を落としただけだった。

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