第2話

 トゥクラスが座り直すと、巨体に押されて、椅子の脚がきしむ。


「今日、ここを訪れたのは他でもない。外交案件を一つ、解決してほしいと思ったからだ。我が国がトレト伯爵領で小競り合いを起こしたことは知っているな」

「ヤマニト丘陵をめぐる戦いですね。はじまったのは、今年の10月でしたか。何を思ったのか、隣国のサクノストが突如トレト伯爵領に1000の兵で侵攻してきました。トレト伯爵は反撃に出たものの、あっという間にやられてしまい、王都に援軍を求めました。あわてて1000の軍勢を送り込み、サクノスト勢を攻撃したが、どういうわけか、味方の主力はあっという間に叩きつぶされて、逆にサクノスト勢の侵攻を許すことになりました。歴史に残る完敗ですね」

「その言い回し、無礼ではないか。前線で戦っている兵に対して」


 トゥクラスの声に怒気がこもった。エヴィは小さく息を吐いて応じる。


「これは失礼を。ですが、正しく出来事を把握してないと、交渉はできませんから」

「だがな」

「詳しいですね。さすがに」


 マーストが口をはさんできた。


「戦いがあったのは一月前で、詳細を知る者は少ないのに」

「伝手はあるさ。負けたとなると、言い訳しなければならない者も多いからな。第一、このノットハウの町は戦場から7日の距離で、次にサクノスト軍がねらうのはここになる。気になるのは当選だ」

「確かに」

「王都がのんきなだけさ。頭が一足、早く春になっているらしい」

「貴様」

「殿下、短慮なさらぬよう」


 トゥクラスの言葉に、マーストの制止が重なる。


「ここが大事なところです。我らは後がないのです」

「そうだったな。……すまなかった」


 トゥクラスは胸を指で叩いた。呼吸が整えるまで、たいして時はかからない。思いのほか、切り替えは速いタイプらしい。


「先をつづけてもよいか」

「もちろん。無礼を働いて申しわけありません」

「現在、サクノスト軍は1000の兵をトレト領内に進出させて、ヤマニト丘陵の制圧にかかっている。味方の手勢はそれを食い止めるべく抵抗しているが、数が少ないこともあって、うまくいっていない。王都からの援軍は出発したばかりで、まだ戦闘には参加できない。我々には、時が必要だ」

「なるほど、そこで外交交渉というわけですか」

「そうだ。話を持ちかけたところ、サクノスト側が応じた。予備会談は終えており、すぐにでも本格的な交渉をはじめるつもりだ」


「時間稼ぎだったら、小細工なしで進めればよいのでは」

「できることなら、ここで戦いを終わらせたい。戦闘拡大は、こちらの望むところではない」

「そうですか」


 エヴィはうつむいた。

 トゥクラスは、間を置いてから話をつづける。


「そこで、君に、外交官として交渉に加わってもらいたい。契約書と報酬はすでに用意してあるから、署名すれば、その場で君は外交団の一員となる。3日後には現地で、交渉をはじめたい」


 エヴィは、答えなかった。その手は卓の上の書類をめくっているだけだ。

 それが止まるまで長い時間がかかったが、その間トゥクラスは話しかけることなく、栗毛の髪の娘を見ていた。


「二つほど聞きたいことがあるのですが、よろしいですか」

「かまわん」

「なぜ、こんな小競り合いに、わざわざトゥクラス様が出てきたのですか。王都の外交官にまかせておけばよいかと」

「時間がかかりすぎる。君が指摘したように、王都はのんきだ。交渉団を組織している間にも戦いは拡大する。その前に手を打っておく必要がある」

「トゥクラス様ならば、それができると」

「そのように信じている」

「よい心がけです」

「もう一つは何だ」

「なぜ、私なのでしょうか」


 エヴィは、トゥクラスを正面から見つめた。


「私はサレーズの孫ですが、私設外交官としての実績はほとんどありません。二年前、リズン国貴族の亡命問題にかかわったぐらいで、あとは書類をいじって遊んでいただけです。代書屋で、事務所も持たないような小童こわっぱに、話を持ってきた理由はどこにあるのでしょうか」


「若くて実績を求めているとみた。という理由ははどうだ」

「本を積みあげて、日がな一日、引きこもっている娘がそんな野心家とでも」

「思えないな。ただ、話を聞くかぎり、君はこの町に多くの知己を持っているようだ。放っておけば、彼らが巻きこまれる。実際、運送屋や飛脚には、影響が出ている。それは気づいているだろう」

「その運送屋は、私の友人です。サクノストから荷が入ってこなくて困っています」

「それはひどくなる一方で、下手をすれば、1年、2年とつづくことになる。そうなれば、町の者も生活に困るだろう。少しでも助けてやりたいとは思わないか」

「思わないと言ったら」

「そういう人物には見えないな。だろう、マースト」

「はい」

「やはり、君に話を持ってきたのは正解だったようだ」

「買いかぶりですよ。とっても困る話ですが」


 エヴィは大きく息を吐いて、椅子の背もたれに身体を預けた。


「仕方ありません。やりましょう。まんまと乗せられたような気もしますが、致し方ありません」

「そうか。助かる」

「当てにしないでください。出来は悪いので」


 エヴィは卓上の紙刀を手に取った。

 途端に、マーストが前に出て、トゥクラスをかばう位置につく。トゥクラス自身も立ちあがって、佩剣に手をかけていた。


「それを置いてください。私設外交官殿」

「ああ、誤解させて悪かった、マースト殿。ただ、こんなもので人は殺せんよ。手紙を切るための道具でしかない」

「毒が塗ってあれば、余裕です。信じないわけではありませんが、元の場所に戻してくださると助かります」

「そうだね」


 エヴィが紙刀を置くと、マーストは息をついて、傍らを見る。

 トゥクラスが彼の背後に回っていることに気づくと、驚いたように目を見開いて立ち位置を変えた。


「では、契約しよう。書類を用意してくれ」


 エヴィの言葉に、トゥクラスはうなずいた。これで決まりだ。


 やはり、客は厄介な相手だった。これなら貴族の館に出向いて恋文の代書をするべきだったかと思うが、今さら言ってもはじまらない。


 エヴィは小さく息をつくと、仕度をするため、ゆっくりと立ちあがった。

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