第5話
控え室に入り、全員が座ったところで、トゥクラスが口を開いた。
「すまなかった。熱くなってしまって」
肩を落として座る姿には、いつもの覇気はなかった。
「余計なことを言ってしまった」
「そうですね。ずいぶんと頭に血がのぼっていたようだ。話さずともよいことをどんどん話してくれて。こちらはヒヤヒヤしましたぞ」
「エヴィ様。その言い様は様に厳しいのでは」
「事実なのだから、仕方あるまい。まあ、トゥクラス様があおってくれたおかげで、向こうも余計なことを喋ってくれた。おかげで、いろいろとわかって助かった」
エヴィは、マーストを見た。
「それに、殿下がああならなずとも、休会は申し入れるつもりだった。サクノストの代表団、魔術を使っているからな」
トゥクラスとマーストは同時に息を呑んだ。その目は丸くなっている。
「卓の上に青磁の小物入れがあったことに気づいたか。掌に載るような小さいやつ。あれが魔術具だ。あのまま話し合いの場に留まっていたら、影響を受けていた。断ち切るには部屋を出るしかなかった」
「あのままだったら、どうなっていたのですか」
「心を操られていたな。まあ、あの魔術具はたいしたものではないから、人を意のままに操るところまでいかないが、それでも相手の意見に対して反論を唱えにくくなっただろうな。交渉の場では致命的だ。なかなかやってくれる」
エヴィは、驚いたままの二人を見た。
「おいおい。しっかりしてくれ。外交の場で、魔術具が使われるのは珍しいことではないぞ。神正暦125年、第二次東南戦争の終結を図った会議では、読心系の魔術具が数多く使われて、会議は大荒れとなった。結局、魔術具の持ち込みは禁止され、代表者の話し合いで条約は成立したが、本当に影響がなかったかどうかはわからない」
「それはそうだが、今から600年も前のことを言われてもな。魔術具の数も減っている。まさか、ここで使ってくるとはな」
トゥクラスは顔を押さえて息を吐いた。マーストもうなだれている。
「こんなことで落ち込まれては、困るのだがな」
「だがな」
「仕方ない。お茶でも飲もうか」
トゥクラスは、マーストに視線をむけた。
「この御用邸には女官がいただろう。彼女たちに入れさせてくれ。気立てのいい娘が淹れてくれると、心が安まる」
「町のおじさんみたいな事をおっしゃらないでください」
そう言いながらも、マーストは女官を呼んで手配をした。ひととおり話を終え、戻ってくると、エヴィは改めて話を切り出した。
「どう思う。君は連中のこと」
「サクノスト代表団のことですよね」
マーストは返事をためらっていたが、再度、問われて、静かに応じた。
「強気だと思いました。ヤマニト丘陵に攻め込んだのは一月前で、しかも半分しか制圧していません。なのに、すべてを寄越せとは。度が過ぎているのではありませんか」
「予備交渉の時には、そんな話はなかったようだ」
エヴィは手元の書類を見た。
「強気の原因はどこにあると思う?」
「何とも言いようがありません。わかりかねます」
「必ず勝てるという保証があるのだろう」
トゥクラスが顔をあげて、二人を見ていた。その目には力が戻っている。
「理由はわからないが、勝利を信じて疑っていない。ヤマニト丘陵が掌中にあり、さらなる侵攻も考えているから、あのような言い方になる。少なくとも、私にはそのように思えた」
「いい判断ですね。私も同意です」
「サクノストが援軍を出している様子はありません」」
マーストは書類を確認した。卓に置いてある紙を一枚ずつめくっていく。
「王都でもそのような動きはないようです」
「となると、他の理由か。伯爵の私兵が出てくるのか」
「それでは数が足りません。彼らは我々の動きもつかんでいて、間もなく援軍が来ることもわかっているはずですから、強気になるには、よほどのことがないと」
エヴィが腕を組んだ時、扉の金具が乾いた音をたてて、女官が茶の準備ができたことを告げた。トゥクラスが入るようにいうと、黒と白の使用人服につつまれた十代の女性が姿を見せた。二人で、丁寧にマースト、トゥクラスに頭を下げると、茶器をテーブルに置いて、静かに茶を入れた。
その手並みに無駄はなく、三人はあざやかな動作に見とれていた。
女官が出て行ったところで、トゥクラスが茶器に手を伸ばしたが、それをマーストは遮り、先に茶をすすって、中味を確認した。二人に渡したのはその後だ。
「うん。いいね。やっぱり、おいしい茶は、心に響くよ」
エヴィはゆっくり茶をすする。トゥクラスも表情がゆるんでいた。
「確かに。おかげで落ち着いたが、この先のことも考えると、ゆっくりしてはおれんな。どうする」
「まずは、これですね」
エヴィは、腰の道具入れからペンダントを取りだした。
「魔術具対策です。これは魔術の流れを感じとって、それを払いのけますが、問題なく交渉できます」
「助かる」
「君もつけていてくれ。マースト」
「わかりました」
「サクノストに対する交渉だが、まずは手の内を探るところからはじめよう。幸い、グアント伯爵は口数が多く、つつけば余計なことを喋ってくれる。彼を中心に攻めれば、突破口も見えるだろう」
「サミトンはどうする」
「様子を見るべきでしょう。実は魔術具をあやっていたのは彼で、おとなしいように見えて裏で何かと動く人物だと思われます。頭もよさそうだから、彼からの質問には気をつけるべきかと。
「あとは、我が国の方針か」
トゥクラスは書類を手にした。
「間もなく、1000の援軍が到着する。近隣の領主も兵を出してくれるから、もう少し増えるかもしれん。1300から1500の戦力があれば、互角に戦うことはできよう。指揮官が到着次第、今後の作戦について話しあう。そこで、我々がどうすべきか決める」
「王都から外交官は来ないのですか。騒ぎはかなり大きくなっていますが」
「ないな。今回は我々だけで解決せねばならん」
トゥクラスは言い切った。わずかに表情には陰りがある。
エヴィは、その第二王子の横顔を見ていたが、やがてうなずいた。
「では、休会後の交渉では、時間稼ぎに重点を置きましょう。グアント伯爵はここの領主ではなく、過去の事情を知らない可能性もあるので。そこを突けば、交渉を有利に保っていけるかもしれません」
「なるほど」
「そろそろ向こうも焦れてくるでしょう。迎えが来たら……」
エヴィの言葉が終わらぬうちに、扉を叩く音が響き、サクノストの使者が来たことが告げられた。三人はそろってうなずくと、腰をあげた。
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