私設外交官エヴィは負けをしらない ~魔女は鋭き舌鋒で大国をなぎはらう~
中岡潤一郎
第1話
樫の扉が開くまでの時間で、エヴィは厄介な仕事が来たことを感じとった。
好ましい依頼なら、さっさと客は飛び込んでくる。何なら、こちらが入るように言う前に扉を開けているぐらいで、顔を見るまで、さして時を要さない。
反応が遅いだけで、面倒を抱えこんでいると容易に想像がつく。
エヴィが声をかけようとしたところで、ようやく大きな扉が開いて、二人の男が入ってきた。
先に立っていたのは赤毛で大柄の男だった。黒の上着に外套を羽織り、腰に剣を吊り下げている。顔立ちは整っているが、陽に焼けていることもあって野性味が強い。
もう一人は、水色の髪で、細い体型だった。背丈は赤毛の肩ぐらいで、白のシャツに、茶のズボンという格好だ。こちらも顔立ちは整っているが、やさしげな造りで、髪と同じ色の瞳が目を惹く。町を歩いていれば、自然と女が寄ってくるだろう。
赤毛の男は部屋を一瞥してから、エヴィに声をかけてきた。
「ここは、エヴィの外交事務所か」
「いや、違う」
「何だって。じゃあ、あんたはエヴィじゃないのか」
「いや、エヴィは私だ」
「え? どういうことだ」
「ここは、代筆屋だ。依頼されて、祝電、弔電、祝宴の招待状、はたまた商業契約書から愛する人への手紙まで、何でも作成する。何だったら、離婚請願書までいける。なのに、君は入ってくるなり、外交事務所と言った。だから違うと言っただけだ」
「なら、依頼は受けてもらえないのか」
「受けるよ。君たちの話がまっとうならな」
エヴィが手を開くと、赤毛の男が頭をかいた。
「また面倒な。私設外交官っていうのは、皆、こんな感じなのか」
「知らないよ。気になるなら、同業者に聞いてくれ」
「わかったよ」
赤毛の男は、まっすぐにエヴィを見つめた。
「私の名は、トゥクラス・デ・サンデール。王都から来た。後ろで控えているのは、マースト・ビンで、私の従者だ。よろしく頼む」
「その名前、私の記憶に間違いがなければ、第二王子のものではないかな」
「私が、その第二王子本人だ。今日は喫緊の案件を片づけるため、忍んでここへ来た。ぜひとも手を貸してほしい」
「これは驚いたな」
エヴィは眉をつりあげて、トゥクラスと名乗った男を見た。
ゴ・サミュ王国の国王トシハラニの下には、二人の息子がいる。
一人は第一王子のトシリハロレで、年は二十八歳。茶の髪と瞳で、父の名代として表舞台に出てくることも多い。王太子の証しであるヨユヨヒ公爵の称号を得ており、宰相をはじめ有力者の支持も厚い。近いうちに譲位されて、新しい国王になると噂されており、地位は盤石だ。
一方、第二王子のトゥクラスは、遊び人で、王都の娼家で日々、自堕落な暮らしを送っているとの評判だった。表舞台に出てこないので、その顔を知っている者は極端に少なく、背格好ですら知られていない。能力も未知数だが、無能と罵る者も数多い。
「国王にも見捨てられているという噂の第二王子か。本物なのか」
「そうだ」
トゥクラスは、王家のメダルを見せた。王族だけが所有を許される一品で、はるかなる古代より受け継がれていると言われる。
「本物だな。さすがに、これはわかる」
「ありがたい。余計な説明をせずに助かる」
「大変、失礼をした」
エヴィは立ちあがり、腕を胸に当てて、膝をついた。
「知らぬ事とはいえ、ご無礼を。私はエヴィ。ノットハウの代書屋で、ゴ・サミュの私設外交官を務めております。今後ともお見知りおきを」
「よろしく頼む」
トゥクラスが腰かけたのを見て、エヴィも自らの席に腰をおろした。二人はエヴィが執務に使うの机を挟んで向かい合う形になる。
トゥクラスの視線がやたらと動いて、机の上を見ていた。
「何か気になることでも」
「いや、別に」
トゥクラスはエヴィに視線を戻す。
「しかし、君のような若い娘が私設外交官とは。驚きだな」
「若いと言いましても、21歳です。成人ですよ」
「結婚は」
「しておりません」
「予定は」
「言い寄る男などいませんよ。この見てくれですから」
エヴィは、部屋の片隅に置かれた鏡を見やる。
椅子に座った女は背が小さく、顔立ちも整っていなかった。痩せていて、茶の上着につつまれた身体は貧相に見える。短いひも締めのスカートから伸びる足もひどく細いし、茶の瞳も骨張った顔には大きく映る。
顔立ちは幼く、余所者の商人には子供と間違われることもある。茶の髪が長いから女とみなしてくれるが、短かったらどう扱われるかわかったものではない。
「もう少し見た目がよければとは思いますが、文句を言っても仕方ありません。この先も長く付きあっていきますよ」
「それは、何と言っていいのか」
「それにしても、すごい部屋ですね」
傍らに立つマーストが周囲を見回した。
「壁一面が本棚で、すべて埋まっていて。それだけじゃ飽き足らず、卓の上にも本が積んであります。羊皮紙の書付もあるようで。いったい、どれだけ集めているんですか」
「500は超えていると思うぞ。もっとも半分は婆さんの遺品だがな」
「『偉大なる交渉人』サレーズの業績ですか」
「そんな言われ方をされたら、あの世でくしゃみをするぞ。婆さん、褒められるのが大好きだったからな」
エヴィが視線を移すと、雲が切れたのか、小さな窓からやわらかい冬の日射しが差し込んで、山のように積まれた本を照らし出した。
一番上は皮の表紙の本で、ここのところ手入れを怠っていたせいか、埃をうっすらとかぶっている。
その先には、書類の束が荒っぽく紐で結んである。以前、行商の古書人から買った資料だが、まったくの手つかずだ。
「山のような書籍と紙の束に埋もれる生活ですか」
「それこそが私の望みだよ。孤独と静寂を愛しているのでね」
エヴィはトゥクラスを見やった。
「そのためには、
「そうだな。はじめるか」
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